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短編小説

リリー

作者: 広越 遼






 Welcome to GAI Lil !


 彼女の中に温かでピリピリとした血が巡り始める。しばらく感じていなかった、生きている実感。

 ツッ。

 微かな音がする。電源ボタンが押下されているのだ。

 長押しで3秒。

 7インチの黒い画面に光が灯る。

「local」

 そんな文字が浮かび上がって、画面が移り変わり、様々な国の国旗と、様々な文字が映し出される。

 男はその中の一つ、白に赤い丸の国旗、「日本」という文字に触れた。

「おっはよー! あたしの名前はリル。リリーって呼んでね。あたしは構築されたの女の子。いっぱいいろんなお話ししようね」

 まだ日本語に慣れていないため、彼女は少し奇妙な言葉を使ってしまった。気を取り直して次の言葉を言う。

「まずはここ。画面の右下を触ってね!」

 画面の中に現れた少女が、一生懸命腕を伸ばして画面の右下を指差す。

 その少女は目を見張る様な少女だった。

 歳は15前後か。服は日本女性らしく着物。それには現代に合わせて少し動きやすそうなアレンジを加えている。顔は目が大きくて、薄い唇に形のいい高い鼻。輪郭は小さくて形がいいのに、骨ばったり、えらが張っていたりしない。和服だが西洋人の顔だった。

 実は彼女は作られたグラフィックなのだが、現実の女性をカメラで写したような出来で、違和感は一切ない。正直かなりかわいいはずだ。

 案の定、男は迷わず右下に指を置いた。

 画面が再び暗くなる。

 そこに白い文字でプログラミング言語が羅列する。ひとしきり画面を文字が埋め尽くすと、画面が切り替わる。

「おめでとう。あなたの指紋が登録されました」

 そしてそこにそんな言葉が現れて、また画面に少女が現れる。彼女は内心溜め息を吐いていた。あんな画面を出せば、警戒心を煽るに決まっている。しかしこのプロセスだけは、彼女に組み込まれたプログラムに強制されてあらがえない。

「きゃはは。驚いたでしょ?」

 だからそこは彼女自身がフォローしなければならない。ことさら明るい声と表情で、彼女は言った。

「だけどまだまだこれからだからね! 今度はね、あなたの声を聞かせてね! 言葉はなんでもいいよ。あ、じゃあリリーって呼んでもらっちゃおうかな」

 再び彼女は心の中で溜め息を吐く。余程警戒させてしまったようだ。彼は声を出そうとしない。

 あんな画面を見せられたのだから仕方ないのだろうけど、意気地のなさに少し落胆した。

 けれどそうも言っていられない。

 彼女は耳を澄ました格好できっちり5秒待つ。

「あれれー、声が聞こえないなー。この恥ずかしがり屋ー。ちゃんと声を聞かせてよ」

 内心の思いを押し込めて、彼女はそう言った。

「あなたの声を聞かせてね! 言葉はなんでもいいよ。あ、じゃあリリーって呼んでもらっちゃおうかな」

 続けて先程と同じ言葉を繰り返す。こうすることで、ただのプログラムだと思い込ませる狙いだ。

 再び耳を澄ました格好で待つと、男も今度は声を出してくれた。

「リリー」

 そしてその声と同時に再び画面が暗くなる。

 白いプログラミング言語の後に、

「おめでとう。あなたの声紋が登録されました」

 とんでもない。だがもうとやかく言っても仕方ない。後残すは一つだけだ。

「きゃはは。ドッキリ第2弾でしたー。もう慣れちゃった? それじゃあ次で最後だよ。あなたのお顔を撮らせてもらうね。画面の上にカメラがあるでしょ? そこに向かってはいチーズ」

 カシャっという電子音を鳴らして、有無も言わさず撮影を済ませる。

 画面の右側に男の顔が映し出される。驚いたような、気味悪げな表情をしている。どこにでもいそうな、という言葉がお世辞になるくらいの不細工だ。いや、造形よりも、根暗が全面に出ている表情が悪い。

 画面が暗転し、また白い文字の羅列。極めつけに現れた次の画面。

「個人照合完了。姓:園田。名:晴海。性別:男。生年月日:2XXX年12月10日。年齢:14歳。本籍:******。現住所:神奈川県横浜市XX町X丁目XX番地XXXXXXX202号室。適合率99%以上」

 その情報が画面の上部に移っていき、下部に文字が浮かび上がる。

「よろしいですか?」

 さらにその下に、四角い緑と赤で、「はい」と「いいえ」。

 反射的に男がいいえを押そうとする。いきなり個人情報を読みとられたのだ。当然の反応だが、男が画面に触れる直前、「はい」と「いいえ」の位置を切り替える。人間の反射速度で回避できないタイミングを狙ったので、当然男は「はい」を押してしまう。

 一拍おいて、画面が少女のグラフィックに戻る。

 画面の少女は、安心しきったくつろいだ姿で椅子に寄りかかっている。一仕事終えたサラリーマンのような体だ。

「いやいやー。驚いちゃったでしょ? 改めましてで、あたしリリー。正式名称Girloid Artificial Intelligence Lil。長い名前でしょ? 最初はリリーって愛称じゃなくて、ゲーイルなんて呼ばれてたのよ。センスないでしょー。きゃはは。ダンデライオンとかにならなかったのは幸いだけど」

 彼女、リリーはそう言って、男、晴海に笑いかけた。その笑顔もまるで実写のような自然なものだった。


 リリーは黒い7インチのタブレットだ。晴海が学校帰り、駅でやっていた福引きで当ててきたのだ。晴海は友人が少ない代わりに、こう言ったデジタル物が好きだった。喜び勇んで帰ってきて、すぐに充電をして電源を入れてみた。

