七十四話 息子、帰省する
「ほらズク坊ちゃん。お母さんの膝の上においで~」
今年もいよいよ終わりが近づき、一年最後の日である大晦日。
群馬の実家に帰省した俺は、見事なまでに『放置』されたまま、
ズク坊を可愛がる母さんの姿を、こたつでミカンを食べながら眺めていた。
「……ったく、モフるのはいいけど親としてどうなんだ? せっかく息子が無事に帰ってきたってのに……」
「まあまあ太郎。父さんも母さんも、常に太郎の無事を祈っていたぞ? 夏には『迷宮決壊』の大きな作戦にも参加したようだし、親として誇らしくも思っているさ」
と、ちょっぴり空しくなる俺に、同じくこたつでミカンを食べていた父さんが慰めの言葉を言う。
……ところがどっこい、我が父よ。
その誇らしい息子の目も見ず、母さんと一緒になってズク坊の額を撫でながらって……どうなのよ。
「ぐむぅ、何だこのアウェー感は……」
さすがは喋れる動物、最強のペットってところか?
いつの間にかズク坊用の止まり木まで買って居間に置いてあるし……。
もはやズク坊が息子で、俺が客人みたいな扱いになっておりますよ。
そんな感じで、ムスッとしつつもまったりとくつろいでいたら。
お昼のニュースでピロリロリン♪ と音が鳴り――ニュース速報のテロップが流れてきた。
「――うおっ! ウソだろ!?」
いつもなら、ニュース速報など見ても『ふーん。あっそう』みたいな反応で終わるのだが……。
流れてきた内容が他人事ではなく、極めて深刻な事だったので驚きの声を上げてしまう。
その突然の俺の反応により、父さんも母さんも、撫でられて「ホーホゥ~♪」とご機嫌だったズク坊もテレビの方を見る。
『えー、たった今速報が入りました。――今日未明、千葉県内にある『迷宮刑務所』から一人の囚人が脱獄したとの事です!』
そして速報が流れてすぐに、慌てた様子で原稿を読み出す男性アナウンサー。
迷宮の世界とはかけ離れた世界にいる人でも、さすがに事の重大性は瞬時に理解しているようだ。
さらに続けて、詳しい情報がアナウンサーから伝えられる。
その興味深くも恐ろしい情報を要約すると――こんな感じだ。
脱獄したのは一名。囚人の名前は『稲垣文平』。
元探索者の犯罪者の中で最も凶悪で、数少ない死刑囚の一人。
所有する【スキル】も強力なもので、かなり凄腕の探索者だったらしい。
そいつが何らかの理由により、【スキル】さえ封じる万全の警備態勢(二種類の何とかガス)を破って脱獄を成功させたようだ。
「あらあら大変。脱獄なんて物騒ね」
「ふむ……。これは普通の囚人のケースとはわけが違うな」
「探索者は一般人とは違うからな。ホーホゥ。身体能力一つとってもバケモノだぞ」
俺以外の二人と一匹も、ニュース速報を食い入るように見つめる。
よりによって大晦日に脱獄とか……クソ迷惑だな。
そんな脱獄囚の強面な顔写真(黒髪オールバックに三白眼、鋭い犬歯に威圧感のある顎)が出た瞬間、父さんも母さんも顔が凍りついていた。
「本当に恐ろしい話だな。……そういえば太郎。地上での【スキル】の扱いはどうなっているんだ?」
「ん、大体アウトだな。危険回避とかやむを得ない場合を除いて、一回でも発動したら捕まるぞ」
「うん? 大体って事は例外があるのか?」
「おう。例えばズク坊の【人語スキル】とか【絶対嗅覚】とか、『非戦闘系』はセーフだぞ。【気配遮断】は悪用できるから……ま、そこら辺の扱いは全部ネットにも載ってるな」
父さんの疑問に、俺はうろ覚えながら答える。
……そういや、ちゃんと把握してなかったな。
【モーモーパワー】とか戦闘系は分かりやすい一方、非戦闘系は複雑で、セーフなのかアウトなのか【スキル】によって判断が違うのだ。
「にしても、元凄腕なら余計に早く捕まえないとな。地上で暴れ回られての人間版『迷宮決壊』とか笑えないぞ」
探索者視点から見ると、せめてもの安心材料は超一流ではなく、あくまで一流の凄腕という点か。
加えてブランクもあるだろうし、白根さん達みたいに『単独亜竜撃破』を成し遂げた者でないのなら……もし運悪く衝突しても何とかなるか?
何て不安が頭をよぎりつつも、絶対に出会いたくないなー、と思いながらミカンを頬張る。
そうして、次の平和なニュースに移ったところで。
ぐぎゅるるー! と俺の腹が主張したので、
「つーか母さん。早く昼メシー」
「はいはい、今作るから。ズク坊ちゃんも人間と同じで大丈夫よね?」
「ホーホゥ。そうだぞバタロー母ちゃん」
「じゃあ、ちょっと早いけどお蕎麦にしましょうか。良い鴨肉もあるから――」
「いやだから母さん! 俺【モーモーパワー】!?」
「あっ、そうだったわね。鴨肉はダメで汁ものも極力避ける、ね。じゃあパパッとチャーハンにしましょうか」
そう言って、母さんはさっさと台所に入っていく。
……ふう、危ない危ない。
俺を無視してズク坊をモフるのは構わないが、さすがに半殺しにされるのはマジで勘弁だぞ……。
「『食問題』か。何度聞いても大変そうだな。父さんとしても一緒に酒が飲めないのは辛いが……まあ、そのおかげで仕送りをもらえているからなあ」
「うむ、感謝してくれよ父さん。息子は体を張って稼いでるからな」
「バタロー父ちゃん、俺も索敵を頑張ってるぞホーホゥ!」
複雑な顔をしている父さんに、俺とズク坊はうんうんとうなずく。
新卒としてはもちろん、大企業の重役と比べても俺達は儲けすぎているからな。
だから毎月、結構な仕送りは送っていて――目に見えて実家に変化が起きている。
庭にあるはずの古い軽自動車はピカピカのコンパクトカーへと進化を遂げて、
父さんのゴルフ用具一式も、素人目に見ても明らかにグレードアップしていた。
そして、年が明ければ……地中海のクルーズ旅行に行くらしい。
「オッホン! まあそれは置いておいて太郎よ。今日の夜は――何の番組を見ようか!?」
と、話題を変えた父さんが鼻息荒く俺に聞いてくる。
……さすがはテレビ離れとは無縁のテレビ好き。
ゴルフ用具や車は変わっても、特番だらけの年末年始を楽しみにしているところは相変わらずだ。
まあ、俺もズク坊もかなりのテレビ好きだけどな。
俺達は新聞のテレビ欄を開いて睨めっこ、チャンネルの行方を決める会議を始める。
「うぬぅ……。歌か笑いか格闘技かクイズか。毎年毎年父さんを悩ませるな……」
「せめて二つには絞らないと。ザッピングしすぎると本当わけ分からんしな」
「ホーホゥ。まあ録画すればいいから気楽に選べばいいと思うぞ」
「「あ、たしかに!」」
ズク坊の言葉に、人間である俺と父さんがなるほど! と気づかされた直後。
台所にいた母さんが、見覚えのない高そうな皿にチャーハンをこんもりと乗せてきて言う。
「はい出来ましたよー。ほら太郎、新聞はいいからテーブルの上を拭いて拭いて!」
真夏に冬の話を書いている違和感がすごい……。