二百十話 滅竜作戦(5)
「ホーホゥ! ……まだか……まだなのかホーホゥ!」
黒竜との激闘が繰り広げられる巨大空間。
その戦場へと続く大階段がある砂浜に、ズク坊の焦りの声が響く。
すでに『滅竜作戦』は三十分が経過。
おおよその討伐想定時間は『一時間と少し』のため、もう半分近く経っている事になる。
「落ちつけズク坊、今のところは順調だ。脱落しちまった負傷者も一人だけだしな」
「ばるたん君の言う通りだ。まだまだ戦いは続くが、きっと皆ならやってくれるはずだ」
「まあ、焦る必要はないって事さ。……ほらズク坊君、友葉君から預かったバナナシェイクもまだあるから飲んで待っていよう」
ズク坊にばるたん、『DRT』総隊長の五門とギルド総長の柳は砂浜に腰を下ろして待つ。
ほとんどの者が砂浜時点での空気の重さに耐えかねて船に戻る中、ズク坊達一部の者はその場に留まっていた。
「ホーホゥ。……そうだな。バナナシェイクのおかわりでも飲んで待――って、またかホーホゥ!」
「ったく、アホなヤツらもいるもんだ。……ここがどこだか分かってやがるのか?」
と、ここでズク坊とばるたんからなぜか呆れの声が。
上空にはテレビ各局のヘリコプターが飛び、特に変わり映えのない島や砂浜を撮影しているのだが……そっちではなくて。
「『――止まれ! この海域は立ち入り禁止区域だぞ!』」
そう船の拡声器で自衛隊に注意されても、島に近づく小さなモーターボート。
……その正体はまず間違いなく、この歴史的な戦いをカメラに収めにきた輩だろう。
『滅竜作戦』が始まってから何隻も島に接近し、その度に自衛隊に捕まっていたのだ。
ちなみに、あと少しで砂浜に上陸できそうだった不届き者に関しては、
迷宮外ではあるものの、やむを得ず『DRT』隊員の【スキル】によって捕縛していた。
「人気の出ねえユー○ューバーか何かか? バタロー達の邪魔だけは勘弁……いや、どうせたどり着く前に失神しやがるから大丈夫か」
「ホーホゥ。とにかくお邪魔虫はこっちで退治するから――頑張るんだぞ皆!」
届かぬと知っていても、ばるたんの隣でズク坊は想いを乗せて叫ぶ。
日本が誇るあれほどの戦力ならば、相手が竜でも蹂躙はされないだろう。
とはいえ苦戦は必至。負傷者もこれで終わりと考えるのは楽観的すぎる。
「耐えろバタロー頑張れ花蓮! すぐるは痩せるほど撃ちまくれホーホゥ!」
再び叫んだズク坊は、ファバサァ! と翼を広げて琥珀色の瞳で大階段の先を見つめる。
――例えるなら目に見えない津波。
霧に隠れた上の戦場から伝ってくるその震動と音を聞きながら――手に汗を握って皆の勝利と生還を待つ。
◆
「ハァ……ハァ……ッ、もう一丁ッ……!」
疲れた。しんどい。帰りたい。
そんな負の感情を『勝ちたい』という何よりも強い感情で飲み込み、俺はひたすら黒竜の爪を受け止める。
あまりの衝撃に視界はブレて体が軋む。
それでも俺の心がいまだ折れないのは……決めた覚悟と仲間の頼もしさだけではない。
戦闘が始まってもう三十分以上。
押し潰されるような威圧の下、ここまで戦い続けて生き残って――たしかな『変化』があったからだ。
厚み以上の頑丈さを誇る漆黒の鱗。
加えてその下に隠れる肉部分も、少し柔らかくなってきている。
『肉質変化』。
四方から積み重ねたダメージによって、戦闘開始時よりもたしかに硬さが落ちていた。
もう五年以上前になるベルリンで行われた赤竜戦。
その時の情報と照らし合わせるに、竜の膨大な体力はもう『半分』を切ったはずだ。
『グロロォオオアア!!』
「ぐおぉッ……!?」
動きも鈍くなったまま。……にもかからず、なぜか落ちない攻撃力。
前進動作から勢いをつけた左右の連撃を受けた俺は、二発目の爪によって骨の兜をフッ飛ばされてしまう。
溜まった疲労とダメージはフェリポンが癒してくれている。
ところが精神的な疲れのせいか……ガードが緩くズレてしまったらしい。
「くそっ! 回収するヒマがないぞコレ……!」
おまけに絶えず響く轟音で耳もバカになってきている。
そんな中で立て続けにくる、獰猛すぎる噛みつきと視線の重力弾――。
受けずに避けた攻撃に関しては破壊の限りを尽くし、青い草原の戦場を土の茶色に塗り変えていく。
「――太郎さん! 兜を!」
その猛攻撃が終わってすぐ、後ろから俺の足元へと兜が滑ってきた。
声からしてヒノッキーのようで、同時に放ったのだろう【ヘイトボール】(大玉)が、土埃舞う俺の前方へと躍り出る。
「助かった! さすがに首から上を晒したままは怖いからな!」
即座に拾い上げ、再び頭からつま先まで全身鎧に戻って黒竜と向かい合う。
【ヘイトボール】に加えて梅西隊長(四メートル巨人)の【ピヨピヨハンマー】も決まったようで、幸い隙を突かれる事はなかった。
――そして互いに退かぬ全力の削り合いが再び始まる。
誰もが集中を切らさずに黒竜に立ち向かい続けるが……やはりそう簡単にはいかず。
後方チームに続いて、柊さん率いる右翼チームから負傷者を知らせる赤い発煙筒が。
そのわずか数十秒後、俺達正面チームからも負傷者が出てしまう。
「……くッ、すいません! あとは皆さん任せました……!」
そう悔しそうに言い残して、島根の『飛拳の探索者』が椿さんの【変わり身人形】で戦場を離脱する。
これで正面も戦力ダウンは免れないが……。
重力弾で足をやられただけで、命に別状がなさそうなのは救いだぞ。
『グロォ――ォアアッ!!』
「!? 今度は何――」
瞬間、黒竜が『変な間をあけた』咆哮をした。
多くのダメージを負ってただ咆哮が乱れただけと思ったが――それは違うと俺達は身をもって知らされる事に。
「「「「「!?」」」」」
黒竜を中心に放たれた『それ』。
おそらくは戦場の全方位に走った衝撃波を受け、重量級の俺、梅西隊長、八重樫さんのツインヘッドグランパスを残して皆が吹き飛ばされる。
いや何だよこのアホみたいな量の魔力は!?
