三十五話 巨人の五層
舞台が東京に戻ります。
「ここからが本番って感じだな」
伊豆への遠征兼旅行を終えて、東京に戻ってきた週初めの月曜日。
俺達パーティーは寒さが堪える『上野の迷宮』四層、その奥にある下へと続く階段の前に立っていた。
「ホーホゥ。やっとすぐるの『火ダルマ』で温まらなくてもよくなるな」
「でも安心はできませんよズク坊先輩。ここから先は寒さこそないですが……先輩の言う通り、ちょっと今までとは違いますから」
それぞれスカーフにローブと装備を纏い、体力回復薬をグビッ、と飲んだズク坊とすぐるが階段下をのぞき見る。
誰が見ても分かるほど、ただならぬ雰囲気が階下から上がってきている。
単純に一層深くなるというよりも……ボス部屋に挑む感じに近い感覚だ。
その原因はもちろん、五層で待つモンスターに他ならない。
五層の住人、出現モンスターは『トロール』。
尋常ではない膂力で巨大棍棒を振るう、最小個体でも五メートル超えの怪物だ。
ネズミ色の肌にでっぷりとした腹、腕と足は筋肉の塊で、頭のテッペンはハゲ散らかしている。
そんな醜悪かつ屈強な、過去最大級&最強の恐ろしいモンスターだ。
「さてどうなるか。もしかしたら十一牛力の俺でも……真っ向勝負で押されるかもな」
「ホーホゥ。聞くに『スキル持ち』オーガよりも強いらしいからな」
「僕は特に気合いを入れないと……。ここがボーダーラインですしね」
――『上野の壁』。ここのトロールにはそういう異名がついている。
本来、『上野の迷宮』は上の下クラスの高難度な迷宮のため、他の迷宮と比べれば探索者の数はそもそも少ないのだが……。
五層を、トロールを越えていける者達はさらに少数。
だからここを突破できれば、待っているのはさらなる高み。
稼ぎの面でも獲得できる経験値の面でも、かなりの『違い』がある新たな世界だ。
「じゃあ、行こうか」
いざトロール狩りへ。
俺達パーティーは自信と不安が入り混じった足取りで階段を下りていく。
◆
――オオオオオ……。
五層に下りると、誰かのうめき声のように聞こえる風が流れていた。
違いと言えばそれくらいで、変わらず巨大で雑草まみれな迷宮が広がっている。
「ホーホゥ。百メートル先に一体いるぞ」
【絶対嗅覚】によるズク坊の索敵結果を受けて、俺とすぐるはコクリとうなずく。
ちなみに、すぐるは【魔術武装】で火ダルマモードではない。
魔術の威力と防御面を考えれば纏った方がよくても、初戦は安全に、できれば不意打ちで優位に立ちたいからな。
……というわけで、ヘッドライトも消して姿勢を低く進んでいけば……いた。
ズク坊の言った通り、T字路みたいな場所にトロールのバカでかい姿が。
しかも強者の余裕か、あぐらをかいて壁を向き、こっちには背を向けているではないか。
さらに情報通り、右手にはひょうたんに似た形の岩の棍棒を持っている。
巨大な体と巨大な武器のセットは、まだ俺より軽いと言っても凄まじい圧力だ。
「(まずはすぐるの『火炎爆撃』を。んで俺の『猛牛タックル』だ)」
「(了解です)」
小声で作戦会議をして、俺達は(特に俺は体重があるので慎重に)近づく。
そして残り十メートル地点で、すぐるが魔術を発動すると同時。
俺は射線に入らないよう注意しつつ、ガシャンと鎧を、ズシンと地面を揺らして走り出す。
グゴオ……!?
異常に気づいたトロールが声を上げ、振り向こうとした寸前。
鼓膜を激しく叩く爆発音と共に、解放された熱の塊がトロールの背中で爆ぜた。
魔術での先制攻撃は成功。
その熱と煙が完全に引く前に――殺人的な俺のタックルが牙をむく。
魔術でよろめき立ち上がりきれず、中腰だったトロールの尻にドゴォン! と。
全体重をかけた最大火力の『猛牛タックル』を、爆風の余波にも負けず叩き込んだ。
グゴ……ォ!
