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百五十二話 僕だって探索者に

「よし。……いこう」


 男は決意を胸に歩き出した。


『新人セット』の防具を纏った姿で、担当のギルドから少し移動。

 公園内にある隕石のような巨岩、そのファンタジーな世界へと続く入口の前に立った。


『横浜の迷宮』。

 初心者向けとして有名な迷宮であり、今も昔も多くの新米探索者がやってくる場所だ。


「僕も『もう一度だけ』。経験はしているんだから、きっと大丈夫なはずさ」


 男は自分自身に言い聞かせる。

 だが声も体もわずかに震えていて……中でも右手の震えだけは明らかに大きかった。


「……、」


 男は逃げずにしっかりと見る。右手という自分の『挫折』を。


 五本あるはずの指は三本のみ。

 薬指と小指の二本が、根元の部分を少し残しただけで存在していなかった。


(本当に、どうしようもなく情けない話だよな……)


 男の指が不自然にない理由。

 それが目の前にある『横浜の迷宮』だ。


 一年と少し前、男は一度この迷宮に潜っていた。


 大学の単位は十分で卒業論文の準備も完璧。

 実家からの支援は授業料と家賃だけで、生活費はアルバイトをして自分で稼いでいた。


 そんな真面目で優秀な学生だったが――なぜか肝心の就職活動だけ。

 周りの友人達がいくつも内定をもらえる一方、男だけが連戦連敗。


 過去の人生を振り返っても、例にないほど全く上手くいかなかったために。


『探索者という道もあるんじゃないか?』


 男はふとそう思って、リクルートスーツから『新人セット』に変わった時があったのだ。


 ……しかし、結果は男の右手の現状が示す通り。

 一層に出現するパンクリザード。【スキル】がなくても『普通なら』倒せる最弱のモンスターを相手に、酷い立ち回りから元に戻せない大きな傷を負ってしまう。


「才能がないのは分かっているさ。……けど」


 男は一歩踏み出す。

 すでに震えは止まっており、その踏み出した足には力強さがあった。


 ――今日という日は、偶然にも男が一番憧れている探索者がデビューした日と同じ。

 その前日に何の因果か本人と出会い、現実逃避から生まれた夢であっても、眠っていたそれがまた目を覚ました。


 だから男はすぐに動いた。

 決意を新たに、誰に笑われようと探索者として再デビューすると決めたのだ。


「僕だって探索者に」


 踏み出した足と同じく、言葉に力強さを乗せて。


 男は人生二度目となる、危険で過激な迷宮の世界に足を踏み入れていく――。


 ◆


 探索者という職業は『夢のある職業』だ。


 死と隣り合わせではあるものの、アスリートとは違って幼少期からの経験は必要とせず、

 何歳から始めたとしても、億万長者になれる可能性を秘めた職業だ。


 もちろん、実際に億万長者にまでなれる者は少数である。

 それでも『ある程度』までなら、『誰にでもできる』ものとされていた。


 ……だが、どうやら『例外』というものは迷宮の世界にもあるらしく――。


「く、そぉ……! どうして僕だけこんな……!」


 結果から言えば、男はまたも『失敗』した。


 一年と少し前、一度目の探索の時と同じように。

 男は苦悶の表情でドクドクと血が流れる右手を押さえながら、パンクリザードから逃走していた。


 壁が淡く発光する薄明るい中、もう追ってはきていない。

 あまりに弱くて興味を失ったのか? 幸いにも途中で見つけた別の探索者に標的が変わり、男は戦闘から離脱するのに成功していた。


「ぐう……!」


 しかし、『失った指』は決して戻ってこない。


 今回は何とか右手中指の一本だけ。

 それも根元からやられた前回と比べて、第一関節から先しか噛みちぎられていない。


 ……とはいえ、だ。


(ここは初心者向けの迷宮で、しかも一層で! 相手も単体だったのに……!)


 あまりの自分の不甲斐なさに、男は唇を噛みしめる。

 その唇からは血が少し出てしまっているも……指の痛みや悔しさで気づかない。


 ――原因は男も分かっている。

 飛びかかられて左のダガ―で斬ろうとするも、狙いが外れて相手の後ろ足を少し斬っただけ。


 そこで慌ててしまったのが全てだ。

 一度目の攻撃は何とか回避するもバランスを崩し、立て続けに飛びかかられて――遮るようにとっさに右手を出してしまった。


 そして噛みちぎられてしまう。今思い出しても当然の結果だった。


「やられ方も前と全く同じ。本当に僕は学習能力が……! 面接での自己アピール以上に、探索者には向いていないのか……?」


 運動神経は少しだけ悪く、身体能力も同世代の平均よりは少し下。


 ただ、問題なのはその二つではない。

 似たようなスペックの者でも、探索者としてデビューに成功した者は数多くいる。


 男が探索者として『決定的にダメ』なのは、すぐに慌てて自滅してしまうところだ。


「ッ、とにかく出口の方へ……」


 男の心はもう折れていた。


 少し前まであった強い決意は消え去り、今はただ他のパンクリザードに怯えながら。

 ほとんど引きずるような重たい足取りで、地上へと引き返そうとする。


 ……もし男が酷い人間や悪者だったら笑えただろう。

 だが真面目で礼儀正しく、学生時代から模範的な生徒だった男のその姿は――ただただ痛々しいだけだった。


「おい。その傷大丈夫か? ちょっと見せてみろ」

「あ、はい……」


 地上に戻る途中、男はモンスターではなく他のソロの探索者と出会った。

 血を流していたところに声をかけられ、男は猛烈な恥ずかしさを覚えつつも、痛む指の傷を見せる。


「ふむ、さては二層のウォリアータートルに指を弾き飛ばされたな? すぐに手当てしてやるからちょっと待ってろ」


 迷宮内で出会った探索者は良い人物だった。

 救急キットをリュックから取り出すと、慣れた様子で男に消毒と止血を施してくれる。


「おっし。ひとまず応急処置はこれで十分だな」

「す、すいません。助かりました」

「なに気にすんなって。迷宮内は助け助けられてだぜ。アンタも俺と同じ『新人セット』だからデビューしたてだろ?」

「はい。今回でまだ二度目でして……」

「やっぱりな。だと思ったぜ。しかもソロなのに……ったく、下手に二層に挑戦する前に一層で鍛えてからいけよー」

「あはは……。そうです、よね」


 頭を下げて礼を言い、男は手当てをしてくれた心優しき探索者と別れる。


 男は礼を言えても、『真実』だけはとてもじゃないが言えなかった。


 ここ一層で、パンクリザード相手に大きなケガを負ってしまったなどとは。

 一年と少し前とはいえ、前回の苦い経験が全く生かされていなかったなどとは。


(もうこのまま戻るしかないのか……。結局、一体も倒せずに)


 さらに心の中で盛大なため息をつき、男は再び歩き出す。


 迷宮も探索者もこれで終わり。自分はあの人のようには決してなれない。


 夢は叶わないから夢なのであり、そもそもきっかけは、就職活動から逃げるためだったのだ。


「こんなダメで情けないヤツは……当然の報いだよな。もう、いつもの日常に戻ろうか。今日はバイトを休ませてもらったし……また履歴書も書かないと」


 ファンタジーの世界から現実の世界へ。

 金銭的にも人間関係的にも良好とは言えないが、無様に死ぬよりまだマシだよな、と。


 男は自分の可能性と痛む指を冷静に受け止めて、探索者という夢を置いていく。


 ――だが、その負の決意からわずか数分後。


 男は挫折しか味わわなかった迷宮で――『運命の出会い』を果たす事となる。

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