3.弟が語る我が家
弟視点。
読まなくてもいい阿濁家設定
カナサに戦闘狂と言わしめる阿濁家代々の直系長子達は、何故かやたらと好戦的だ。
彼らは″善と悪″ではなく″拳が正義″という概念で生きており強者と戦いたい、悪を殴りたいという欲望を抑えられない、というか抑える気がない。
だから優雅がどれだけ街で暴れようとも『ああ、阿濁家の長男だからね…』とか『”残念な美形”って阿濁家長子のために在る言葉よね』という認識しかされていない。
例え証拠が残っていなくても、市内で起こる犯人不明の逆集団暴行事件や闇組織壊滅事件は、誰がやったか判かってないけど、どうせ阿濁家長子の誰かよね……というのが千年近い阿濁市民の暗黙の了解だったりする。
そんな事、陰で言われなくても身内の人間が誰よりも理解していると迅は言いたかった。
そもそも阿濁家は戦国時代より更に昔、 破壊の化身の如く喧嘩好きの男が貴族の荒事に首を突っ込み武勲を立てたことで出来た家だと云われている。
男は家名と所領を貰ったものの家屋敷に居着かず、臣にしたすぐ下の弟に当主の仕事を押し付けては、武者修行だの道場破りだのゴロツキ討伐だのと、手練れがいると聞けば家臣総出で引き止め縋っても超人的身体能力と知略を駆使して他人様に喧嘩を吹っ掛ける放浪の旅に出た。
弟は男のしでかす揉め事の火消しに奔走したが、余りの破天荒ぶりに時の朝廷ですら手に負えず、蛮族から朝を守護する任を命じる丁で中央より遥か北部の国へ男を封じた。
それでも男は懲りず『守護を任されたのだから北部を統一せねば』と大義名分を振りかざし、広大な土地を暴れ回って支配下に治めていったがその分、男の代理をしていた弟は中央の貴族や周辺国主に激しい突き上げを食らった。
『そんなもの家督を乗っ取るなり、逃げるなりすればいいのに』
この話を聞いたとき迅はそう考えていたが、そうは問屋が卸してくれなかったらしい。
『奴らを只の戦闘狂と思ってはならない。キチガイ基準の常識を我々一般人の常識で行動を想定してもならない』
そう悟った目をして迅に力説したのは阿濁家長子被害者の先人たる大叔父と叔父だった。
心身共に疲れ果てた弟は、男の暗殺を企てるも悉くかわされ、湯浴み中の無防備なところを問答無用で振り下ろした刀も素足で蹴り折られた。
男は放心して座りこむ弟を鼻で笑うとその襟首を掴んで歩き出した。
辿り着いた先には三人の若人が居り、一人は積雪の中庭石に縛り上げられ、一人は縁側に胡座を組み雪玉を庭石の人物に投げつけ、一人は泣きながら雪玉を作り縁側に置いている。
庭石に居るのは数日前に『もう無理です。探さないでください』と文を残し消息を絶った筈の男の次男で、雪玉を作っているのは失踪を助けたと思われる弟の息子。そして雪玉を投げつけているのが言動が男にそっくりな男の嫡男だった。
嫡男は次男に雪玉を投げる。
『兄上の言葉は?』
雪玉を更に投げつける
『──絶対、です』
『兄上の為なら?』
雪玉をまた投げつける
『──何でも、します』
『兄上の仕事を手伝えるのは?』
弟の息子が緩く握った雪玉を握り直し更に投げつける
『──この身の誇りです……』
『兄上の言葉は?』
目の前で何度も同じやり取りを繰り返され、弟は寺院の門前で出家逃亡に失敗したらしい次男の憐れさに己を重ねて泣いた。
『優しい優しい兄上はな。可愛いお前が心置きなく俗世で仕事が出来るように良いものを取って来たんだ』
嫡男はそう言うと屋敷の奥から引きずってきたものを雪上に投げた。
美しい衣を纏った女人だった。
『──!!!、兄上っ、この御方はっ!!』
『お前が懸想してる峰季中将の三の姫だよ。わざわざ出禁になってる京に忍んで狩って来たんだ。お前が娶らねば傷モノになったこの姫は帰る家もないがどうする?』
『なんと…………なんという事を……』