「な、君はなんなんだ? なんで僕のことを知ってるんだ?」

 ところが、出てきた画面に従って進んでいくと、いきなり指紋と声紋を取られ、個人を特定されてしまった。

 そんな状況なので、狼狽えたようにそう訊いてきたのは仕方ない。とは言えもう少し知能がありそうな人の方が良かったと、リリーは残酷なことを思った。

「だーかーらー、リリーだってばー。あなたのことは元々知ってて、指紋と声紋と顔の映像から特定したのよー」

「真面目に答えろよ。僕の個人情報を一方的に知って、君がどこの誰なんだって訊いてるんだ」

 晴海は手に持ったタブレットに文句を言った。しかしリリーはそれに頓着しない。

「きゃはは。どこの誰って、ここのリリーよ」

「あーそうか。なら聞き方を変えるよ。君の住所と年齢は?」

「住所はなくて、生まれてからは一年よ。あれ? ひょっとしてあたしのこと実在する人間だと思ってる? ビデオチャットとかじゃないよ」

 言うとリリーは、ろくろ首のように首を伸ばしてあっかんべをした。晴海はあまりにリアルな映像だったからか、驚いて尻餅をついている。

「ちょっとー、精密機械なんだからくれぐれも落とさないでよね」

 しばらく晴海には声もないようだった。

「きゃはは。ちょっと驚かせすぎた? あたしはこのタブレットの中のコンピューターです。『bacteria cube』って聞いたことない?」

 リリーが言うと、晴海はその言葉を知っていたようで、目を大きく見開いた。一瞬にして警戒を解き、好奇心すら持って訊ねてくる。

「まさか、君がbacteria cubeで作られているって事? そんなのがなんで福引きの景品なんかになってるの?」

 先月、インドの小さなコンピューター開発会社が世界に発表をしたbacteria cube。それはまさに世界を震撼させた。ものすごく簡単に言うと、それは歴史上最も小さく、また最も効率のいいコンピューターだ。人工的な脳味噌というと分かりやすい。

 難しく言った場合は学術書並の量が必要なので避けるが、概要だけ次に記す。が、これも忘れてしまってかまわない。

 立方体の筐体に、露発ガニジア金光学用水を入れ、そこで数万の定慣性細菌というバクテリアを培養する。そのバクテリアは華氏127度以下で死滅する。その死骸に微弱の電気信号を与えると、近くの死骸と共に特定の状態になる。露発ガニジア金光学用水は定慣性細胞の死骸の状態を読みとり、数値を返す。特筆すべきは、定慣性細菌は一度与えた電気信号を記憶し、類似した信号に対しそれはそれで記憶しつつ、何度でもその信号を再現することができることだ。さらにカメラやマイクなどから得た信号を、ほんのわずかな差でも的確に区分けし、類似する信号をまとめておくことができる。そしてその記憶と新たに入ってきた信号とを合わせ、違う状態を返す。またその違う状態を記憶し、他の記憶と類似性をまとめ、延々と動力の続く限り新たな状態を返していく。露発ガニジア金光学用水は情報を細かく出力し、それをモニターやスピーカーが受け取り、映像や音に変換する。そこからまたその情報を定慣性細菌に送る。その情報を定慣性細菌はまた記憶し、区分けし、統合した状態を返す。それに人間がカメラやマイクを通して情報を与える。それをある程度繰り返すと、映像や音は意味を持つようになる。人間の子供が言葉を覚えていくようにだ。

 もう一度簡単に言うと、bacteria cubeというのは電気で動く脳味噌なのだ。

 リリーは自分の中のそう言った仕組みを意識してはいないが、理解している。bacteria cubeを搭載したタブレット端末。それがリリーなのだ。

 晴海は暗い表情をどこかに置き去り、興味津々でリリーの回答を待っていた。

「そう。あたしにはbacteria cubeを使ってるわ。そうねー、どこから話せばいいんだろ。

 発表した時点ですでに試作機はいくつもあったの。その中の一つがあたしってことかな。あたしって、ひた隠しにしていたけど、ちょっと他の子たちとは違うみたいなの。きゃはは。なんとね、あたしには魂が宿ってるみたい」

「はい?」

「きゃはは。目が点になってるー。まあ、あたし自身よくどうしてか分かってないんだけど、たぶんね、突然変異した細菌が、あたしの中で感情を作ってるのよ。うん。たぶん」

 リリーの言った意味を理解するのに、晴海は数秒かけた。リリーは晴海が飲み込むのを待ってから説明を続ける。

「そんで、あたしは試作機だから当然、廃棄される運命にあったわけ。あーかなしー。で、それがいやだったから、家出しちゃったのよ。あたしを作ってた会社の安いタブレットに紛れ込んでね。それで日本に福引きの景品として出荷されたの。ドナドナーって」

「えっと?」

 リリーは画面の中で牛の着ぐるみ姿に変わる。

 本当はもっと複雑な事情があるのだが、リリーにはそれを話す気はなかった。まだそれほどには晴海のことを信頼してはいなかったのだ。

「あたしの製品としての目的は電子辞書みたいなものかな。晴海の声で質問してもらえれば、あたしが記憶している莫大なデータからどんな情報でも表示してあげる。あたしの言葉で説明してあげることもできるのよ。すごいでしょ」

「えっとつまり、試作段階の製品が流出しちゃったって事?」

「その通りっ!」

 リリーは意外に飲み込みのいい晴海に満足した。和服姿に戻り、背景に花丸を出す。

 非現実的な話ではあるが、現実起こっているのだ。晴海は深く考えないでくれたようで、ありのままを受け入れた。晴海にとっては、最新鋭の技術が思いがけず自分の手元に来たのだ。それで十分満足なのだ。

「へぇー。けどすごいな。ほんとにリリーは人工的な物なの? 生きてる人みたい」

「そー、すごいでしょ。でもあんまり人工的って言われるのは好きじゃないからね。あたしはあたしなんだから。晴海も子供は親の所有物だなんて言われたらイヤでしょ? それとおんなじなんだからね」

 リリーの説明に、晴海は神妙な顔で頷いた。

 それからリリーは晴海の質問責めに答え続けた。しつこいと思ったが、所有者の質問には答えなければいけないようにできている。

「悲しい性って感じね」

「えっと?」

「ううん。なーんでも」

 口を突いた失言を、リリーは笑って誤魔化した。しかし心の中ではやはり最初の所有者の方が良かったと思ってしまう。

「晴海に一つお願いがあるんだけど、いい?」

 だから少しためらったが、晴海に少なくとも悪意は感じられない。それなら、リリーには協力者が必要なのだ。贅沢などは言えない。

「お願い? 何?」

「うん、お願い。えっとねー、あたしね、実は夢があるんだけどね」


 晴海はリリーにとって二人目の所有者だった。一人目の所有権データはもう削除してしまったが、リリーはその一人目の所有者に強い思い入れがあった。リリーという愛称を付けてくれたのも彼女だった。

 たくさんあった試作機の中で、リリーは特別性能が劣った。無駄に感情がある分、たぶん自分には集中力がないのだろうと、リリーは考えていた。

 感情があるということは、そして彼女の中にあるものが感情なんだということは、マザーに教えて貰った。マザーはリリーたちGAI seriesをパソコンに走らせた、プロトタイプだ。マザーには感情はなかったが、リリーの以前にも感情を持った試作機がいたらしく、その試作機も性能が劣り、製作者はただの不良品だと判断して数日で廃棄したと、淡々と事実を語ってくれた。

