決して忘れない
第四章 決して忘れない
………そして、七回忌の日がやって来た。私は由香ちゃんと陸君と一緒に冥徳寺に向かう。
そこには、亡くなった四年四組の遺族達が大勢集まって、お焼香や、和尚さんが詠む御経に耳を傾けていた。
私達も、お焼香を済ませた後、伊織の墓へ向かった。
「もう七年か、あっという間に過ぎて行ってしまったな。」
「うん、そうだね。」
その七年の間に色々な事があった。両親が死んで叔父さんに預けてもらう事になったり、ずっと甘えていた晴人が、少し離れてしまったりもした。
それでも、伊織はあの夏にずっと居る。私が伊織を忘れる事があるとすれば、あの夏を忘れる時だろう。
どんなに私が成長しても、その心が変わっても、私は、伊織の事を決して忘れない。
そう心に決めたんだ。
伊織の墓前で私達は花を手向け、お祈りをする。
ここに来たら、目の前に居なくても、伊織が私を見守っているような、そんな気がするのだ。
そして、帰ろうとした時だった。風が吹いたと思うと、向こうの方で誰かが立っていた。
私はその姿に見覚えがあった。
「二人共、先に帰って!」
私は、そう言って駆け出して行った。
ようやく追い付いた私は、伊達メガネをかけてその姿を見た。
「………伊織、だよね?」
その人は私に気付くと、振り向いて来た。
「その声は、ひょっとして真海?」
伊織はあの時のままだったが、膝から下は透けていた。
「久しぶりだね。」
伊織は私に抱き着いてきたが、この姿のせいなのか、通り抜けてしまった。
「真海、ごめんね、私はもう………。」
「ずっと会いたかったんだよ、伊織。」
私がそう言うと、伊織は少し寂しそうな顔をした。
「本当は、合宿場に来た時にでも会いたかったのに………。」
「知ってたの?」
私が来た時は、今みたいに伊織の姿は見えなかった。
「うん、ずっと側に居たのに気づかなかったよ。」
「そうだったんだ。」
「花火大会の時に不発弾が爆発して、合宿場が燃えたの。その時にずっと真海に会いたいって思ってて………、真海にもその光景だけは見えてたけど、私は見えなかったんだね。」
「あれ、伊織が見せてたの?」
「うん…。」
私は伊織の肩を持とうとしたが、それも通り抜けてしまった。
「ごめんね、私はもう真海の側には居れない。……けど、またいつか、会えたら良いな。」
「うん、伊織の気持ちが聞けて良かった。ありがとね。」
伊織はそう言って手を振った。また、明日も会えるんじゃないかと思うくらいに。
「うん、また会おうね。」
私も負けじと手を振った。もう二度と会えなくても後悔しないくらいに。
突風が吹いて、伊織の姿は見えなくなった。
私が寺の石段を降りると、先に帰ったはずの由香ちゃんが待っていた。
「真海さん、何をやってたんですか?」
私は伊達メガネを外した。
「何でも無いよ。ただ……、昔の事を思い出してただけ。」
目の前の空はあの時と同じ色をしていた。
終章 想いの果てに
高校を卒業した私は、大学に進学した。そして、二年生の夏休みにフランスに留学し、卒業後はそこに住み続ける事を決意した。
叔父さんは喜んで賛成してくれたが、晴人は他人事のように見ていた。
フランスでは、絵を売ったり、アルバイトをしたりして過ごしていたが、現地の美術館職員のミシェル.フースォアという人と出会ってからは、画家や、絵画教室を仕事としていた。
後に、ミシェルと結婚をして、エマという娘が生まれてからは、本当に忙しく、日本にずっと帰れない日々が続いた。
そんなある日、日本での仕事が入り、私は何年ぶりかに帰れる事になった。
その時、初めて志手山町が滅んだ事を知った。
仕事を終えた私は、電車に揺られ、青波台へと向かった。由香ちゃん達はどうやら今、そこに住んでいるらしい。
その情報を頼りに私は都会の町を歩いて行った。
そして、由香ちゃん達が暮らす家へ着いた。挙式似も参加してないから、瞬君と結婚してから初めて会う事になる。
私が玄関扉を開けると、由香ちゃんが出迎えてくれた。
「お久しぶりです、真海さん!」
「久しぶり、元気にしてた?」
「もちろんです!」
すると、由香ちゃんの背中を追うように小さな男の子か駆けて来た。
「あ、この子はうちの息子の卓で、今年三歳になります。」
「年賀状の写真は毎年届くけど、会うのは初めてね。私も娘が居るから、この時期が懐かしい。」
私は卓君の頭を撫でた。
「お母さん、この人が、お母さんのお友達なの〜?」
「そうよ。」
私は笑顔で接したが、向こうはきょとんとしていた。
