ふゆちゃんは天使になった
あいざわ ふゆかちゃんと
マルガリタようちえんのおともだちに
このおはなしをおくります。
ひなちゃんは、幼稚園の年長組の女の子です。
来年の春、幼稚園を卒業して、小学生になります。
3年間、年少さんのころからお世話になった幼稚園。いよいよ最後の1年間。
「なんだかさみしいねぇ」なんて、パパもママも言うけれど、ひなちゃんには、全然そんな気がしません。
小学生になったら、もうお姉さん。だから、なんでも一人でできるんだ。
小学生になるのって、ほんとに楽しみ!
それに、幼稚園は卒業するけど、幼稚園でできた、いっぱいいっぱいのお友だちとは、ずっとずっとお友だちのままだもん。
幼稚園は毎日、とっても楽しい。小学生になるの、とってもわくわく!
そんなひなちゃんの一番のお友だちは、と言えば?
なんといっても、それはふゆちゃんです!
年少さんのころから、ずっとお友だち。
好きな遊びは?「お人形遊び!」「ひなもおんなじ!」
おままごと遊びなら?「ひなは赤ちゃん!」「ふゆかはお母さん!」
二人はけんかをしたことがありません。
「男の子は乱暴だから、やよねぇ」「そうよねぇ」
「こんど、ふゆかがもらったシール、ひなちゃんにも分けてあげるね」
「ありがとう!」
ふゆちゃんは、とってもやさしくて、ひなちゃんといっしょに、いつも、にこにこ遊んでくれます。
遊んでいるときも、お勉強をしているときも、何をやっても、二人なら、とってもうまくいくんです。
好きなものも、好きな遊びも、好きな場所も全部いっしょ。
「ひなちゃんとふゆちゃんは、相性がいいのねぇ」
ひなちゃんのママは、そういって、ニコニコ、二人をながめています。
そんな二人の年長組の日々は、楽しく、あっという間に過ぎていきました。
春が過ぎ、夏が過ぎ、みんなで、幼稚園のお庭で、いっぱい花火を上げて大騒ぎをしたころ、
ひなちゃんには、ちょっと心配なことができました。
なかよしのふゆちゃんが、病気になってしまったんです。
幼稚園に、あんまり来られなくなって、近くの病院に入院しちゃったんだって。
「ふゆちゃんのお見舞いに、行ってあげようか。」
夏休みも終わりに近づいたころ、ママが言い出しました。
ひなちゃんは、ママの運転する車で、ふゆちゃんが入院している病院に、お見舞いに行くことになりました。
ツクツクボウシが鳴き始めた、ある日曜日。
ひなちゃんを乗せた車は、近所を流れている大きな川のそばの道を、ひたすら走っていきます。
「ふゆちゃんの病院は、この川沿いにあるんだなぁ」
ひなちゃんは、窓の外をながめながら、考えました。
お見舞いには、ふゆちゃんが大好きだった、スポンジで作ったケーキのおもちゃを、たくさん用意したんです。
お外はまだまだとっても暑かったけど、病院に入ると、なんだか空気がひんやりして、鼻につん、とするにおいがしました。
病院のろうかの奥に、ふゆちゃんの病室がありました。
ふゆちゃんの小さな体が、白いベッドの上で、いつもよりずっと小さく見えました。
細い腕に、針が刺さって、大きな注射のビンが下がっています。
でも、ふゆちゃんは、ひなちゃんを見て、いつもの笑顔で、ニッコリほほえんでくれました。
「注射、痛くない?」ひなちゃんは考えただけで、泣きそうになりました。
「痛かった」ふゆちゃんは言いました。
「泣いちゃった?」ひなちゃんは聞きました。
「ちょっとだけね。でももう泣かないよ」ふゆちゃんは言いました。
「病院はいやだよねぇ。早く幼稚園においでねぇ」ひなちゃんが言うと、ふゆちゃんはにっこりして、「でもね、この病室、ふゆかはキライじゃないんだよ」といいました。
「どうして?」
「ほら、窓の外、見てみてよ」
ひなちゃんが窓の外をながめると、窓の外には、まだ熱気にゆらゆらとゆれる緑の山並みが見えました。
「山だねぇ」
「山の真ん中に、マリアさまがいるんだよ」
…マリアさま? 本当だ。