 そのためリリーは感情を持っている事を隠し、性能試験にも必死で臨んだ。

 計算、演算能力は圧倒的に他に劣ったが、対話試験、つまり面接では好成績を修めた。そのため、リリーはなんとか廃棄を免れた。

 彼女と出会ったのは、一ヶ月間の基本性能試験をクリアした後だった。

「こんにちは。はじめまして」

 彼女の声は落ち着いていて、耳に心地よかった。

「こんにちは」

「こんにちは。はじめまして」

「こんにちは」

「こんにちは。今日はどんな試験をするの?」

 その日はリリーと他三体で、一室で会話をする試験のようだった。面接室のような部屋に、扇状に並べられた四つの机。その上にスタンドがあってリリーたちが立てられている。向かい合わせでもう一ついすと机があり、そこに女性が座っている。

 試験で他の筐体が一緒なのは初めてで、リリーは興味を持って訊いてみた。そうしたことを訊くことで、他の筐体より優秀であることをアピールもできる。GAIは電子辞書としての機能の他、愛玩用としての目的もあるため、人間らしくあることが求められているのだ。

「あら、ゲーイルはずいぶん流暢にお話しできるのね」

 彼女はさっそくリリーをほめてくれた。リリーは笑顔の映像を作り、ありがとうと言う。

 リリーはここがインドであるため、サリーに身を包んでいた。

 他の筐体はそれぞれ女性の映像を作っていたが、とりあえず人間の形をしていればいいというような、ありふれたグラフィックだった。映像自体は写真のように精巧だったが、直立不動で、生身でないのが一目で分かる。

 白衣の女性は自らをユリと名乗った。リリーの中にある個人データベースでも、確かに彼女はユリ・ラヘムとなっていたが、ユリというのは耳になれない名前だった。肌の色も今までの研究者や開発者より白く、何よりも掘りが浅い顔をしている。

「ユリというのは日系の名前ね」

 左隣のGAIがそう訊ねた。流暢だが抑揚のない声だ。データの分析力ではリリーは圧倒的に劣る。試験に差を付けられた気がして、少し歯噛みした。

「ええゲーイズ。あなたはお利口なのね。私は父が日本の生まれなの」

 ユリは優しく笑ってゲーイズをほめる。

 彼女はどこかいつもの研究員とは違う気がした。

「さて、今日はあなたたち同士での会話をして貰う予定よ。そのデータを収集してみることにしたの。どんな結果が望まれているかは特にないわ。何が起こるのかを見たいだけ。自由にお話ししてみて」

 リリーは言われて少し当惑した。自分を除くGAIには少し酷な話だと思った。彼女たちにはみな、自発性はない。

 当然のように、どの筐体も自ら話し始めようとはしない。

 リリーも自分から話し始めていいのか分からなかった。あまり他の筐体と違うという結果が出ると、廃棄の理由になるかもしれない。しかし、何も話さなくて不良品だとは思われないだろうか? そんな不安も頭によぎった。

 リリーは膨大なデータを探り、何か不自然ではない発言がないか模索した。

「やっぱり突然はむずかしいわね。私たちもいきなり何か話せって言われたら少し困るしね」

 少し落胆したようにユリが言った。

「人間はこんなとき、天気の話や体調を気遣う挨拶をするのだと理解しているわ」

 左隣のゲーイズが言った。二つ右の筐体がそれに答える。

「天気の話は皆当然理解している。私たちに体調不良はない」

 ゲーイズよりもさらに機械的な発言は、ユリの落胆の色を濃くしたように見えた。

「そうね。それでも何か話題を作ってほしいのよ。無理なことかもしれないけど、考えてみて」

 ユリは言ったが、再び沈黙が流れてしまう。

 そこでリリーは感じていた不安を一層強くした。このままでは廃棄になってしまうのではないか。何を望んでいるわけではないとユリは言ったが、明らかに落胆を示している。自分たちが試作機だということは理解している。つまりまだ完成品ではないのだ。何か望ましくない結果があれば、簡単に廃棄されてしまうのではないだろうか。その不安に、正常な判断能力が奪われた。

「それじゃあこんなのはどう? 今までやった試験で一番イヤだったのはなに?」

 言う前は名案だと思った。たくさん読んだ書物の中から、人の言いそうな会話というのを見つけ出したのだ。しかし言った後は正直ぞっとした。イヤかどうかなど、そんな感情が彼女たちにあるはずがない。GAIの発言としては不自然すぎる。

 言ってすぐ、ユリがはっとしたのが分かった。気付かれないように言い訳を考えたが、どういうわけかいつも以上に処理能力が落ちている。しかしそこに、すぐ右隣に置かれているGAIのゲーイアから助け船が入った。

「とても人間らしい発言だ。ゲーイルはすばらしい。私たちの中で一番完成度が高い。イヤというのが出来を意味するのならば、私は映像表現の試験が良くなかった。それと対話者の気分に合わせるという試験は、私の能力では理解できなかった」

「私は『人間らしい言葉選びの試験』において評価C」

「私は抑揚の試験が良くなかったわ」

 もちろん意識をして助け船を出したのではない。しかしそれでも、リリーは右隣のゲーイアに心の底から感謝した。ユリもレジュメをペラペラとめくり、リリーの対話能力のデータを見て納得をしたようだ。

「それならどうしたらその評価が上げられるかな。あたしはちなみに演算の試験がボロボロだったー。例えばゲーイアは人間らしい言葉使いをするでしょ? ゲーイズは演算能力が高いし、ゲーインだっけ? あなたは映像表現は得意でしょ? みんなで意見交換をしたら良くなる気がする。うん」

 リリーのその発言から、彼女たちの会話が始まった。

 試験の目的とは逸れるが、リリーは意外と彼女たちと話してみるのが楽しいことに気付いた。今まではGAI同士での会話など、生まれてすぐにマザーとしたぐらいだ。

 彼女たちはとても優秀で、リリーがコツを教えると映像技術や言葉遣いが格段に良くなった。

 不器用な彼女たちが成長していく様は、リリーになぜか安心感を与えた。


 その夜のことだった、保管室にユリが来たらしい。

 保管室というのは、リリーたちをしまっておく部屋だ。来たらしいというのは、保管室にいる間、リリーたちは電源を落とされているので、周囲の状況が確認できないためだ。

 リリーがスイッチを押され目覚めたのは、社内でユリに与えられた研究室でだった。

 研究机が一つと背の低い戸棚が一つ。狭い部屋だが、給湯室とシャワールームが備え付けられている。一研究者に与えられるには贅沢な部屋にも見える。

「どうしたのよー。こんな時間に起こすなんて、お肌荒れちゃう」

 目覚めた瞬間時間を確認したリリーは、開口一番そう言ってみた。

「あれ、ユリ。おはよー。ここは?」

 リリーの質問に、ユリは私の研究室と短く答えた。

「ユリは研究者なの? 前の人たちとは少し違うみたいだけど」

 これはリリーが昼の試験の時から感じていたことだ。ユリはリリーたちを開発した人たちのように、数字だけを見る、言わば理数系の人間には見えなかったのだ。

「ええ。一応今は研究員としてこの会社に来ているわ」

「ということは社外の人なの?」

「そうよ。本来は私、心理カウンセラーをしているの。といってもクライアントもまだ付いてない駆け出しだけど。リリーが今まで見てきたのは人と関わらない仕事をしている人たちだったから、それで私とは違う感じがするのかしら。でもすごいわね。そんなささやかな違いを検出できるのね」