「まだこんな感じなんですよ、娘さんは置いてきたんですか?合わせたらきっと、弟みたいに可愛がるでしょうに。」
「うん、エマはミシェルに預けているの…。」
「私もまだ会った事ないんですよ。今度日本に来る時はぜひ連れて来て下さい。」
「そうね、そうするわ。」
由香ちゃんは、足元を見て、はっとした。
「ここで立ち話も何ですし、上がって行きませんか?」
「あっ…、そうね。つい向こうの癖で話し込んでしまったわ。」
私は靴を脱いで、中に入った。そして、淹れてもらったお茶とお菓子を食べた。
由香ちゃんは前のソファに座って、私の話を聞いていた。
「瞬君と由香ちゃんはここに住んでいるから知ってるけど、友也君は何をしてるの?」
「ああ、友也君は今青波台で工業系の仕事をしてますよ。ちょうど向井さんと同じ会社でして。」
「陸と?へぇ、奇遇ね。」
「なんか、随分お世話になってるらしくて。」
「そうね、また挨拶しとくわ。」
「ありがとうございます。」
そして、話は晴人の話題に移った。
「晴人もこの町に居るの?」
その名前を聞くと、由香ちゃんの顔が曇った。
「それが…………、まだ分かりません。夫も何度か連絡しようとしたみたいですが…、それすらも繋がらないんです。今は旅をしているらしいのですが…、安否を含め、何もかも分かりません。」
「私も何度か連絡しようとしたわ。だけど無理だった。こっちにも無かったのね。」
「はい…。」
晴人の事が気になる私だが、それによって由香ちゃんが苦しむ姿を見たく無かった。
私は話を変えようとして、カバンの中からある物を取り出した。
「これは、真海さんの絵?」
「うん、これは家に飾って。」
由香ちゃんは絵を受け取ると、一気に顔が明るくなった。
「ありがとうございます!」
私はそれを見た後、荷物をまとめて出ようとした。
「また、連絡して下さいね!」
「うん、ありがとう!」
そうして、次の目的地へと向かった。
次はバスに乗って、白浜町内の水鳥橋という所に行った。
青波台も白浜駅にあるが、そこよりも自然豊かな池があり、麓には住宅街が広がっていた。
そこに、向井陸の家があった。
インターホンを鳴らして出てきたのは、奥さんらしき女性だった。
「夫は仕事に出てて居ませんが、」
「それなら、お話だけでも。」
「私は向井花、あなたが真海さんですね、話は聞いています。」
すると、その背後から小さな男の子が駆けて来て、私の元へ来た。
「大地、来たらだめって言ったでしょう?」
大地と呼ばれた男の子は、卓君と同じ背の高さだった。
「息子さんですか?」
花さんはくすりと笑った。
「まだ三歳なんですよ。私、今妊娠中でまた次の子が産まれるのですが、ちゃんとお兄ちゃんになってくれるのでしょうか。」
花さんのお腹は膨らんでいた。
「きっと、なってくれますよ。」
「そうね、あの子ならきっと、そうなってくれるわね。」
そして、話題は陸の話になった。
「旦那さんはお元気ですか?」
「仕事で帰って来ない日もありますが、休日はいつも、大地の側に居てくれますよ。」
「そう、それが聞けて良かったわ。」
私はそう言って小包を渡した。
「これ、私の絵です、よかったら飾って下さい。陸は真面目そうに見えて、結構抜けてる所があるから、そこをしっかりとカバーして下さいね。」
「ありがとうございました。」
花さんはうなずいた後、お辞儀をして玄関扉を閉めた。
その後、バスで再び青波台に戻り、山の方へ出た。
そこには渡辺邸があるという事を由香ちゃんから先程聞いたのだ。日本に来たからには茂さんと志保さんにも会っておきたかった。
バスを降りると、青々とした山が見え、蝉の鳴き声がこだましていた。私はその中を歩いて行く。
渡辺邸は、平屋の和風建築で、住宅街とは離れた場所に建っていた。インターホンを鳴らすと志保さんが私を出迎えてくれた。
「連絡も何もよこさず、すみません。」
志保さんは首を横に振った。
「いえ、良いのよ。真海ちゃんがフランスからわざわざ日本に来てくれたのだから、出向かえてあげないと。」
「ありがとうございます。
玄関を上がると、木造の梁や壁が目に付いた。
「元々私のアパートで暮らしてたんだけどね、茂がある時この家を見つけて、値段も思ったより手頃だったから、ここに引っ越して来たの。優太も、広い家の方が良いらしいし。」
「その優太君は、今どうしているのですか?」
「大学で寮生活をしているわ。将来は一人暮らしをしたいと言ってるから、早めに家から出ているの。」
志保さんは、台所に付くとお湯を沸かし始めた。
