百八十二話 伝説の英雄
少し短めです。
『至高の探索者』――ノア=シュミット。
それは過去現在を問わず、全ての探索者の中で最も偉大な者の名である。
スイスの小さな農村に生まれたその男は、迷宮元年から探索者デビュー。
二十八歳の時に初めて『ローザンヌの迷宮』に潜り、以降誰よりも技と力を磨いて経験を積み、ヨーロッパ各地の迷宮に潜り続けた。
才能や【スキル】にも恵まれ、彼の手によって攻略された迷宮は数知れず。
世界一の探索者として、当時世界最強のパーティーである『不屈の魂』を率い、迷宮の歴史を作っていった。
人類で初めて単独で門番を倒し、その後は亜竜さえも乗り越えて『単独亜竜撃破者』に。
さらには、五年前のベルリンの地にて。
十三層の超巨大空間に居座った頂点捕食者――『竜』との戦いに挑んだ。
――すなわち、『滅竜作戦』。
圧倒的な個の力と統率力を有するノア=シュミットが、総勢六十一名の有力な探索者を集めて行った大作戦である。
……だが、そんな最強戦力を集めたパーティーでも……待っていたのは赤い地獄だった。
紅蓮色に染まる竜が持つ超常的な力に苦しみ、リーダーとして数多くの仲間を失ってしまう。
また自身も戦いの中で片腕を失い、さらには仲間を庇って片足までも失ってしまった。
それでも、一時間を超える死闘の末に、彼は最終的に竜を倒してみせた。
亜竜製の愛剣で、硬く太い竜の首を斬り裂いたのだ。
その瞬間、彼は人類初の竜の討伐者となった。
二つの所有【スキル】も最高到達点の『レベル10』に達し、さらなる高みへと上ったのだ。
「もう諦めていたのに……レベル10に到ったようだ。お前達よ、生きて帰って伝えてくれ。【スキル】を極めるには、やはり竜を倒さねばならないと」
竜を倒した達成感と、仲間を失ってしまった喪失感。
それら二つの感情とその言葉を残し、『至高の探索者』ノア=シュミットは仲間達に搬送される最中、その生涯に幕を閉じた。
――あれから五年。本国スイスに帰り眠った伝説の英雄は――再び『ベルリンの迷宮』に舞い戻った。
漆黒の体と纏う装備を除けば、姿形はそのままに『一体のモンスター』として。
不屈の魂は、時を超えて今、蘇った。
◆
「……ノ、ノア=シュミットだと……?」
後ろのすぐるの声を聞いて、俺は表面上は冷静を装いつつも――内心は凄まじく動揺していた。
ノア=シュミットって――あのノア=シュミットだよな?
新時代の旗手として、迷宮の歴史を先頭になって作っていった、誰もが知る『至高の探索者』だよな?
だが当然、その偉大な先輩探索者はすでに故人となっている。
生前の偉業を称えて、ベルリンの担当ギルドには立派な銅像も建てられている。
――の、はずなのだが……。
「何だ……何だっていうんだ! この黒いノア=シュミットはホーホゥ!?」
同じく、現れた人型モンスターを確認して。
上の方から、気配を消したズク坊のどよめきの声が迷宮内に響く。
『黒いノア=シュミット』……まさにその通りだ。
黒い皮膚の上になぜか装備された、探索者のものと思われる軽鎧と大剣。
そんな姿でいるヤツの肝心の顔は、真っ黒だろうと何だろうと、あのノア=シュミットだったのだ。
凛々しい眉毛。筋の通った鼻。整えられた口周りの髭。
どこかで見たような気がしたのは、担当ギルドで本人の銅像を見たからだろう。
『…………』
そして、その黒いノア=シュミットはというと。
不気味に黙って突っ立ったまま、俺達の方をじっと見ている様子で――。
「なっ!?」
「ホ、ホーホ……ゥッ!?」
「ぐぅッ!?」
――その時、俺達がいる丘の上の空気が一変した。
まるで重力が増したかのように突然、ズシリと重くなった空気。
それを受けて俺以外、ズク坊とすぐるの口から苦しそうなうめき声が上がった。
さらに、もう一つ。
圧し掛かるような重い空気に加えて、沸々と心の中の『怒り』を刺激され、しっかり気を持たないと冷静さを失ってしまうような変な感覚が。
……おいおいウソだろ? まさかコレ――『亜竜の威厳』か!?
『単独亜竜撃破者』だけが使える、究極の威圧技を何でコイツが……!
まさに理解不能。意味が分からない。
こちとら突然の黒いノア=シュミットの登場にすら、まだ理解が追いついていないってのに……!
『…………』
一方、そのオーラの元凶はまだ動かない。
黒一色の不気味すぎる視線は、『亜竜の威厳』を受けても、ほかの二人と比べれば動じていない俺の顔に向いている。
「……冗談だろ。お前一体、何なんだよ?」
ただ姿形を真似している、というだけならまだ分かる。
なのにこの存在感と威圧感、対象の怒りを呼び起こして冷静さを失わせる個性を持つ、この正真正銘の『亜竜の威厳』は――。
『――――』
「!?」
と、ここで初めて黒いノア=シュミットが動いた。
身の丈ほどある、鞘なしのミスリル製と思わしき大剣。
その柄を掴み、纏う軽鎧の背中にあるストッパーか何かから外して構えたのだ。
しかも、その構えが。
両腕で大剣を持ち下段に構えたそれは、飾られた銅像と全く同じものだった。
……本物を見た事など当然ない。そして目の前のコイツは、決して本物などではない。
だが、大剣を構えた姿と雰囲気をいざ間近で見せつけられると……。
「ズク坊、すぐる。ちょっと二人共――マジで下がってろ」
「ば、バタロー……!」
「先輩……!」
俺の探索者としての本能が、『最高レベル』の警鐘を鳴らしたので。
二人に指示を出して、俺はリュック型のマジックバックを足元に落とす。
正直、まだ何がなんだか分からない。
ただ確実に言えるのは、今の状況は去年のクリスマス――亜竜・妖骨竜を前にした時と『似たような状況』という事だ。
「ここまで順調だったってのに……【過剰燃焼】!」
ならば、まず俺が取るべき行動は決まっていた。
【モーモーパワー】の相棒である、もう一つの頼れる【スキル】を発動。
全力状態で倍の牛力となる、『百三十二牛力』へと引き上げる。
ズズゥン! と一気に体を重くさせ、妖骨竜の兜越しにアンノウンな敵を睨む。
だが、軽く百牛力を超えた状態になったというのに……いつもみたいに圧倒できそうな感覚は微塵もなし。
……いや本当、この明らかにヤバイのはどこからやってきたんだよ?
個人的にはやはり、次の『八層』が怪しいか。
一月近く『空の階層』化していた『変動の階層』。その情報をギルドで聞いた時に多少、気にはなっていたからな。
こうして邂逅した今、もはや逃げるという選択肢はない。
本物の『亜竜の威厳』が使えるなら、持っている実力も本物の可能性が高い。
日本を代表する探索者となっても、こんなヤツに背中を見せて逃げるほど……そんな勇気と愚かさは持ち合わせていない。
「フゥー、」
推定『百五・六トン』にも及ぶ体を落とし、迎え撃つように低く半身に構える。
今回はすぐるもいる。だが、相手を見たら俺がやるしかない。
『亜竜の威厳』が発動される中、俺は鎧の下に嫌な汗をかきつつも――腹を括った。
「こうなりゃ仕方ない。ならやってやるよ、英雄の偽物め!」