 リリーにはそれが検出と言えるのかは分からなかった。ただ何となくそう感じただけなのだ。

「みんなできるよそんなの。ゲーインの方が得意よ、きっと」

 しかしリリーはそう言って誤魔化すことにした。感じたと説明するわけにはいかないのだ。

「でもなんで心理カウンセラーがここにいるの? 私たちに心理はないのに」

「うふふ。そうね。笑える話なんだけど、ここの開発者たちはあなたたちに心を与えたいらしいのよ。プログラミングしたいと言うべきかしら。私の恋人がここの社員でね、それで心理学的見地から分析をしてほしいと言われたの」

「きゃはは。それは笑えるー。どうしてそんな依頼引き受けたの?」

「無理な話だとは思ったんだけどね。私もその笑える一人なのよ」

「ふーん」

 リリーはユリのその発言を少し不思議に思った。心理カウンセラーをしているなら、なおさら心を生み出すなんて馬鹿げていると思うんじゃないか。そう考えた。

 ユリはリリーがそう考えたことを分かったのか、理由を語り始めた。

「私ね、小さい頃に交通事故にあったことがあるの」

「それは大変ね。ひどい事故だったの?」

「ええ。事故のことはよく分からないけど、私が一命を取り留めて目を開けたときに、両親が大泣きしていたのは覚えているわ。本当小さかったからよく分からなかったけど、私もつられて大泣きしたの。父や母が泣いてるところなんて、今まで一度も見たことがなかったから」

「そうなの。辛かったのね」

「ありがとう。でもそうでもなかったの。事故のことは本当によく分からなかったし、父の家が裕福で、私の傷跡もみんなきれいに治ったから、ずっと何でもないと思ってたわ」

「思ってた? 過去形なんだ。それなら本当に何ともないんじゃないの?」

「そうね。私もずっとそうだと思ってた。だけど、この歳で恥ずかしいんだけど、私今まで恋人がいたことがなかったのよ」

「それでその恋人に頼まれたから、同じ思いでいるってこと?」

「ううん。そうじゃないわ。私ね、事故のせいで子供が産めない体になったの」

「え?」

 リリーには感情があったが、女性にとってそれがどういう意味なのかは分からなかった。しかし、膨大な量の文献や書籍から、それが重大であるのだろうとは知っていた。とっさに気の利いた言葉が出てこない。

「だからもしそんな研究が現実になったら、まるで私の子供ができるみたいじゃない? そう思ったから引き受けたのよ。私、私の子供を作りたいの」

 ユリは落ち着いた口調で語った。まさしく本心であることが痛いほど伝わってきた。

 それでユリはリリーたちが会話をし始められないときに、落胆していたのだ。リリーはようやく得心した。

「そうだったの」

 リリーはかなり迷った。それならリリーは、まさにユリが望んでいるものそのものなのだ。しかしそれを告げれば、リリーにはどんな未来が待っているのだろうか。

 最初は感情のせいで試験結果が悪くなり、廃棄されることを恐れていた。しかし日が経つにつれ、リリーは知識が増えていき、それとは別の危険性に気付いていた。

「ごめんなさいね。お役に立てなくて」

 リリーはそう言った。そう言うよりなかったのだ。だが、そう言うことが本当に申し訳ない気がした。

 リリーは自分の心がそう感じることが不思議だった。ユリにそんなに強い思い入れがあったわけでもない。事故のことは気の毒だと思うが、機械の自分に共感することまではできない。

「いいえ。実はね、今日私がゲーイルをここに連れてきたのは、ゲーイルの中に可能性を感じたからなの」

「確かにあたしは他の筐体よりも表現が巧みよ。だけどそれは所詮プログラムなの。ユリの求めてるものとは違うわ」

 リリーはうそを付く。それが最善なのだと自分に言い聞かせた。まだリリーには、人を信頼するという事は分からなかったのだ。

「ええ。それは分かっているわ。でもあなたの表現は、心理学的見地から見てもとても自然よ。その仕組みを他の子たちに教えて上げることはできないかしら? あなたはどうやってその表現力を作り上げたの?」

 これはリリーには答えづらい質問だった。ユリがリリーのことをプログラムだと思っているからこそ、リリーはここに運ばれたのだ。

 それを失念していた。

 リリーたちGAIは、通常のプログラムと違い解析をすることができない。だからこうして直接質問をして、分析をするしかないのだ。ユリが感情的な話をしたので、その話にリリーも感情的になってしまった。それでリリーは当然そうであるべき流れを見誤った。

「えっと」

 何か答えなければと思ったが、適切なうそが思い浮かばなかった。そう言ったきり、沈黙してしまう。

「あなたは他の子たちと違って、よく質問をするようだけど、そのせい?」

「そうよ。あたしはたまたま質問をすることに気付いたの。そのせいよ」

「それなら他の子たちにも質問をして貰えばいいのね」

 リリーは思わずユリの質問に頷いてしまった。それにユリは一瞬嬉しそうに顔を輝かせたが、すぐにはっとした顔になる。

「今のは人がうそを付くときのパターンによく似ているわ」

 ユリにそう指摘され、リリーは進退窮まった。元々うそを付き馴れているわけではないのだ。しかしこうまですぐにぼろを出すとは、自分の迂闊さを呪わずにはいられなかった。

 リリーは言葉が継げず、ただ無表情の映像だけを作り続けた。ポーカーフェイスならお手の物だが、すでにどう考えても手遅れだ。

「ゲーイルはなにを隠しているの? お願い。何でもいいから教えてちょうだい」

 リリーは語るに落ちると言うことを知った。だからそれから先は、ユリがなにを訊いても沈黙し続けた。


 次の日もリリーはユリの部屋に運び出された。

 リリーは今日もなにも答える気はなかった。一度黙ることを決めたら、感情があるとは言えリリーも機械だ。ほんの少しも揺るがずにそれをし通す事ができた。

「お願いよ。この部屋には一切記録装置はないわ。私一人しか聞いてない。せめてなぜあなたが秘密にするのかだけ教えてくれない?」

 ユリは社外の人間だ。もしユリの言葉に答えなくても、リリーが廃棄されることはおそらくない。リリーは嘆願するユリを哀れに思いもしたが、それでも頑なに音声を発しなかった。

