八話 初めてのボス戦
「別に来る気はなかったけど……たどり着いてしまったか」
俺は言いようのない複雑な気分で、目の前のそれをジッと見つめる。
岩の扉。体育館の大きな扉サイズの両開きの扉が、そこにはあった。
材質自体は洞窟型の迷宮に合ったものだ。
けれど扉に刻まれた幾何学模様がある事など、精巧な造りは人工物っぽくて違和感がハンパない。
……これが噂の『ボス部屋』か。
各迷宮でその数や存在する階層は異なるが、ここ『横浜の迷宮』の最初のボス部屋は三層にあると聞いていた。
「ううむ……。回れ右するか直進するか……どう思うズク坊先輩?」
「ホーホゥ。別にバタローなら問題ないけどな。俺も何度か通ったけど、どの角度から見ても大丈夫だ」
「というと?」
「ホーホゥ。まずボスの種類だ。動きが速くて【モーモーパワー】と相性が良いわけじゃないけど、まあ倒せるさ。もし万が一ヤバくなったとしても、強引に抜けられるしな」
ズク坊は右肩の上で気楽な調子で答えてくる。
気になってさらに詳しく聞いてみたところ、どうやら本当に心配する必要はないらしい。
このボス部屋のボスは――『ケルベロス』。
そう、あの有名な三つ頭の地獄の番犬だ。
動きは三層までのモンスターの中で最速で、強靭な顎からの噛みつき攻撃をしてくるとの事。
こう聞くと心配、というかビビってしまうが、本当にその必要はなかった。
なぜなら、まさかの『抜け道』があるからだ。
ボス部屋の広さはテニスコート二面分ほど。
その先には四層へと続く階段が、別の扉を隔てずに存在している。
また、ここのボス部屋は一度入っても目の前にある扉は閉まらないらしい。
そしてボスのケルベロスは、出られる状況であってもボス部屋からは絶対に出ないのだと。
「つまり、探索者側だけ戻れもするし倒さずに強行突破もできる、と」
「その通り。ホーホゥ。だから心配する必要はないのさ」
普通ならあまりないタイプの構造なんだろうけどな。
初心者向けとされている通り、内部の仄明るさといいこの迷宮は易しい造りらしい。
だからズク坊は他の探索者の出入りに混じって、何度も無事に行き来していたという。
と、いうわけで。
「じゃあ行きますか。最悪、強行突破で」
「了解だ。まあバタローなら大丈夫だぞホーホゥ!」
ついさっきまであった心配はどこへやら。
俺はズク坊を引き連れて、そのまま人生初のリアルボス戦に挑む。
◆
ボス部屋はズク坊の情報通りだった。
テニスコート二面分の広さで、真正面奥には階段が確認できる。
高さに関しては七メートルくらいと、通路部分よりも二メートルほど高くて広々とした感覚を受けた。
で、そんな部屋のド真ん中中央に。
茶褐色の世界最大の大型犬みたいな体に、おとぎ話のような三つの頭。
スチールベアにも負けない鋭く赤黒い牙や爪を持つ――ケルベロスが存在していた。
他の探索者が倒して、まだ『リポップ』していないのを密かに期待したが……やはりそう都合よくいかないか。
「アイツか。さすがはボス、何かヤバそうな雰囲気だ!」
「ホーホゥ。じゃあ俺は安全圏まで上がってるからな。がんばるんだぞバタロー!」
ズク坊が肩から飛び上がり、ケルベロスがガルルァア! と威嚇してきた直後。
俺は腰を落として低く構え、闘争心とは裏腹に冷静に迎え撃つ体勢を取った。
ゆえに仕掛けてきたのは三つ頭のケルベロス。
ドヒュン! という効果音でも聞こえてきそうな速度で、俺目がけて一直線に駆けてきた。
「んな、速いなオイ!?」
予想より速い動きに驚きつつも、俺は右ストレートを叩き込むべく真ん中の頭を狙う。
が、呆気ないまでに空振りさせられてしまう。
三つ頭全てが首を振ったと思ったら、今度は直線的な速さとは違う、高い俊敏性を見せて右に避けられてしまったのだ。
そして、その回避行動の最中に。
俺から見て一番左のヤツが、牙を立てて俺の右太ももを裂いてきた。
「あ痛ッ! くっそ、ちょうどグリーヴで守ってない場所を狙いやがって……!」
文句を言いながらも、俺は腰を捻って強引に左フックを放つ。
しかし、やはりというか何というか。
俺の右に抜けたケルベロスはすでにおらず、右に四メートル離れた間合いの外に立っていた。
「……へえ、たしかに速いな。血もちょっと出てるし、さすがボスなだけあるか」
回避の際の牙による攻撃で、俺のジャージの太もも部分は裂けて血が出ている。
まあでも、裂け方と血の量、痛みを考えると……カッターナイフに切られた感じか。
ケルベロスの牙は獣のそれなので、恐るべし【モーモーパワー】のタフさだ。
でも、ちょい待て。これ身体能力上昇だけで【スキル】がなかったら多分アウトだよな?
