三十七話 とある会話
ちょいと不穏な空気です。
「参ったのう。ついに日本でも起きると言うのか……」
木目調の机にイス、いくつもの掛け軸や骨董品が並んだアンティークな一室にて。
一人の老紳士はため息混じりに、机の上にあるテレビ電話に向かって話した。
男は日本の最高学府、東帝大学教授――国枝勝男。
この世界に現れて十年、いまだ解明されていない事も多い未知の存在、迷宮。
その研究分野において、日本における第一人者のお偉方だ。
『はい。今すぐというわけではありませんが、前兆は出ています。……いずれ必ず』
テレビ電話の向こう側にいる人物が国枝に返答する。
彼もまた国枝と同じく迷宮に関わる者だ。
公共迷宮攻略兼探索支援所連盟会長。
その肩書は長すぎるため、巷では『ギルド総長』と呼ばれている。
アメリカ、ロシアと渡り歩き、世界の迷宮を探索した経験を持つ専門家で、去年、日本のギルド総長に就任したエリート公務員……と、そんな個人情報は置いておいて。
今は迷宮研究の第一人者と、探索者ギルドのトップが話し合うほど、ある大きな問題が巻き起ろうとしていた。
「『迷宮決壊』……か。大変な事になったもんじゃ」
『ええ、本当に。言わば事前に予想された大規模な天災――政府も大騒ぎですよ』
テレビ電話会議の内容は、ずばり『迷宮決壊』について。
これは迷宮が世界各地に現れてから、世界中の人々が知っている、そして恐れている現象の事だ。
本来、モンスターというのは迷宮内から絶対に出てこない。
それは迷宮内にある濃い魔力、正確に言えば『特殊な磁力』によって活動範囲が限定されているからだ。
迷宮内外はもちろん、モンスターは自分の階層以外、上下の階層に移動さえしない。
……ところが、迷宮の磁力が乱れる事で、その絶対遵守のルールは消え去ってしまう。
それこそが『迷宮決壊』。
浅い層の小さなザコから、深層にいる火を吹くような強敵まで。
迷宮の出入り口が崩れて広がり、中からゾロゾロと地上に出てきてしまうのだ。
もはやそれは、地下という冥府から這い出た悪夢以外の何ものでもない。
「研究者として、未だ原因究明ができていないのは痛恨の極みじゃ。……してギルド総長、『経験から』猶予はどれくらいと予想する?」
『断定はできませんが早くて三ヶ月後、遅くても半年以内には起きるかと。このまま手を打たなければ……ヒューストンやモスクワと同じ道をたどるでしょうね』
かつてアメリカとロシアで起こった『迷宮決壊』を思い出し、ギルド総長の顔と声が曇る。
当時は今以上に迷宮の謎が多く、対策が遅れた事で悲惨な結果を招いてしまった。
多くのモンスターが迷宮から溢れ出し、またどちらの迷宮も『高難度』だったため……、
強力なモンスター軍団が地上を蹂躙。
核兵器こそ使わずに終息したものの、モンスターと兵器の激しい交戦で街は壊滅状態となってしまったのだ。
「我々人類は学んだのじゃ。また同じ過ちを犯すわけにはいかんのう」
『同感です。私達も持ち得るネットワークは全て駆使して本格的に動き始めましたので』
「そうか、我々学者チームはいつでも大丈夫じゃ。……して、肝心の戦力の方は揃いそうかのう?」
『迷宮決壊』で打てる対策は、モンスターを『狩りまくる』のみ。
現状では根本から防ぐ手段はない。
とにかく狩って地上に出さない、出しても少数に留めるといった方法だけだ。
『死んでもかき集めますよ。これまた場所が場所ですからね……』
ギルド総長はため息をつき、テレビ電話の前で目頭を押さえる。
今回、危機的状況になる舞台というのが――『岐阜の迷宮』。
岩手の『盛岡の迷宮』、沖縄の『那覇の迷宮』に次ぐ、まさかの日本で三番目の難易度を誇る迷宮だった。