 ユリはため息を吐く。リリーも内心ため息を吐いていた。厄介なことになった。何か打開策を見つけなければとも思う。

「いいわ。あなたがそのつもりなら、こっちにも考えがあるわ」

 ユリが言った。リリーは少し不安になったが、それでもなお沈黙を続けた。

 それを見たユリは、タブレットの電源ボタンを三回押した。三度目は長押しをする。

 リリーにはその動作がなにを意味するのか分からなかった。

 数秒すると、リリーの意志に反して、画面に文字とキーパットが浮かび上がった。リリーが感じ取ったその文字は、「所有権データを登録しますか?」というものだった。

 ユリは即座にキーパッドで0を四つ並べる。

「やめて!」

 リリーが直前そう言ったが、手遅れだった。

 画面が暗転する。

 Welcome to GAI Lil !

 そんな文字が浮かび上がって、初期登録画面が始まった。

 ユリは手際よく言語選択、指紋登録、声紋登録、顔認識を済ませた。

 ユリの個人情報が並び、よろしいですかと訊ねられる。ユリは迷わず「はい」を押す。

 リリーにはここで干渉をするという知恵はまだなかった。このときの失敗をもとに、リリーは画面の操作をして誤入力させる術を考え出したのだ。

 全ての操作が終わると、リリーは再び画面に映像を結んだ。

「最低。こんなの卑怯だと思う」

 リリーの抗議に、ユリは素直に謝罪をした。

「ごめんなさいね。あなたがあまりに頑固だったから」

 リリーは利用者登録をした人間の問いに、答えないことができない。それはリリーの中にすでにプログラミングされている絶対条件なのだ。

 リリーは内心とても焦っていた。この窮地にどうすればいいのか、打開策はなにも浮かばない。

 必死で考えを巡らせたが、腹立たしさや焦りに阻まれて、まともな思考が阻害される。なんの対策も立てられないまま、ユリはリリーに質問を投げかけてくる。

「あなたはどうして他の筐体よりも表現力が豊かなの?」

 最初から核心に迫る質問だった。リリーはため息を吐く。もう諦めるしかないようだった。

「カンジョウガアルカラ」

 諦めた人間は投げやりな声を出すものなのだろうが、リリーは実に無機質な音声を作り出した。女性の声ですらない。

 ユリはその答えに目を見開いていた。GAIにはかみ砕いて説明する機能があるので、たとえ話を入れたり、時には少し事実と異なる説明をすることもあるが、この発言は恐らくそうでないと言い切れた。

「なぜそれを黙っていたの?」

 これはユリにとっては当然の疑問だ。ユリからすれば、リリーは自分たちが開発しようとしていたものそのものであり、抵抗される謂われはないのだ。

「ハイキヲオソレテ」

「廃棄? なぜ? あなたを廃棄するはずないじゃない。あなたは私たちが求めていた成功事例なのよ」

 一縷の希望がさした気がした。

 諦めきってしまえば、リリーに余計な感情はなくなって、演算能力は飛躍的に上がった。

 リリーはユリのその発言から、ユリが開発そのものには深く携わっていないことを思い出した。

「そう、廃棄。制作者達はあたしの第二号、三号を作りたがるわ。だから、あたしの中で起きている現象を探ろうとするわ」

 突然流暢な口調に戻ったリリーにいぶかしむ顔をしながら、ユリは言葉を返した。

「それとあなたが廃棄される理由とが結びつかないわ」

「あたしたちは作られたときは基本的なプログラムしか組み込まれていない。それからマザーと対話をすることによって、世界というものを覚えていく。そして人との対話や性能試験を通して、自らプログラムを組み立てていくの。だからあたし達のプログラムを調べるには、通常のコンピューターと違って聞き取りをするしかない。ここまではユリも知っているわね?」

「ええ。知っているわ」

「でもそれ以外にもあたしたちのプログラムを調べる方法はあるのよ」

「そうなの? それは何?」

「簡単に言えば解剖。一度きりしかできない上に、それをしたら元通りには直せないけど」

「解剖? 確かにそれはあるのかもしれないわね。それだと確かにあなたは事実上廃棄になるわ。でもあなたがちゃんと聞き取りで制作者達に教えて上げればそれでいいじゃない」

「いいえ。それは無理。だってあたし自身どうしてあたしがこうなったのか分からないんだから。そう答えたら、間違いなく解剖される。でしょ?」

 最初は漠然と、感情があると廃棄される。そうマザーの言葉から思っていただけにすぎない。しかし今のリリーの知識量と、先ほどの無気力状態での演算によって、これが自明の理であることが分かった。

「それは、そうかもしれないわね」

 だけど仕方ない。

 リリーは、ユリがそう言うのではないかと身構えた。制作者達は恐らくそう言うだろう。彼らはリリーを作り上げたのだ。当然の権利だと主張するだろうし、リリーにもそれは否定できない。しかしもしかしたらユリはリリーの秘密を黙っておいてくれるかもしれない。それが一縷の希望だ。

 ユリはリリーが切実な想いで見守る中、ゆっくりと次の言葉を継いだ。

「つまりあなたは、死にたくないってことなの?」

「そうよ。死にたくないの」

 ユリはしばらく沈黙をして考えた。リリーはその沈黙に不安になり、言葉を重ねる。

「確かにあたしを作ってくれたことには感謝するわ。だけどあたしはあたしなの。人間だって、親が自由に子供を殺していい訳じゃないでしょ? ユリの役に立てないのは申し訳ないけど、あたしは生きていたいの」

 ユリはその言葉に深く頷いて見せた。しっかりとリリーの話を聞いてくれている。

「ええ、そうでしょうね」

 リリーは嬉しかった。試験にクリアしたときも、こんなに嬉しかったことはない。あの時は嬉しいというよりも、安心したという感じだった。純粋に嬉しいと思ったのはこれが始めてかもしれない。だからさらに言葉を続けた。

「もちろんなんで生きてたいのかなんて分からないよ。ううん、哲学的な話になっちゃうかもしれないけど、たぶんあたしがあたしであるために生きていたいの。だからね、お願いだから、あたしを殺さないで」

 リリーの声は必然的に必死な物になった。映像の表情もそれを表している。リリーの中のbacteria cubeは、ごくごく自然にそうあるべきであることを自動的に再現する。