いくら倒さずに強行突破できると言っても……。
このテニスコート二面分を突っ切る前に噛み殺されそうだ。
「ヤバイ、ちょびっとだけ後悔し始めたけど……俺は逃げないぞ! 【スキル】があるなら百人力ならぬ四牛力だ!」
そこから始まったのは『対極の戦い』だった。
体格からして一発入れれば勝てる俺がひたすら腕をブン回し、
ケルベロスは速さを活かして華麗に避けつつ、カウンターの爪と牙を確実に当てる。
何かどこかのボクシングの試合で見たような戦いだ。
自慢の強打でKOを狙う生粋のファイターと、チマチマ当ててポイントを稼ぐディフェンスマスターみたいな。
……ちなみに、観戦者は安全のため【気配遮断】を使っているので、どこにいるかは分かりません。
「チッ、これじゃ埒が明かないぞ!」
そんな激しい攻防が二分続き、小さな切り傷を無数に負った俺は動く。
ケルベロスは無尽蔵の体力で、速度も反応も全く落ちておらず当たる気配がない――ならば!
もっと強力な切り札のお披露目だ! ではなくて。
考えずに、適当に、無造作に。
ひょいひょいひょい、ってな感じで。
重量級のパンチを繰り出す上半身とは正反対。
踏ん張っていた足を、『ふざけた踊り』みたいに何度も何度も上げたのだ。
するとどうなるか。
三つの頭があるとはいえ、パンチの連打に意識を集中しているケルベロスの体に変な感じで足が当たる。
そんなのが当たっても意味あるのか?
まあ普通の人間なら、蹴りでも何でもない足上げなんて意味ないだろう。
だが、俺の体には四頭の牛が宿っている。
つまり力の入っていない足だろうと、そもそも例外なく『重い』のだ。
結果、凄まじい体重差から、ケルベロスの体が俺の足を弾き飛ばさずに引っ掛かって止まった。
それも散々傷つけた俺の右太ももに乗るように、背中を晒した隙だらけの体勢で。
「――悪いな。カッターナイフ程度といっても痛いものは痛いんでね!」
両手を握り合わせて、俺はケルベロスの茶褐色の背中目がけて鉄槌を振り落とす。
ヒザとその鉄槌に挟まれたケルベロスの体は、尋常じゃない衝撃を受けて胴から二つに引き裂かれて飛び散っていく。
――これにて勝負あり。
かなりの数の被弾こそしたものの、いわばクリンチからの逆転KOである。
倒した証である経験値からの身体能力向上は、かつてないほどの熱を体にもたらした。
【モーモーパワー】の牛力は増えていなかったが、これで十分に基礎の体が強くなったと思う。
ボスがいたせいで変に重苦しい雰囲気だった部屋も、普通の通路部分と同じくらいの空気感になっていた。
と、そんな勝ちを手にした俺のもとへと。
【気配遮断】を解いて気配を戻したズク坊が、天井から下りてきて俺の右肩に止まり言う。
「ホーホゥ。なあバタロー……。勝ったは勝ったけど……こりゃグロすぎ注意だぞ」