百五話 女オーガの格闘教室
「ちょ、ちょっとタンマ! 姉さんちょっとタンマぁああ!」
十四層で攻略を止めていたダンジョンアスラを倒し、とりあえず一区切りついた翌日。
迷宮での探索がお休みとなったので、俺は岐阜の観光に出かけようとした。
……が、しかし。
俺の今の声をお聞きの通り……観光は一ミクロンもできていない。むしろ真逆の展開である。
「オラあ太郎! 何よそのブレブレの蹴りは!? 全然手数も少ないし――ガードも下がってる!」
そう声を荒げるのは、『北欧の戦乙女』の副リーダーの葵さんだ。
ロープに囲まれた『リングの中』で、ヘッドギアとグローブをハメて『対峙』している俺に、ナイスミドルキックを飛ばしてくる。
「ぐぬぅッ……!」
ガードに回した腕から伝う衝撃。そして俺の情けないうめき声が響く。
……もうお分かりだろう。
現在、俺は葵さんと格闘技のジムで『スパーリング』を行っているのだ。
こうなった経緯はしごく単純で、
「太郎。アンタ【モーモーパワー】でのゴリ押しはいいけど、基礎の格闘技術がまるでなってないじゃないの!」と、お叱りを受けて有無を言わさず休日返上。
朝早くからホテルにお迎え(今日は黒のハマーだった)が来て、ジムに連れてこられたというわけだ。
「――シッ! シッ!」
「ぐほぉ……!?」
で、そんな俺が滅多打ちされているのは、岐阜市内にある『北欧の戦乙女』メンバーもトレーニングに使う探索者専用のジムである。
探索者と一般人では身体能力が違いすぎて、同じ体格でも一緒にやるのは危ないからな。
ここみたいに完全に別か、時間帯で分けているジムがほとんどだ。
――って、んな悠長に説明している場合じゃないか!
今も葵さんの強烈な右ローキックが直撃。硬いすね部分が俺の太ももに決まり、左脚がガクン、と落ちそうになってしまう。
格闘技を学んでいるわけだから(あとそもそも迷宮の外だから)……当然、【スキル】など使っていない。
純粋に探索者としての身体能力だけ。
だから俺より探索者歴が全然長い葵さんの方が体は強く、かつ格闘技術も圧倒的な差があるため――こういう展開になっていた。
「ハァハァ……す、すんごい体に響くな。こんなに打撃って効くもんだったっけ……?」
「あったり前でしょ。大体、闘牛二十八頭分のタフネスって何よ。【モーモーパワー】の恩恵に体が慣れすぎたわねん太郎ッ!」
無意識にぶつぶつ言った俺の呟きに対して。
葵さんがジャブの連打――プロボクサーのストレートくらいは余裕である、強烈パンチを見舞いながら返してくる。
……うん、もう打たれ続けて痛いほど理解しましたとも。
強い。強いよ葵さん。
筋肉質でもそこまで太くない腕や足はただの見せかけ。もうパンチもキックも重いわキレッキレだわで、ガードしても普通に上からダメージが入ってくるぞ。
中でもスゴイと思ったのは、パワーでもスピードでもなく『反応速度』だ。
何とか踏ん張って打ち返しても、笑えるくらいに全て空振り。
もしかしてこの人、弾丸さえも避けられるんじゃ? と思わずにはいられないほどのレベルだった。
「(ッ! また当たらん!)」
とてもじゃないが、俺には逆立ちしたって真似できない回避である。
パワーやスピードとは違い、おそらく長い探索者生活で得た経験値の差に加えて、
常日頃から闘牛のタフネスで受けまくっていた俺だからこそ、ここまでのエグイ反応速度の差があるのだろう。
つまり、【スキル】を使わなければ何もかも、反応速度をはじめスピードもパワーも技術も葵さんの方が上。
加えて、ずっと手合わせしたいと言っていたから……まあやる気も満々だ。
一切の手抜きなく、まるで対等な相手と拳を交えているみたいに。
本気の構えで全力の踏み込みからの、フルパワーの一撃で打ってきている。
「ホーホゥー。がんばれバタロー、やり返せー」
と、もう何度目かも分からない、コーナーに追い込まれた俺に向けて。
リングの外から、何だかいつもより力の抜けたズク坊の声がかかった。
葵さんの鬼畜ラッシュの打ち終わりに、背中がくの字に曲がったまま、チラリと横目で見てみれば……。
ジムの中にあるベンチに座る緑子さんの『膝の上』。
そこにすっぽりと座って、バナナシェイクも緑子さんに持ってもらいながら……左右にいるお姉様(エロ系美女とアニメ声美女)に額を撫でられているではないか。
――う、裏切ったなズク坊貴様ッ!?
『あんまり葵が鬼コーチなら俺からも言ってやるぞホーホゥ!』とか言っといて、
いざジムに来たら、好物と額を撫でられてご機嫌に観戦しているだけじゃねえか!
「コラァ太郎! よそ見ッ!」
「ぐえッ!」
そのわずかな隙を見逃されるはずもなく。
朝ドラヒロイン風な美女から、マイク○イソンみたいな剛腕パンチが俺のボディーに。
打たれたのはガラ空きだった急所のレバーだ。
斜め下から突き上げられた結果、息が詰まるような苦しさから俺はダウンを喫してしまった。
さ、さすがは女オーガ……いや『北陸の葵総長』だぜ……。
なるほどこうやって、北陸の生意気な若手探索者はシメられてきたのだろう。……俺に関しちゃ生意気言ってないけど(泣)。
――そうして、複数の美女達がいて、男臭さとは無縁のリング下とは真逆。
鬼が暴れ回るリングの上で、三分三ラウンドの地獄のスパーリングが終わったところで。
【過剰燃焼】を発動した時以上のヘトヘト(&ボコボコ)になり、力なくコーナーポストにもたれ掛かった俺に、
「フフッ、お疲れさま太郎君。ウチの葵は容赦ないでしょう? とにかくしっかり水分を取ってね」
リングサイドまで来た緑子さんが、ペットボトル(ミルクティー)を差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます! これしき全然大丈夫ですハイ!」
即行で礼を言って、差し出されたペットボトルを受け取る俺。
酸欠で若干、ぼーっとする頭の中で――たしかに俺は『体感』した。
なるほど……コレか! コレが噂に聞くアレか!
部活のエースと美人マネージャー。選ばれし者しか経験できないという、青春を代表するシチュエー――。
「ほらさっさと飲みなさいって太郎。休憩は『一分』よ。スパーで弱点は分かったから、そこを徹底的に鍛えるわよん」
「なぬッ!? い、一分だけ……!?」
「いやだって太郎アンタ、『全然大丈夫』って今言ったでしょうが」
と、葵さんの口から鬼のような発言が。
いや言ったけども! クソ美人なお姉様を前に、クソ非モテ男がただカッコつけただけって分かるでしょうが普通!
そんな俺の心の抗議もむなしく、ヘッドギアを外してグローブはつけたまま。
俺は怒られる前にミルクティーを飲んで水分補給をすると、リングから下りてサンドバッグの前へ。
このサンドバッグも、当然ながら身体能力に優れる探索者専用のものだ。
モンスターの革にモンスターが吐いた砂を詰めたという、表面も中身も迷宮産の頑丈なサンドバッグである。
そうして、あと十数秒だけ残ったクソ短い休憩時間の間に。
汗ダラダラで体のあちこちが痛む中――俺は誰にも聞こえないようにボソッと言う。
「(こんな形の美女との触れ合いなどいらん! 誰か他の飢えた戦士よ変わっておくれ……!)」
[悲報]主人公、俺TUEEできず。