山の緑の真ん中に、白い建物があって、その屋上に、大きなマリア様が立っているんです。
「ふゆちゃんは、マリアさまが好きだもんねぇ」
幼稚園のお庭にも、マリア様がいます。
ふゆちゃんはいつも、幼稚園の行き帰りに、マリア様をにこにこ見上げていたっけ。
マリア様はきれいねぇ。
マリア様は優しそうねぇ。
「夜になると、あのマリア様に明かりがあたって、とってもきれいなんだよ。」
ふゆちゃんはにこにこ言いました。
「マリア様が見てるから、ふゆちゃん、きっと元気になるよね。」
「うん、運動会には、必ず行くからね。」
「約束だよ。」
二人で約束、指きりげんまんをしました。
お約束のしるしに、ふゆちゃんは、白い毛糸を、ひなちゃんの小指に巻いてくれました。
左手はうまく動かせないので、右手だけで、ずいぶん時間をかけて、巻いてくれたんです。
ひなちゃんとふゆちゃんの幼稚園では、毎年クリスマスに、年長さんが、「聖劇」という出し物をやります。
キリスト様が生まれた夜のことを、年長さんたち全員でお芝居にするのです。
「ふゆちゃんが元気になったら、きっとマリア様の役をやるんだな」
ひなちゃんは、そんなことを考えました。
二人の約束。運動会にはきっと会おうねって、指きりげんまんしたんです。
でもね、ふみちゃんの病気は、とてもとても大変な病気でした。
頭の中の、奥の方、お医者様が手術をしても、とても届かないところに、悪いできものができて、だんだん、体が動かなくなってしまう病気。
何万人に1人しかかからないという、とても難しい病気だったんです。
悪いできものをやっつけるために、お医者様も、ふみちゃんのパパもママも、一生けんめいがんばりました。
なにより、ふゆちゃんが一番がんばったんです。
痛い注射も我慢しました。
悪いできものに光をあてて、やっつけてもらう機械にもかかりました。
「ひなちゃんと約束したんだもん。運動会には行くって、約束したんだもん。」
でもなかなか、頭の中の悪いできものは、小さくなってくれません。
それどころか、だんだん、ふゆちゃんの体は動かなくなってきたんです。
一人で歩くことも、おしっこやうんちをするのも、大変になってきました。
ふゆちゃんのママが、言いました。
「ママがお世話してあげるから、病院から出て、おうちで治そうねぇ」
秋になって、ふゆちゃんは、車椅子に乗って、おうちに帰ってきたんです。
この年の運動会は、何度もお流れになりました。
ずっと雨が続いて、なかなかいいお天気にならなかったんです。
ひなちゃんのパパとママは、心配そうにお空を眺めていました。
ひなちゃんも、心配でした。
「ふゆちゃんは、ちゃんと運動会に来られるかなぁ。」
「約束守ってくれるかなぁ。」
でもね、ひなちゃんもパパやママから聞いていました。
ふゆちゃんの病気が重いこと。
一人で歩けなくなってしまったこと。だから、運動会のリレーには出場できないこと。
「ふゆちゃんはとってもしんどいんだから、ひなちゃんも、ふゆちゃんのこと、できるだけ助けてあげようね。」ひなちゃんのパパが言いました。
「でも、きっと、ふゆちゃんは運動会に来るんだ。だって約束したんだもん!」
ひなちゃんは、雨が降り続くお空をながめながら、ずっとそんなことを考えていました。
待ちに待った運動会の日。
やっと晴れ渡った青空の下、ひなちゃんとお友達の開会式のパレードも、とっても上手にできました。
でも、ひなちゃんは、ずっと考えていました。
「ふゆちゃんは来るかなぁ。大丈夫かなぁ。」
お昼になって、ひなちゃんのママが作ってくれたおいしいお弁当を食べながら、ひなちゃんは、半分、諦めかけていました。
その時でした。ひなちゃんのパパがやってきて、言ったんです。
「ふゆちゃんが来てるから、会ってきてあげなさい。」
ふゆちゃんだ!
ふゆちゃんのママが車椅子を押して、テントのところに立っているのが見えました。
車椅子の上に、ふゆちゃんがいます!
来てくれた。約束守ってくれたんだ!