今度はハッキリうめき声と分かる声がトロールの口から漏れる。
だが……やはりそこはトロールか。
顔をしかめるも構わず立ち上がって、俺達を睨み見下ろしてきた。
「おい、普通に立つのかよ。背中と尻に一発ずつ入れたのに!」
攻撃を加えて接近していた俺は、急いでトロールの巨体から離れる。
といっても、その巨体&約三メートルの棍棒のリーチで、まだ十分に『射程圏内』なわけで――、
トロールが軽々と棍棒をブン回し、なぎ払うように左横から岩の塊が襲い来る。
「ッ!」
タイミング的にもサイズ的にも避け切れない。
俺は覚悟を決めて、両腕を突き出して受け止めにかかった。
ドスウン! と凄まじい音と衝撃が俺の全身に響く。
推定八・八トン、十一牛力のパワーと重さで耐え切れると思いきや、俺の体はふわりと浮いて壁に叩きつけられてしまう。
「ぐほお……ッ!」
「ホーホゥ!? バタロー!」
「せ、先輩……!」
俺が初めて弾き飛ばされた状況に驚いたのだろう。
間髪入れずに後方のズク坊とすぐるが驚きの声を上げた。
「……大丈夫だ。痛いけど一撃ノックアウトなほどじゃない」
弾き飛ばされたとはいえ、そこは闘牛十一頭分のタフさ。
加えて『ミスリル合金の鎧』のおかげもあり、ケガを負ってはいなかった。
「ホーホゥ。今のは冷や汗かいたぞ。――すぐる!」
「はい、ズク坊先輩ッ!」
俺が壁際で体勢を立て直す前に、ズク坊の指示からすぐるが二発目の『火炎爆撃』を発動する。
手持ちの魔術で最も魔力消費は高いが、相手が相手だから節約する余裕はない。
迫る紅蓮色に燃える球体状の炎の塊。
さっきと同じく鼓膜を震わす爆音が鳴り、俺に意識を向けていたトロールの胸に直撃した。
……だが、見た目以上に効果は薄かったらしい。
ぶ厚い皮膚は火に強いのか、火傷しただけで肉を抉れてはいなかった。
「でもOKだ。すぐる、このままどんどん撃ってくれ!」
「はい! 魔力の限り撃ちまくります!」
再びすぐるが発動を試みるのを見て、俺もまたトロールに突っ込むべく走り出す。
腰から上はすぐるの【火魔術】で狙い、俺はまず巨体を支える『足』を狙う。
そうしてダウンした後に、上半身への総攻撃! である。
あくまで連携でのトロール討伐作戦。
本当にヤバくならない限り、【過剰燃焼】には頼らないつもりだ。
「うおおおおッ!」
狙いは前に出ている左足。
このトロールは右利きなのでこっちの方が当てやすく、潰せばまともに棍棒を振れなくなる。
その棍棒が振り上がった瞬間。
俺は『猛牛タックル』を、すぐるは三発目の『火炎爆撃』をブチ当てた。
グゴォ……! と怯んだトロールの攻撃が中断される。
胸部は抉れておらず足も折れていないが、さすがにバランスは崩れたようだ。
そこへ前衛担当、重戦士な俺が追撃を開始。
体を回転させての変則的な『闘牛ラリアット』の連打を、左ふくらはぎあたりに叩きこむ。
唸る剛腕、猛る牛力――。
すると、執拗な一点集中攻撃の七発目に。
ネズミ色の肉厚な足の奥深くで、ボキン、と乾いた音が鳴り響いた。
「よし! これで足を潰せ――どぅごッ!」
が、相手はトロール。俺と同じくフィジカルが自慢のモンスター相手に、一方的とはいかなかったらしい。
左足が折れるとほぼ同時、強引に振るった棍棒が俺の上半身を捉えてきた。
左からの暴力的な一撃。今度はガードをしていなかったせいで、さっきよりも強く壁に弾き飛ばされてしまう。
……痛たた。これは少しマズったかもしれない。
いくらタフな肉体に頑丈な鎧を纏っていても、ガラ空きのノーガードでは厳しかったか。
感覚的には骨に異常こそ感じないものの……鎧を脱げば左脇の下あたりに結構なアザがあるだろう。
まあ、だからどうしたって話だけどな。
俺はまた駆け出して、すぐるの魔術の合間に片膝をついたトロールにタックルを決める。
まだ胸には届かず、どてっ腹には効果が薄そうなので、残る一本、右足だ。
左を潰してトロールが動けないのを利用して、比較的安全な背後から執拗な攻撃を加えていく。
そうすればものの一分で右足の方も役立たずになる。
胸の方はすぐるの炎で酷く焼けただれて、ようやく少し肉が抉れたところだった。
トロールは苦悶の表情を浮かべてのダウン状態。
左腕で巨体を支えながら、右手に持つ棍棒で何とか攻撃しようと振ってくる。
「いくらお前でも、そんな体勢からの振りじゃ大した威力は出ないよな!」
他の探索者にとっては脅威でも、タフさが売りの俺にとっては問題なし。
やっと体勢が落ちて射程圏内に入ってきた胸部に、俺はミスリル合金で保護された拳を叩き込む。
一発――十発――二十発と、しっかりと体重を乗せて一心不乱に叩き込む。
グゴ――ォ…………。
すると途中から反撃がなくなり、極太の腕がだらんと下がった。
上を見れば白目を剥いたトロールがいて、その巨体は棍棒を残してゆっくり後ろに倒れていく。
そうして、優に一トンを超える体が派手に地面を揺らせば――恐ろしい五メートル超の巨人モンスターはもういない。
……勝った。勝てたぞ。
これで『上野の壁』の異名を持つトロール撃破に成功だ!
ただ、トロールからの多くの経験値による身体能力上昇と、長い無酸素運動によって。
「……ゼェハァ。体は熱いわ酸素は足りないわ……もう超疲れたぞ」
むむむ……。どうしても強敵との戦闘では文字数が増えてしまうのが悩みどころです。