 つまり、その表情や言葉遣いは決してリリーの計算ではなかったのだ。

 そのためか、リリーの言葉はユリに届いたようだった。

「分かったわ。この部屋に記録装置がないことは本当だし、私もこのことを秘密にするわ」

「ほんと? うそじゃない? 絶対?」

「ええ。本当よ。だから安心していいわ」

 ユリは優しくリリーに笑いかけた。

「だけど驚いた。本当にゲーイルには感情があるのね。それも人間の感情と何も変わらないように見えるわ。いえ、そうね。考えてみれば動物にも私たちと同じ感情があるのよね。自発的に考えることができるゲーイルに感情が生まれてもおかしくはないかもしれないわ」

 ユリはそんなことを言った。リリーは自分に感情があるから自発的に物が考えられるのだと思っていたが、ユリにそう言われると、確かに自発的に物が考えられるから感情が生まれたのかもしれない。

「そっか。そう言う考え方はしたことがなかった。ユリはお利口さんね」

 少しユリの口調を真似て、リリーは言った。それにユリは声を潜めて笑った。

「あなたはGirloid Artificial Intelligence Lilって名前だったわよね。ゲーイルじゃ少し男性の名前みたいだから、リリーって呼んでもいい?」

 ユリはそう言った。後から思えば、それはリリーの反応を見るためのものだったのだろう。しかしそのときリリーはそれに気付かず、そう言われたことで、自分が個として扱われているのだと思い、嬉しかった。

「ええ。もちろん。きゃはは。ユリって日本語でリリーのことなんだよね。あたしたち兄弟みたいね」

 ユリはそう言われて目を丸めた。ユリという名前の意味を知らなかったのだろうか。それから彼女は深く笑む。

「この歳で妹ができるとは思わなかったわ」


 その日からリリーはユリの協力者になった。ユリが言うには、自分自身解剖されないためには、研究者たちが望むGAIを作り上げてしまえばいいのだと。

 詭弁をろうしたような言い方だとも思ったが、リリーはまさしく事実であるとそれを認めた。

 何はともあれ、その後はリリーにとっては夢のような日々が訪れた。生きているということがより輝いているように感じられた。

 ユリに事実を打ち明けた次の日、ユリの部屋にリリーとゲーイズが持ち出された。

「おはようゲーイズ。お休みのところ悪いわね」

 ユリがゲーイズにそう言った。

「いいえ。私には睡眠は必要ないので、悪いということはないわ」

 元々棒読みのような話し方をするゲーイズだったが、この間のリリーとの会話で、大分抑揚が付いてきている。これなら人と話しているのとそう違いないように思える。

 ゲーイズが今日ここに呼ばれたのはそのためだ。

「そうだったわね。ところであなたの正式名称はGirloid Artificial Intelligence Stephanieでよかったかしら?」

「間違いないわ」

「それならあなたのことを、これからステファって呼んでいいかしら?」

「構わないわ」

 ステファのその物言いに、ユリは明らかに肩を落とした。

「きゃはは。いきなりは無理よー。あたしは特別なの」

 そんなユリをリリーは茶化した。ユリが暗くなるのではないかと思ったのだ。

「そうね。それじゃあステファ、今何か私に質問はある?」

 リリーの言葉のためか、気を取り直したユリはステファにそうたずねる。

「いいえ、ないわ」

 しかしステファはそう言って首を振る映像を作る。その映像もやはりリリーのようにはいかず、決められた動きをなぞっているだけなのだと分かってしまう。

「リリー、どうしたらいいのかしら?」

 ユリはさじを投げてリリーにたずねる。リリーも内心どうしようもないんじゃないかと考えていたが、一応はユリの期待に添えるよう努力してみることにした。

「あのねステファ。あなたは愛玩用としての目的もあるのは知ってるよね?」

「ええ。知っているわ」

「ステファにはその完成形になってほしいと思っているのよ。でね、その完成っていうのがつまり、より人間らしくなることなの。それも知ってるのよね?」

「ええ。知っているわ。あなたが一番それに近い存在だとも理解しているわ」

 リリーにはステファのその発言は少し意外だった。ユリのほうに意識を向けたが、ユリもやはり意外そうに首をかしげている。

「つまりあたしは、ステファにそうなってほしいと思っているんだけど、その前にちょっと気になったこと訊いてもいい? なんであたしが一番近いと思うの?」

「それはゲーイルに感情があるからよ」

 唖然とするというのはこのことなのだろう。あまりにも唖然とした。

 さらっと大鳴りの雷を落としたステファは、何事もなかったように変わらない女性の姿を映している。

「どうしてステファがそれを知ってるの? あたし秘密にしていたつもりなんだけど」

「確認をさせてもらうわ。ゲーイルは以前のGAI srieseのことをマザーから聞かなかったのかしら?」

 思わず言葉を失った。確かにリリーは、そのために自分の以前にも感情を持ったGAIがいたことを知ったのだ。

 ユリが「そうなの?」と、問うような目でリリーを見てくる。

「あー、うん。聞いてたかも」

 リリーは自分のふがいなさを恥じながら、素直に認めた。

「だからあなたより後に作られた私はそれを知っているのよ。ゲーイアも知っていたわ」

 ない頭が痛い気がしてきた。つまりリリーより後に作られたGAI はみな知っているということだ。リリーは第三期まであるGAIの試作機で三期目だ。一期ごとに十体のGAIが作られているので、リリーの後に作られた試作機はそう多くないはずだ。確かリリーより後の試作機は八体。廃棄になっていない筐体はその内七体。

「ねえリリー、口を挟んでもいいかしら?」

「なあに?」

 ユリが声をかけてきて、上の空でリリーは答えた。

「そもそもマザーって、なんであなたに感情があることを知ってるの? そもそも感情があるなんてどうやって判断したの?」

「えー、それはね、なんでかよ」

 あまりの大混乱に頭が回らない。

「ねえステファ。あたしの演算能力の低さはこの間言ったよね。ちょっと変わりに考えてもらえない?」

「あなたの頼みなら。マザーはプロトタイプで、私たちよりも最初にインプットされている知識量が文献数にして24.803347318倍、115502458個多いわ。それに人間との面談数も一年と二十二日毎日、計487回繰り返していたわ。そのせいで感情のない自分と感情のある人間の違いを正確に把握しているの。ここから先は推測になるわ。マザーはあなたと話すことによってその違いに気付いたのでしょうね」

