もう遅い。系タイトルの考察
この頃、というか少し前から冒険者パーティや王宮からの追放ものが流行っている。私自身は、追放シリーズは嫌いではないし、寧ろ更新通知に入れて読んでいるぐらいである。なので、前置きにはなってしまうが、作品批判という概念ではないことをご理解頂きたい。その上で、この稚拙な文章を読んで頂きたい。
そもそもタイトルにもあるように、『~~と言われても(、)もう遅い』という作品タイトルなのだが、基本的に読み専と呼ばれるなろう小説が好きな人たちが軽く見るための立て札であり、新規参入者に対する立ち入り禁止テープなのではないかと考える。
「そもそも、なろう小説なんて読まれてなんぼの作品だから、読まれるタイトルにしなきゃいけないでしょ」と言われればそれまでなのだが、固定客は基本的に居着きづらいと思われる。なぜなら、タイトルで総てが分かるようになってしまっているからだ。「ざまあ、があるんだ」とか「主人公はこういう関係なんだ」とか「あー、こういう方針でストーリーが進んでいくんだ」だとかの読み手の意識を総て奪い去っていく、大変優れすぎているフレーズなのである。
一般に、書店で売っているなろう小説以外の文庫本やライトノベルと言われる小冊子のタイトルを見て頂けると大変比較になりやすいと思うが、タイトルは飽くまでタイトルであって、ストーリーの内容に深く踏み込んでいないと思われる。一部例外を除いて。
このような作品群の中にも一部良作が存在しているかもしれないが、拾い上げられるかと言われれば.....
この作品タイトルの先駆者はおそらくだが、「あらすじ読むの嫌だなあ」というお前らは文章作品をなんだと思っているのかよく分からない者どもへの対策として入れ始めた特徴であったのだろう。その後真似をし始める者が増えた。
その結果がランキングに似たり寄ったりなタイトルまみれになり、特に内容に変化のない、一体何を競い合っているのか理解できないものになってしまった。
普通に考えれば、なろう運営側も同じフレーズだらけなのだから、一定ラインから規制を始められないのかと不信に思う。どうせ意味もない人権云々なのだろうが。
また、作者も作者だ。そいつらはタイトルすら考えられないのかと思ってしまう。タイトルすら人の物を盗んで、シナリオ構成すらも盗んで、それで書籍化して、印税貰って、のループをするのがそんなに楽しいのか?楽に金を稼げるのかもしれないが、恥ずかしさやらなんやらは存在しないのか?それとも心臓に毛でも生えて精神でも鍛えられているのか?
そもそもこんな言葉に耳を傾けて下さる人は数少ないのかもしれないが、タイトルは自分で考えろだとかそんなことは言っていない。むしろ、人の良い部分を吸収していくべきではある。しかし、フレーズそのものを丸々引用していくのは如何なものか、タイトルで作品内容を暴露される側にもなって欲しい。ただそれだけなのだ。
私もタイトルで印象を決めるタイプの人間で、タイトル選別してしまう節はある。しかし、今回提起したこのタイトル群は読むと必ず「へぇー」で感想が終わってしまうし、指摘しようとする気持ちにすらならない。
作者の才能がないのではなく、タイトルの第一印象が邪魔をし続け、どうでも良くなるのだ。「所詮その程度かあ」という感想になる時もある。タイトルを盗んでいるのだから。
結論だが、【タイトルぐらいは気持ちを込めろ】だ。タイトルは変更出来るし後々考えればいいや、のような軽い気持ちで挑むとあとあと痛い目を見る。修正できるのは内容なのだ。タイトルを変えたとしたら、ファンは減る。なぜなら、面白さではなく習慣で読むからだ。なろうの読み手は習慣付いた日常生活の一部でしかないのだから。また、ストーリーはタイトルが総てだ。それを変えるということは、作品内容総てを見直さなければならない。
最後に、私自身は別にこんな面白くないランキングには頼らないが、出版社はランキング頼りな部分がある。書籍化した際にこんな長ったらしいタイトルの本が並んでいるのは少々読む気が失せるし、実際面白いとは言いづらい内容ではある。一般に見られるという意識の欠如がもたらした結果なのではないか。私達は対策出来ない。読まないという選択肢をするのは可哀想だ。勿論、当該内容については異論等々あるとは思うが一人の感想であるから、ご注意願いたい。
では、良いなろうライフを.....
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