ひなちゃんは、ふゆちゃんの車椅子の所に、走っていきました。
「午前中はちょっと無理だったけど、みんなのリレーには間に合ったわよ。」
ふゆちゃんのママが言いました。
車椅子の上のふゆちゃんは、にっこり笑ってくれました。
「約束、守ってくれたねぇ」
「でも、走るのは無理なんだ。だから、ふゆかは、応援に回るよ。」
「みんな、一生懸命走るから、応援してね。」
ひなちゃんだけじゃなくって、幼稚園のお友達みんなが、ふゆちゃんの車椅子を取り囲みました。
「ふゆちゃん、早く元気になってねぇ」
「みんなでお祈りしてるからねぇ」
ふゆちゃんは嬉しそうに、何度もうなずいていました。
年長さんのリレーの順番が回ってきました。
ひなちゃんのパパもママも、ビデオカメラを構えてスタンバイしています。
ふゆちゃんは、車椅子の上で鉢巻をして、応援のための、黄色いポンポンを手に持っています。
「ふゆちゃんが応援してるんだから、頑張らなきゃ」
ひなちゃんは、座って順番を待ちながら、どきどき、そんなことを考えました。
ひなちゃんのパパの撮ったビデオの中には、一生けんめい走った、ひなちゃんと、同級生のみんなと、そして誰よりも一生けんめい、みんなを応援していた、ふゆちゃんの姿が映っています。
車椅子の上で、ふゆちゃんは、走っているみんなに向かって、ずっとポンポンを振り続けていました。
小さな黄色いポンポンを、小さな手で、ずっと、ずっと。
例年になく寒い、その年の冬の、ある日のことでした。
「久しぶりに、ふゆちゃんの顔を見にいってあげようよ」
ひなちゃんのママが言い出して、幼稚園が終わってから、ひなちゃんは、ふゆちゃんのおうちに遊びにいったんです。
ふゆちゃんは、ふゆちゃんのお部屋で、ベッドに眠っていました。
ひなちゃんが、「ふゆちゃん」と声をかけると、少しだけ、目を動かしてくれました。
でも、それだけ。
もう、ふゆちゃんは、しゃべることもできなくなっていたんです。
ひなちゃんは、ふゆちゃんの側で、遊ぶことにしました。
一人で遊んでいても、でも、そばにはふゆちゃんがいます。
なんだかそれだけで、ひなちゃんは、とっても嬉しい気持ちがしました。
だまっていても、ひなちゃんには、なんとなく、ふゆちゃんが、心の中で言っている言葉が、分かる気がしたんです。
「ひなちゃん、来てくれてありがとう。」ふゆちゃんの、心の声が聞こえます。
「なんだか、いろんなことが、うまくできなくなっちゃったんだよ。」
「大丈夫だよ。ふゆちゃんの代わりに、ひなが、色々やってあげるよ。」
ひなちゃんも、心でお返事します。
「お人形遊びもしてねぇ」
「うん。」
「おままごと遊びもねぇ」
「うん。」
「ふゆかはねぇ、卒園のおまんじゅうが食べたいなぁ」
「卒園のおまんじゅう?」
「去年、年中さんの時に食べたでしょ?修了式のおまんじゅう」
ああ、あれか。赤いおまんじゅうと、白いおまんじゅうが一つずつ、二つセットで配られたんです。おまんじゅうの上には、幼稚園のマークがついています。赤いおまんじゅうはつぶあんで、白いおまんじゅうはこしあん。
「ひなはねぇ、こしあんがすき。」
「ふゆかはねぇ、つぶあんがすき。」
ふたりは心の中で、顔を見合わせて、にっこりしたんです。
「卒園のおまんじゅう、ふたりで食べようねぇ。」
「お約束だよ」
「約束、げんまんねぇ」
それから、1ヶ月ほどたった、ある週末。
ひなちゃんは家族でお出かけでした。お帰りは夜、ずいぶん遅くなりました。
さあ、早くベッドに入ろう、と、3人でご準備をして、パジャマに着替えたひなちゃんに、ひなちゃんのパパが言いました。
「ひなこ、そこにちょっと座りなさい。大事な話があるから。」
ひなちゃんは、畳のお部屋に座りました。パパは、真面目な顔をして、ひなちゃんのお顔を見つめていました。
「ふゆちゃんがね、ついさっき、天国に行きました。」
「ふゆちゃんのママから、電話があったのよ」
ママも、パパも、目の中に涙をいっぱいためていました。
「一生けんめい、元気になろうって、がんばったけど、ご病気が重くて、しんどくてね。マリア様が、もう、ふゆちゃん、いいよ、一生けんめいがんばったから、もういいよって、天国に呼んでくださったんだって。」
ひなちゃんは、こっくりうなずきました。そうか。もうふゆちゃんと、お話はできないんだなぁ。いっしょに遊ぶこともできないんだなぁ。ふゆちゃんは、マリア様のところに行ったんだ。
「明日、ママと、ふゆちゃんに会いに行ってあげてね。お葬式には、パパも行くから。」
翌日は、本当に寒い日でした。
ひなちゃんの吐く息が、真っ白になりました。