次男は出家の意志を実兄より兄のように頼れる従兄にしか伝えていなかった。彼が漏らしたとも思っていない。何故なら三の姫への慕情は一度たりとも言葉にして己が身の内から出したことがないのだから。
考えも行動も見透かされ先手を打たれ、次男に抗う手段は残っていなかった。
この時より彼方此方で問題を起こす長子に代わり、当主の不在を誤魔化す為の影武者として領地を治め、彼等の旅費を用立て、起こした問題を揉み消し、尻拭いをするのが代々続く阿濁家次子の役目となった。
と、阿濁家次子の間でのみ聞くも涙、語るも涙で言い伝えられている。
その後の長子被害者達も野望を抱けば自尊心諸共打ち砕かれ、逃げようものなら他国に居てどの様にして不在を知るのか解らないが、例え地の果てに隠れようとも見つけ出され、当主代行の座に引き摺り戻されてきたのだという。
ある頃から己の旅を中断し、逃げ出す代理を探しに行くのが面倒になった当主が、いっそ幼い内に野心も反抗心も折ってしまおうと思い立ち『逃げ切れたら自由、連れ帰られたら一生尻拭い』という地獄の『ひと月鬼ごっこ』を子供らにさせる様になった。
優雅と迅の叔父は12才の時、姉である二人の母から逃げる為に祖父から帯で三束分の軍資金を貰い、海を渡って西アジアの辺境の村に隠れた。
しかし、小綺麗な子供が大金を持っているという正に鴨葱状態だった訳で、人攫いに捕まり人身売買組織に売られてしまった。
薄暗く土が剥き出しのコンクリートの部屋に複数の子供と僅かな食料を与えられ何日も閉じ込められていたが、ある日気付くと手足を縛られ当時14才だった我らが母に担がれていたそうだ。
鬼ごっこ開始から、わずか18日目の事だった。
現地では突然、人身売買組織が組員総逮捕の壊滅状態となったことが大きな話題となったらしいが、そんな事知る由もない叔父は、何故姉がここに居るのか、どうやって助かったのか、これは夢なのか全く解らないまま実家にたどり着くまで、小さな抵抗をする度に眉毛や髪を無言で毟られて完全に心が折れたという。
祖父の弟、大叔父は10才の頃、足取りを掴ませない為に外国船に密航し、途中見つけた無人島に逃げ込んだ。けれど、数日のサバイバル生活の後、隠れ家にしていた洞窟であさ目覚めると笑顔の祖父が顔を覗き込んでいたそうだ。
なんというホラー。
その前の世代も同様で、結果、今現在まで逃げ切れた者は誰ひとりとしていないらしい。
そして迅も例に漏れず、既にこの鬼ごっこに負けていた。
性格は唯我独尊で、趣味は戦隊ヒーロー鑑賞、将来の夢は『レッドになること』なかなり残念な兄だが、カナサも言う様に存在チートというやつだ。
普通ならば小学生辺りで無理だと気付く『レッドになること』をずっと夢見続けられる、可能にするだけの能力を己が持っていると幼い頃から自信満々な兄は『ヒーローを目指す悪魔』だ。
優雅は少年漫画でよくある強戦士の血筋で、少女漫画でよくある実はとある高貴な血を引いているあれだったりする。
それだけなら弟である迅も同じだが、なんせ戦闘狂たる強戦士の血は長子のみが発症する病で、常人に毛が生えた程度の尻拭い要員に太刀打ち出来る訳がなかった。
当時小学生だった迅は先人達の血と涙と絶望が詰まった手記を必死に読み込み、過去の逃亡経路や捕獲法予測を頭に叩き込んだ。
逃亡時はGPS機能のある携帯電話は勿論、兄に何かを仕込まれている可能性があるものは何一つ持たず、軍資金のみを持って熊が出ないという九州を目指し、船で大陸に渡った偽装を行い山に入った。
そんなこと普通の小学生にできる訳が無いと思われるかもしれないが、人間必要に迫られれば能力以上の力が出るものだ。
ひたすらに山を突き進み、偶に人里へ下りては絶対に監視カメラなど付いてなさそうな個人商店や野菜の無人販売で物資を購入し、また山に入っては歩き続けた。叔父と大叔父の敗因は安全圏だと想定した場所で立ち止ったせいだと思っていたから。