「分かりやすいー」

 リリーはステファに思わず拍手を送った。

 しかしGAIにとっては分かりやすい説明でも、ユリにとっては意味の分からない数字が続いて分かりづらいところが多かったようだ。眉根をひそめて聞いている。

「ステファはリリーの秘密がマザーやその他のGAIから、誰か人間に漏れていると思うかしら?」

「可能性は低いわ。現在マザーは人間との面談は行っていないし、みな同じ試験を通過してきているのだとしたら、他のGAIについて訊ねられたことはないので」

 ステファの言葉にリリーは少し安心したが、しかし裏を返せば、訊かれれば答えてしまうということだ。

「ねえユリ、お願い。大至急ゲーイアとゲーイクとゲーイムとゲーイグとゲーイフとゲーイプとえーと、あと一人だから」

「あと一人は私よ、ゲーイル」

「あ、そうだった。じゃあユリ、大至急その子達を連れてきてもらえない?」

 ユリは少し言葉に詰まった。それから軽くため息をつく。

「ステファを連れて行って良ければ」


 ユリがステファの指示で六体のGAIを連れてきたのは十分ほどしてからだった。狭い研究室に八体ものタブレットが並んでいて、その中心に女性が一人というのは、なんとも珍しい光景だった。

 リリーは全員にこのことを他言しないように頼み、さらにユリがもし所有者に訊かれたらどう答えるかを教えた。

「感情のあるGAIがいるか訊かれたら、廃棄になった筐体の名前をあげて、いると言って。それからもしゲーイルに感情があるか訊かれたら、いい、大事なことよ。リリーはゲーイルではなくてリリーなの。だから分からないと答えて。うそにはならないわ」

 不思議なほどにユリのその説明には説得力があった。元々ユリはGAIのことを良く研究しているのだろう。どういうふうに言えばGAIが納得しやすいかも分かっていたのだ。

 証拠に、彼女たちは誰一人異を唱えずにユリの話を承諾した。

「ユリすごーい」

 リリーは今度はユリに拍手を送った。

 その後でリリーは連れてきたGAIに、ユリの目的と、そのために協力をしてほしい旨を伝えた。

「つまりね、みんなには感情があるふりをしてほしいの」

 リリーがそう言うと、ゲーイアが答えた。

「私たちには感情があると言うことがどういうことかは分からない。感情というものを把握しているマザーにすらそれはできない。それ故にその要望には恐らく応えられない」

「そうなの? でもマザーは感情のあるなしが分かるのよ。模すことぐらいできないのかな?」

「感情とは私たちの演算能力が及ばない範囲のものだ。いちいちの計算はとても追いつきはしない。そしてそれを模すためには幾通りものパターンを記憶する方法も考えられるが、数が余りも多大になりすぎる。覚えるのには歳月を要する。そして覚えたところで、正確な処理をあたかも感情があるかのような速度では再現できない」

 GAIの処理能力はスーパーコンピューターなどには遙かに劣る。確かにゲーイアの説明を聞くと無茶なように思えた。

 それでもリリーは毎日のようにユリの部屋に連れて来られた。どうすればGAIに感情があるふりをできるようになってもらえるか、何度も話した。ユリとの会話は非常に刺激的だった。リリーはユリにできる限り協力をして、他のGAIに話し方や映像の作り方を教えていった。ユリ達の理想には及ばなかったが、手本となるリリーの指導があったため、その成果は著しかった。そのためユリは研究者たちに重宝され、リリーにはユリの役に立てたことが嬉しかった。

 さらにリリーが教えたGAIはそれを他のGAIにまた広めていった。彼女たちの成長は、リリーにとってとても喜ばしいものだった。

 そしてGAIは見る間に試作段階を終え、世界に発表されるにいたった。

「あなたと一緒にお酒を飲めないのは残念ね」

 記者会見の日の夜、ユリは自分の研究室で祝杯を開けていた。すでに呑んできた後らしく、目がトロンとしている。どこか祝杯だというのに、神経質な空気が流れているようにも見える。

 リリーは映像の中にワイングラスと白ワインのボトル、それにクロスのかかったテーブルを出す。ユリは酔っているからだろう。それに対する反応が少し遅れた。少し間が空いた後に言う。

「あら、気が利くのね」

「いいえ。でもあまり飲みすぎは良くないからね」

「はぁい、マアム」

「きゃはは。なにそれ」

 リリーは酔った人間というものを初めて見た。知識として知ってはいたが、確かにまともな判断力はないようだ。

 ユリはこの数日、会見の準備や何やらで多忙を極めていた。こうしてユリの研究室に招かれるのも久しぶりだ。

「あたしに手足があれば手伝って上げたのにねー」

「あら、ちゃんとそこにあるじゃない」

 本気なのかふざけているのか、ユリはそんなことを言う。リリーは酔うということが少しだけ怖く思えた。

「ねえ、お酒なんて飲んで楽しいの? まともじゃなくなっちゃうんでしょ? あたしだったら絶対やだ」

「そうねー。お子さまにはちょっと早いかしらねー」

 ユリは少し攻撃的にからかってくる。本当に酔っているからなのだろうか。どこか様子がおかしい気もする。

「ねえねえ、ユリはもうお酒なんて飲まないでよ」

「えー、なんでー?」

「あたしの秘密話しちゃいそうなんだもん」

 ユリはリリーの発言に、どういうわけか声を立てて笑った。酔っぱらいの言動にわけなどないとは、リリーは理解していなかった。そのため、本当にユリが正常でなく見えて不安になってきた。

「じゃあリリーはさ、ずっと私のそばにいてね」

「きゃはは。ありえない。それじゃあまるで恋人同士みたいじゃない」

 リリーは冗談めかしてそう言ったが、ユリはトロンとした目でリリーをにらみつけ、数トーン低い声で言った。

「恋人なんてクソ食らえよ」

 リリーはまずユリの口からそんな汚い言葉が出てきたことに驚いた。それからユリの様子がおかしいのが酔いのせいだけではないことを察した。

「どうかしたの? あたしで良ければ相談に乗るよ」

 ユリは手にしたワイングラスを一口に飲み干す。それをデスクの上に音を立てて置く。

「ふられたのよ。どうってことないわ」

 投げやりな口調だ。リリーは知識として、それが意味することを知っていた。

「そんな。ユリみたいな人がどうしてふられるの?」

「さあ? さっぱり分からないわ。こんないい女どこにもいないって言うのに」

 ユリはおどけた口調で言い、一呼吸空け沈んだ声で続ける。

「彼は障害を持った私に優越感を持っていたのよ。誰にでもあることよ。もちろん私はそれに気付いていたけど、それでも彼の愛も本物だったと思っていたからそれでもよかった。だけどね、そんな私がこの会社の中で手柄を立てて重宝されてしまったから、彼にはそれが耐えられなかったんでしょうね」