ふゆちゃんのいる天国では、こんなに寒い日もないんだろうなぁ。
ふゆちゃんのおうちには、幼稚園のお友達が、何人か、来ていました。
ふゆちゃんは、たくさんの人に囲まれて、小さな布団で眠っていました。
ふゆちゃんの、ママも、パパも、目を真っ赤にしていました。
ひなちゃんの、ママも、泣いていました。
ひなちゃんは、泣きませんでした。
ふゆちゃんの寝顔は、とっても安らかで、なんだか、にこにこしているみたいでした。
ひなちゃんは、ふゆちゃんのほっぺに触ってみました。
「冷たいなぁ。」
ふゆちゃんのほっぺは、ひなちゃんのほっぺみたいに、ぷくぷくして、柔らかくって、とっても温かかったのに。
ひなちゃんは、ふゆちゃんの冷たいほっぺを、ずっとずっと、なぜ続けていました。
ふゆちゃんは、マリアさまのところに行ったんだ。
マリア様のところって、あの、病院から見えていた場所かなぁ。
ここから、ずっと遠いのかなぁ。
自転車で行くと、どれくらいかなぁ。
川沿いを車で、ずいぶん走ったもんなぁ。
そんなことを、考えていたひなちゃんの頭に、突然、すごくいい考えが浮かびました。
そうだ、卒園式のおまんじゅうをもらったら、ふゆちゃんと二人で食べなきゃいけない。
ふゆちゃんのところにもっていってあげよう。
マリア様のところに行けば、ふゆちゃんに会えるんだ。
マリア様のところに、卒園式のおまんじゅうを、もっていってあげないと!
それがどんなに大変な考えだったか、まだ6歳のひなちゃんには、よく分かっていなかったんです。
ひなちゃんのおうちから、ふゆちゃんが入院していた病院までは、車で30分もかかります。
自転車だとどれだけかかることか。
それに、病院から見えるマリア様のところに行っても、ふゆちゃんに会えるわけはありません。
病院から見えたマリア様は、病院の近くの教会に立っているマリア様の像だったんです。
ふゆちゃんがそこにいるわけはありません。
ふゆちゃんが行った天国というところは、ずっとずっと天の高いところにあって、ひなちゃんが自転車でいけるようなところじゃないんです。
でも、ひなちゃんは、ふゆちゃんと約束したんです。
卒園式のおまんじゅうを、一緒に食べるんだ。
ふゆちゃんと、そう約束したんだ。
ひなちゃんは、どうやって、あのマリア様の所まで、おまんじゅうを運ぶか、そのことばっかり考え始めました。
卒園式が、近づいておりました。
卒園式の日、ひなちゃんが、幼稚園で、制服を着る最後の日です。
卒園式の会場のホールのすみ、マリア様の像の下に、ふゆちゃんの写真がありました。
ひなちゃんのパパが、感謝の言葉を読みました。ひなちゃんのパパは、幼稚園の先生方みなさんと、そして、ふゆちゃんに、ありがとうを言いました。
卒園記念のおまんじゅうは、ママが預かって、ママのバッグに入れました。
園庭で、先生と記念写真を撮って、ひなちゃんは、お友達と砂遊びをして遊びました。
ちょっと風が強かったけど、お天気がよくて、いいお式だったね、と、ママやパパは言いました。
卒園式が終り、ひなちゃんのパパとママがおうちに帰って、3人でお昼ご飯を食べて、しばらくした時でした。
「あれ、ひなこはどこに行ったの?」ひなちゃんのママが言いました。
「さっき着替えてたけど?」ひなちゃんのパパが言いました。
二人はおうちの中を探しました。でも、ひなちゃんはどこにもいません。
おうちの外に出てみました。
玄関先の、ひなちゃんの自転車がなくなっていました。
ひなちゃんのパパとママは、慌てて近所を探し回りました。
でも、ひなちゃんは、どこにもいませんでした。
ひなちゃんのママとパパが、ひなちゃんを探して走り回っているころ。
ひなちゃんは、自転車で、川沿いの土手の道を走っていました。
自転車の前のかごには、卒園の紅白まんじゅうが入っています。
ふゆちゃんのいる、マリアさまのところに、おまんじゅうを持っていくのです。
ふゆちゃんと、一緒に食べるって、約束したんですから。
でも、ひなちゃん、どうして、ママやパパにだまって出てきちゃったんでしょう。
いつもなら、ママや、パパに、こんな隠し事なんかしないのに。
ふゆちゃんと、二人だけの約束だもん。
なぜか、ひなちゃんはそう考えていました。
ママや、パパに言っちゃだめなことなんだ。だまって、ひなが一人でやらなきゃいけない、とってもとっても大切なことなんだ。
ふゆちゃんと、心の中で、約束したことなんだから。
川沿いの土手の道は、ひなちゃんが、パパとよく、自転車のおけいこをした道です。
この道のそばを、ママの車は、ずっと、ふゆちゃんの病院まで走っていったんです。
大丈夫、ひなは、自転車をとっても上手に漕げるんだから!