しかし、そうではなかった。
約束の期限まであと3日を切ったとき。
野宿中に虫が体を這う恐怖、何度も猪や猿に襲われ、食料は底を尽き、道なき道を約ひと月歩き続けた迅の足はもう限界だった。
現在地など分かり様もないほど山奥の更に奥で安心していた迅は地面に腰を下ろし、樹木に体重を預けて休んでいた。
数分だけ……と一瞬目を瞑ったときだった。
『負ぶってやろうか?』
耳元で迅が今一番聴きたくない声がした。
恐る恐る瞼を上げると栄養補助食品と飲料水を差し出す優雅が目の前に立っていた。
奴は始めの数日で迅を見つけていたのだ。
ただ、こういう野外活動がいつかレッドになった時に役立つかもしれないというバカみたいな理由で尾行していたが、途中で飽きて弟の冒険を見守りつつ声を掛ける機を窺がっていたらしい。
未来への絶望と共に兄に背負われて家に帰った迅を出迎えた叔父と大叔父は『やはり無理だったか…』と憐んだ。
叔父は『ここからがお前の不憫人生の始まりだ』と言った。
優雅もそうだが、祖父も母もその前の当主達もどうやって逃亡者の所在を付き止めたのかは謎のままだ。
先程の『兄が存在チート』の件で高貴な血が云々…というのを覚えているだろうか。
阿濁家長子が略々起こす大きな問題の中に『結婚相手の押し掛け』というものがある。
これは初代当主の男から頻繁に起きている問題でありロマンチックな話では断じてない、と先人次子達は語る。
時の阿濁家長子達は何故か、物語の主人公の様に旅先で事件に巻き込まれた身分ある令息令嬢を救ってきた。
『これは運命の出会いだ!』と相手に一目惚れされ、二人は幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし───……ではない。
助けた相手は、主人公がまだ旅から帰って来てもいないのに押し掛け女房的に阿濁家にやって来て、その身分の高さ故に当主代理の精神を著しく摩耗する、というかなりの重要案件だ。
時代によっては大財閥のご令嬢、一国の姫君、世継ぎの若様、酷い時は将軍家の姫や高貴な家柄の若君だったりするのだが、彼らは勝手に運命を感じ、勝手に実家を捨ててやって来る。
これ以上面倒事を増やされたくない当主代理が必死に宥め賺し、丁重にお引き取り願うもどいつもこいつも居座り続け、気付けば追い払う事を諦めた長子と妻夫になっているのだ。
これを聞くと『権力者と縁故になれてお得じゃないか』と思う人も居るかもしれない。
しかし、当の本人は知らぬ存ぜぬ興味もないと何の対応もしないのに、一方的に掌中の珠をたぶらかした誘拐犯扱いを受けて相手の家から阿濁家が圧力を掛けられるのだから堪らない。
これを大叔父も叔父もとある国家相手に経験しており、優雅の時は何処を相手にやらかすのかと一族で戦々恐々としている。
まあ単純な話、迅は次男で将来的に叔父から当主代理の座というあまり悦ばしくないものを継ぐ事になるのだと伝えたかっただけらしいけれど、先人達の手記『兄曰く、』を見るに過去の当主代理達はストレスが原因と思われる病気で早死している事が一番気になった。
ふと迅は兄・母・祖父が此までに起こした問題の数々と、少し前に優雅とした会話を思い出した。
『そういえばさ、兄さんはレッドを目指すにしても人数とか悪の組織とかどうするの?』
『人選は俺がレッド(お前をブルー、カナサをイエロー)で5人は決めてる。変身スーツと変形ロボもまぁ目処がついてるし、俺が二十歳になるまでに悪の組織が現れなかった場合はブラック担当に怪人系キメラを作らせて過激系新興宗教団体かK国に闇ルートで売る予定だから大丈夫』
『………は?』
───目処ってどうついたの?
ブラック担当はどこの犯罪科学者なのさ??
大丈夫って何が!?
そんなやり取りを思い出し、未来への果てしない不安で吐きそうだった。