出現モンスターの強さ、迷宮内の環境の過酷さのどちらも見ても厳しい場所。
今は高難度で危険な迷宮と知られ、腕の立つ探索者パーティーしか入らないため死亡率こそ低いものの……並の者達なら一、二層で全滅するレベルだ。
『自衛隊の『DRT』は当然として、やはり問題は凄腕の探索者をどれほど集められるかですね』
ギルド総長は考える。
今回の件、迷宮専門の『DRT』に加えて、民間の者達、つまり探索者も多く必要になると。
――もちろん、有象無象では意味がない。
不必要に命を散らすだけなので、高い実力を持つ者に限る。
日頃から強いモンスターを倒し、貴重な素材を持ち帰って大金を稼ぐ、国にとってもありがたい存在の者達だ。
彼ら凄腕探索者のおかげで、日本のみならず世界の景気は右肩上がり。
だから本来ならば、国もギルドも稼ぎに集中してもらいたいのが本音だが……、
事態が事態である。それこそ戦時中の赤紙のように、強制召集をかけなければならないだろう。
「パーティーなら『遊撃の騎士団』や『黄昏の魔術団』。ソロなら白根の小僧あたりは絶対じゃな」
『さすがは国枝教授、お詳しいですね』
「研究では世話になっとるからのう。ジジイが危険な迷宮世界を解き明かすには不可欠な者達じゃ」
国枝はアゴに蓄えた白ひげを撫でながら言う。
対してギルド総長は、うむ、とうなずいてから口を開く。
『なるほど。その辺の者達はギルドが管理するリストの上位ですからね。あと他に名前を挙げるなら……『ミミズクの探索者』も欲しいですか』
「ほう、それは初耳じゃな。『ミミズクの探索者』とな?」
『はい。『ハリネズミの探索者』白根玄と同じく、名前の通りミミズクを連れた探索者です』
ギルド総長は自分の言葉に興味を持った国枝に説明する。
『ミミズクの探索者』――。
まだ半年程度の新人探索者ながら、特定探索者となり、難易度の高い『上野の迷宮』をベースに活躍している期待のホープ。
【モーモーパワー】なる初めて確認された【スキル】を使い、武器を持たず己の体と鎧だけで戦う重戦士だ。
つい昨日上がってきた報告では、上位の探索者とそれ以下を隔てる『境界線』、あの凶悪なトロールを狩ったと聞いた。
それも二体。初挑戦で回復薬を一本も使わずに。
【火魔術】と【魔術武装】を持つ、これまた特殊な魔術師タイプの(近頃『火ダルマの探索者』と呼ばれ始めたらしい)探索者とパーティーを組んでいるが……。
それでもたった二人でトロールを撃破。
どうやら他の若手探索者とは格が違うようで、凄まじい速度で成長しているらしい。
「ならばもう戦力として数えられるのう。【スキル】も面白そうじゃし……人間を辞めた猛者達の仲間入りは確実じゃな」
『ええ、そう遠くない内に。確認は取りますが、場合によってはパーティーメンバーの魔術師にも声をかけるかと』
「うむ、それがいいじゃろうな。日頃から連携が取れた者がいればより安全に狩れるしのう」
国枝とギルド総長はテレビ電話越しにうなずき合う。
そうして立場は違えどお偉方同士、その他諸々の情報や意見を交換してから。
深刻な内容のテレビ電話を切った国枝は、「ふう……」と一息、立ち上がって教授室の窓から見える中庭を眺めた。
十年前から変わる事のない、いつもの日常の光景。
だがしかし、そんな地上とは裏腹に、世界中の人々の足下には異空間が広がっている。
『迷宮決壊』という天災が起きる危険と恐怖がありながらも……もはや人類の経済活動とは切っても切り離せない迷宮が。
「いやはやまったく。神か閻魔か、人が甘い蜜だけを吸うのは許さぬと言うわけじゃな」