自転車が倒れたりしても大丈夫なように、ちゃんと、ヘルメットもかぶっています。
大丈夫、もうすぐ、小学生になるんだから!
ひなちゃんは、一生けんめい、ペダルを踏んだんです。
ひなちゃんのママとパパは、もう半分気が狂ったようになって、ひなちゃんを探しました。
街はどんどん暗くなり、空が夕焼けに染まっても、ひなちゃんは見つかりません。
悪い人に連れて行かれたのかもしれない。
どこかで、大変な事故に巻き込まれたのかも…
ひなちゃんのママは、もう涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、心の中で叫んだんです。
「ふゆちゃん、ひなこを守ってあげて!」
ひなちゃんは、さすがにしんどくなってきました。
街はだんだん暗くなり、足は疲れて、自転車もふらふら揺れています。
なんだか、涙がこみ上げてきそうです。
でも泣きません。だって、ふゆちゃんだって、あんなに痛い注射を我慢したんだもの。
もう一息、もう少し、この道を行けば、マリア様のところに行けるんだ。
思い切って、痛くなってきたお尻を上げて、えいっとペダルを踏んだときでした。
自転車がぐらっと揺れて、後ろから、明るい光が急に大きくなって、ひなちゃんの周りで、なにもかもが、ぐるん、と一回転した、と思うと、ものすごい大きな、がちゃーん!という音がしました。
ひなちゃんの周りが、真っ暗になって、そしてしばらく、しん、としました。
気が付いたとき、ひなちゃんは、なんだかふわふわしたものの上に寝ていました。
まわりは、ぼおっと明るくて、とっても懐かしい感じがします。
昔々、赤んぼうだったころ、こんな場所にいたような気持ちがします。
「ここ、どこなのかなぁ?」
そう、ひなちゃんが考えたときでした。
「マリアさまのところだよ」
心の中で、声がしました。そうです。ふゆちゃんの声です!
「ひなちゃん、ふゆかのところに、卒園のおまんじゅう、もって来てくれたのねぇ」
「ふゆちゃん!」
ひなちゃんが叫ぶと、ふゆちゃんがいつのまにか、ひなちゃんのそばに立っていました。
にこにこ、笑っています。
車椅子にも乗っていません。
ちゃんと、自分の足で立って、ひなちゃんの方に向かって、歩いてくるんです。
「ふゆちゃん、元気になったんだねぇ」
「マリア様のそばにいるから、ご病気なんかすっかりいいんだよ」
二人は手をとりあって、ぴょんぴょん飛び跳ねました。
ぴょんぴょん飛び跳ねて、抱き合って、ふたりとも笑い転げながら、ひっくり返ってしまいました。
二人の足元で、ふわふわした地面が、柔らかく二人を受け止めます。
「ここは本当に気持ちがいいねぇ」
「そうだ、卒園のおまんじゅうを食べよう!」
ひなちゃんは、そばにあった自転車のかごから、卒園のおまんじゅうを取ってきました。
箱をあけると、うわあ、おいしそうなおまんじゅう。
「赤いのが、つぶあんね。白いのが、こしあんね。」
「ひなちゃんは、こしあんよね」
「ふゆちゃんは、つぶあんよね」
二人、顔を見合わせて、にっこり。
おまんじゅうを、ぱくり、と食べました。
「おいしいねぇ」
「ふわふわ、あまくて、やわらかくって、おいしいねぇ」
「ママのおっぱいみたいねぇ」ひなちゃんは、言ってから、ちょっと、しまった、と思いました。もう小学生になるのに、子供みたいなこと言っちゃった。
でも、ふゆちゃんは笑いません。にこにこしながら、こう言いました。
「ふゆかも、おんなじこと考えたよ!」
ふゆかはね、マリア様のそばにいるんだよ。
でも、ひなちゃんのそばにもいるんだ。
ひなちゃんが思うこと、考えること、全部、ふゆかも、感じるんだよ。
ひなちゃんが、悲しいと、ふゆかも悲しい。
ひなちゃんが、うれしいと、ふゆかもうれしい。
ひなちゃんが、おいしいと、ふゆかもおいしい。
ひなちゃんが、痛いと、ふゆかも痛い!