「お茶、淹れとくわね。良かったら茂ともお話して上げて。あの人、ずっと私と居るから、たまに他の人が恋しい時があるって。」
私は志保さんの背中を見た後、茂さんが居る書斎に向かった。
書斎には、沢山の本と、うず高く積まれた原稿用紙があった。茂さんはと言うと、文机でずっと万年筆を動かしている。
「茂さん、お久しぶりです。」
私がそう言って背中を叩くと、こっちを振り向き、着物の袖をまくってこう言った。
「ああ、真海君か、久しぶりだな。」
「小説家は、続けてらっしゃるのですね。」
私は、執筆途中の原稿用紙を見た。
「まだ書きたい物語があるからね。志手山が滅んで、その出来事が忘れられる前に、書き留めておく。それが私が小説家として、出来る事だと思うんだ。」
「これからもお身体に気を付けて、頑張って下さいね。」
「ああ、死ぬまでずっと現役で居るつもりだから。」
茂さんは立ち上がると、本棚から一冊の本を取り出した。
「これは一体?」
「これは四年四組の話が書かれた小説さ。」
茂さんはそれを見て目を押さえた後、私の方を見た。
「………今でも君と初めて会った時を覚えているよ。あの時は…、すまないな。いくら本のせいだからといって、あんな強引に聞いてしまうだなんて…。」
私は呆れてしまい、苦笑いをした。
「謝るのでしたら、昔の私に言って下さいよ。あの時は本当に怖かったのですから。
過ぎたなんですから、もう良いですよ。今の私はもう気にしてないので。」
茂は困り顔で私の方を見た。
「そうだな。謝っても、過去の過ちは消せないはずなのにな…………。」
志保さんが、書斎の扉を開いて、こう言った。
「すいか切ったから、一緒に縁側で食べない?」
縁側に来た私達は、冷茶と一緒にすいかを頂いた。
「まさか今、すいか一玉を出したとはな。こんな大きいの買って、いつ食べるんだろうと思ってたよ。」
「由香ちゃんと卓君がたまに来るから、その準備にと思って。まさかその前に、真海ちゃんが来るとは思わなかったけど。」
「ありがとうございます。このすいか美味しいですよ。」
「それは良かった。」
私はすいかの皮を片付けて、荷物の中から絵を取り出した。
「これを私達に?本当にありがとう!」
志保さんは喜んで玄関先に飾ってくれた。
「また、日本に来たらいつでも遊びに来てね。」
「ありがとうございました!」
私はそう言って、渡辺邸を出た。
絵は全部渡しきったが、まだやる事がある。私は青波台駅から二時間に一本しか無い電車に乗った。乗客は居たが、終点まで乗るのは私だけだろう。
何故ならその町はとうの昔に滅んでしまったからだ。だから、そこが私の故郷である事に変わりはない。
唯一残っている建物である冥徳寺、そこに今も伊織の墓がある。
私は人気の無い町の中、花束を抱えて歩いていた。
伊織の墓は、昔と変わらない姿でそこにあった。あの七回忌から更に二十年が経ち、私は過去を振り返る時間がなくなっている。それでも、私は伊織の事を忘れなかった。
何故なら、私は伊織の出会いと別れで出来ているからだ。
今、私の中に居る大切な物、由香ちゃん達との出会いや、画家の仕事、それもこれも全て伊織が持ってきたものだった。
私は花束を墓前に添え、静かに手を合わせた。周囲には誰の姿もなく、ただ風と虫の音しか聞こえない。
私はそれに耳を傾けながら、伊織の事を想った。
その時、何かの気配がして振り向くと、そこに伊織の姿があった。七回忌の時よりも大分透けていたが、間違いない。
私は伊織を見て、そっと微笑んだ。
「久しぶりだね。」
伊織は何を今更と言うような顔をした。
「何を言ってるの?毎日会ってるじゃない。」
そして、私に背中を向けた。
「今は会えてないけど、この姿で会えて良かったよ真海。
………いや、お母さん。」
驚いた私は、伊織の方を見よとしたが、突風が吹いて姿は見えなくなってしまった。
あまりにも突然の事だったから、驚く事しか出来なかった。その時の彼女の姿や声が、誰かに似ているような、そんな気もした。
その場で考えた私は、ある考えに行き着いた。それは、ひょっとしては伊織は生まれ変わって、もう一度私の元へ現れたのではないかと。
最初は馬鹿みたいな考えだと思ったが、それをする度になんとなく自分でも納得してしまった。
花束を持った私は、キャリーケースに手をかけ、帰って行った。その時、突風がまた吹いて、花びらが一つ空へと舞い上がった。
私はそれに見とれていた。これから何時間もそこで過ごすというのに、私はあの夏の空を飽きるまで見続けていた……。