明らかに今までの魔力混じりの強風とは違う、『魔力そのものが塊となって』襲ってきた感じだ。
もし名前をつけるなら、シンプルに『魔力開放』といったところか。
(またいきなり新技を使いやがって……! 皆は大丈夫か!?)
重さのおかげで踏ん張って耐えた俺は周囲を見る。
この技に関しては黒竜に『硬直時間』があったらしく、その間に振り向いて状況確認してみると、
誰一人としてダウンはしていないが――正直、マズいな。
全方位への攻撃ゆえか、威力は黒竜の攻撃にしては低いものの、
多くの者が表情を歪めて、胸や腹を押さえるなどして体勢が崩れている。
……多分、いや確実にこれは『貫通系』だな。
装備する防具を無視して体にダメージが入る、モンスターが持つ能力の中でもかなり厄介なものだ。
この抜けるような独特な感覚は……探索者人生で何度も経験したから間違いない。
「花蓮! しばらく俺はいい! 片っ端から皆に『精霊の治癒』を頼む!」
「了解だよっ! フェリポンいっけえ!」
『キュルルゥ!』
俺の指示に、一番後ろで周囲の状況を理解している花蓮とフェリポンが答える。
花蓮については当然、【煩悩の命】でLPが一つ減っただけ。
フェリポンは基本的にその後ろに隠れているから無事だった。
「――の野郎! ウチをフッ飛ばすとは……! 『貫通』もウザいし腹立つからブン殴る!」
「落ちつけ渡辺君。今のは見るからに苦し紛れの技だ。向こうも追い込まれている証拠だろう」
「ほっほっほ! 老体にはちと堪えたのう。……じゃが、まだまだ倒れてはやらんぞい!」
まだフェリポンの回復は受けていないのに、正面チームの主力組がすぐさま前に出る。
元々の身体能力+ビンタによるスピード上昇効果で、人智を超えた神速の踏み込み。
硬直時間から復帰して黒竜が動き出す寸前、反撃の一撃をそれぞれが叩き込んだ。
『キュルルゥ! キュルルゥッ!』
その間、ずっと鳴いて回復をしまくる我らが小さな妖精。
サポート役ながらまさに大活躍だ。
もしいなかったら今の『魔力開放』でチームは崩れていただろうし……そもそもここまで俺(盾)がもっていない。
「ああキッツイな! っとにコントローラーを握ってるだけとはワケが違うぞ……!」
決着は確実に近づいてはいても――まだその時はこない。
どちらかが倒れるまで続く血の匂いと死の可能性。
黒竜へのダメージは積み重なる一方、次の負傷者が草刈さんと白根さんの左翼チームからも出て、これで全チームから脱落者が出てしまう事に。
――それでも、無事を信じて歯を食いしばって全員が戦う。
攻撃。防御。回避。回復。行動阻害。
肉質が変化して硬さが落ちても、一人一人が役割を全うし、強引さは決して出さない。
特に攻撃担当はヒット&アウェイに徹してそれを繰り返す。
大きな隙が生まれた時のみ、勇気をもって一気に手数を纏めていく。
……だが、長く続く戦闘でついに恐れていた状況が生まれる。
梅西隊長のスタン攻撃でこれまで以上に黒竜がよろめき、巨体のバランスが崩れたまではいい。
それと同時、振るった左翼の竜巻攻撃がズレて俺達正面チームの方へ。
空中にいた葵姉さんは荒れ狂う風でダメージを負うと共に、空中でバランスを崩してしまう。
「しま――!?」
上下逆さま。――しかも黒竜に背を向ける格好だ。
また運悪く【空中殺法】で蹴れる回数も、竜巻攻撃を受けた瞬間に相殺され、全て使い果たした様子で――。
『グロロォオオオアアア!!』
わずかなスタン時間から回復し、黒竜が目の前の獲物を狙う。
ここまで俺を一番の標的として狙ってきたが――今の葵姉さんはあまりに『格好の的』すぎた。
咆哮と共に襲いくる噛みつき攻撃。
喰らえば簡単に噛み砕かれるだろうその一撃が、大口を開けて牙をむき出しに仲間に迫る。
(させるか!)
『牛力調整』で体重だけを減らし、俺は高速で跳んで葵姉さんのもとへ。
一瞬一秒を争う世界。
体当たりしないように注意しつつ右腕を掴み、黒竜が到達する寸前、
体重百トンオーバーに戻し、鬼の力が宿る葵姉さんの体を軽々とブン投げる。
「太郎、おま――!」
ギリギリの救出劇は何とか間に合った。
……だがここまで。さすがにもう俺に時間は残されていなかった。
――目前に迫った迫力ある黒竜の顔面。
黄金の瞳や鋭利な牙や禍々しい角を、魔力という名の暴圧を、兜の下から至近距離で感じ取ると同時。
上下から襲う凄まじい衝撃と共に――――俺の視界は真っ暗になった。