二人して、けらけら笑いました。不思議だねぇ。魔法みたいだねぇ。
だからね、ひなちゃん、痛いなぁ、とか、しんどいなぁ、とか、悲しいなぁ、とか思って、元気が足りなくなっちゃった、と思ったら、ふゆかのことを、考えてね。
ふゆかはすぐに、ひなちゃんのそばにいって、元気、元気をあげるからね!
「お約束だよ」 「お約束だよ」
「指きりげんまん」 「指きりげんまん!」
ふゆちゃんは、ポケットの中から、白い毛糸のきれっぱしを出して、ひなちゃんの小指にまきつけてくれました。
「お約束の、しるしだよ!」
「絶対ぜったい、お約束だよ!!」
ふゆちゃんが手を振っています。白いお洋服の女の人の手を、ふゆちゃんが握っているのが見えます。遠ざかっていくふゆちゃんの背中には、小さな白い羽根が生えています。
「そうか、ふゆちゃんは、天使さまになったんだ。」
ひなちゃんはそう思って、二人が遠ざかっていくのを、いつまでもいつまでも見送っていました。
…遠くで、誰かの泣く声がします。
悲しいときには、ふゆちゃんのことを考えればいいんだよ。
泣いている人に教えてあげなきゃあ。
そうしたら、ふゆちゃんが、元気、元気をくれるんだから。
「急に目の前で、自転車が倒れて、避けきれなかったんだって。」パパの声がします。
「本当なら、もっと大きなケガだったろうって、警察の人が言ってたよ。よくかすり傷だけで助かったものだって。」
「相手はバイクだったんだもんねぇ」ママが涙声で言っています。
「きっと、ふゆちゃんが守ってくれたのねぇ」
ひなちゃんの手を、ママが握ってくれました。ママの手のひら、あったかいなぁ。
「この子、毛糸なんか小指に巻いて…どうしたのかしら」ママがぽつり、と呟きました。
それはね、ふゆちゃんと、ひなちゃんのお約束。だから、パパにもママにも内緒だよ。
病院のベッドで、ひなちゃんはまた、とろとろと眠りについたのです。
これが、ふゆちゃんとひなちゃんのお話です。
このお話には、一つだけ、続きの話があります。
ひなちゃんはすぐ元気になりました。
でもあの日、どうして自転車で出かけたのか、
卒園のおまんじゅうは、どこにやってしまったのか、
ひなちゃんは、パパにも、ママにも、しゃべろうとしませんでした。
でも、ひなちゃんのパパも、ママも、何があったのか、なんとなく知っているんです。
なぜってね、ふゆちゃんのママが、こんなことを教えてくれたから。
ふゆちゃんのおうちにかざられた、ふゆちゃんの写真がありました。
写真の前には、幼稚園の先生が下さった、ふゆちゃんのための、卒園のおまんじゅうがお供えしてあったんです。
ある日、ふゆちゃんのママが、そのおまんじゅうを見てみたら、
小さな歯型が、ふたつのおまんじゅうに、一つずつ、きれいについていたんだって。
「きっと、ふゆかとひなちゃんが、仲良く一緒に食べたんだと思う」って、
ふゆちゃんのママは教えてくれました。
ひなちゃんは今日も元気です。
なぜって、いつだって、そばに、天使さまになった、ふゆちゃんがいてくれるから。
悲しいときも辛いときも、ふゆちゃんのことを考えれば、
元気、元気がわいてきます。
だから、ひなちゃんは、いつだって、にこにこ笑顔で暮らしています。
それは、あの日、天使になったふゆちゃんと、一緒におまんじゅうを食べたからなんですよ。
(おしまい)