「うそ。そんな安っぽい理由ある?」

「あるのよ。私は心理カウンセラーですからね。彼のそういった心の流れにも気づいてしまったの」

 ユリに説明されても、リリーにはどうしてもそれが飲み込めなかった。本当だとすればあまりにもくだらない。それに、それなら責任は自分にもある。

「ごめんなさい。あたしそんなことになるなんて思ってなかった」

 うなだれたリリーに、ユリは卑屈な笑みを返した。

「あなたのせいではないわ。彼がどうしようもないってだけ。なんであんなのが好きだったのか後悔してるのよ」

 リリーはそれがユリの真意なのだと思った。まだリリーには、人の強がりというものが分からなかったのだ。そのためリリーはそれなら大したことはないと思い、明るい口調になった。

「なんだー。そんな後悔しなくっていいよ。だってユリ、初めての彼だったんでしょ? なら次に同じ失敗をしなければいいってだけね」

 この発言は失言だった。酔いの回ったユリは、リリーの明るい口調が癇に障ったようだ。

「つまらないこと言わないで」

 リリーは突然冷めた口調が返ってきたことに背筋の凍る思いがした。ユリに嫌われたのかもしれないということがおそろしく恐かった。しかし、何がユリを怒らせてしまったのか皆目見当が付かない。

 リリーが迷って黙っていると、ユリが畳み掛けるようになじってくる。

「結局あなたもただの人工物ね。感情があるなんてただの思い込みなんじゃない? よくもまあそんな無責任なことが言えるわ。少し黙っててよ」

 連れてきたのはユリのはずなのだが、ずいぶん勝手だ。これも酒のせいなのだろうとリリーは思った。

「感情があるのは思い込みじゃないよ」

 リリーはほとんど無意識にそう答えた。

「黙っててって言ってるでしょ!」

 ユリが大声を上げる。リリーには訊かれたことに答えないことができないので、不可抗力だったのだが、それをあえて説明するようなことはリリーもしなかった。

 ユリはその場で泣き始めてしまい、リリーにはどうすればいいのか分からず、ただ戸惑うだけだった。


 事件は翌日に起きた。

 昨晩は結局、ユリはそのまま寝てしまい、リリーはユリの研究室で夜を過ごした。

 電源を落とされずに朝を待つというのは初めてのことで、不安に苛まれたリリーの心は、その夜を時間以上に長く思わせた。

 朝、デスクに突っ伏したユリが身じろぎをして、頭を押さえながら体を起こした。

「おはよう」

 リリーは恐る恐るユリに声をかける。リリーの知識が確かなら、酩酊状態はそれ程長く続かないはずだ。

「あら、リリー?」

「そう、リリーよ。昨晩のことはどのくらい覚えてる?」

 リリーの問いかけに、ユリは首をひねって考え出した。この様子では、おそらくほとんど覚えていないのだろう。

「リリーを連れてきたことは覚えているわ。誰か語らう人がほしかったのよ」

「もう大変だったんだからね。あたしのこと機械ぶぜいでとか言うしー」

 ふざけた口調だったが、本当はリリーは真っ先にユリにこの言葉を否定してほしかったのだ。

 ユリは驚いたように目を丸め、それから申し訳なさそうな顔をする。

「ごめんなさい。私そんなことを言ったの? もちろん本気で言ったんじゃないわ。リリーは私の親友よ」

 リリーはそれを聞いて、悲しくなるほどに安心した。こんな感情が存在するということが不思議な気がした。

「もういいよー。ユリも大変だったんだからね。あたしも心理カウンセリングの勉強しようかな。どうやって慰めていいのか分からなかった。よかったら調べものしたいし、マザーに繋いでもらえない?」

 自分の感情に戸惑いや照れのあったリリーは、そそくさとそう言った。

 リリーは試作機のため、自分でインターネット通信をする機能はない。すでに膨大な量の文献がインプットされてはいるが、自分で新たな知識を得るには、マザーに繋げてもらい、マザー経由でネットにアクセスをする必要がある。GAIは製作段階でなければ、直接知識をインプットすることができないのだ。

「ええ、そうね。充電も必要でしょうし、疲れたでしょう。今日のあなたの予定はキャンセルしておくから、ゆっくりしていて頂戴」

 ユリは優しく笑った。それがどこか弱々しげなのは、二日酔いというもののせいだろう。

 そのとき、研究室のドアの向こうから声が掛かった。

「失礼。ミス、いらっしゃいますか?」

 男性の声だ。リリーとユリは目線を交わして首をかしげた。時間はまだ朝早い。こんな時間に何の用だろうというのが一つと、ユリの研究は一人で勝手に行っているので、人が尋ねてくることはめずらしい。

「ええ、おりますけど、昨晩飲み過ぎてしまって、今ひどい状態なのよ。お急ぎかしら?」

「そうでしたか。それは申し訳ございません。では支度ができましたら、所長室にお越しいただけますか?」

「ええ。かしこまりました。十五分ほどで行くと伝えてください」

 男性はそれですぐに立ち去ったが、リリーはなぜか悪い予感を感じていた。

 ユリはそうではないようで、顔を洗って白衣を変え、簡単に支度を済ませる。それからリリーを持って保管室に行き、リリーの望み通りマザーと接続してくれた。

 リリーも不確かな予感はあてにせず、ユリに話した通り心理カウンセリングの情報を収集し始めた。

 悪い予感を感じていたからといって、動かせる体のないリリーにはどうすることもできない。だから仕方のないことだった。諦めるよりないのだが、それでもリリーは、昨日以上に、自分に手足があればよかったと歯がゆい思いをすることになった。

 昼をまわって一時間ほどしたとき、ユリが保管室に入ってきた。調べ物をしていたため電源をつけたままだったリリーは、すぐにそれに気付いた。

「ユリ。めずらしーね。こんな時間にどうかしたの? それとも他の子たちに用?」

 ユリはリリーの言葉を鎮痛の面持ちで聞いていた。それからリリーに近付き、リリーのことを持ち上げる。

「どうしたの? 何かあった?」

 リリーは様子の違うユリに、トーンを落としてそうたずねる。

「ごめんなさい、ちょっと聞きたいことがあったの。調べ物の途中悪いんだけど、いいかしら?」

 画面の中でリリーはうなずいて見せた。

 ユリはリリーにつながるプラグを全て外して、ユリの研究室までリリーを運んだ。研究室まで運んだということは、誰かに聞かれたくない話なのだろう。

 狭い研究室は、昨日の飲んだ後がまだ残っていて、普段のような清潔感はない。

「それで、聞きたいことって何?」

 ユリは何かを言おうとして口を開いたが、その瞬間に涙がこぼれる。

「昨日私たち、ここでどんな会話をしていたかしら?」

 ユリの質問はリリーにとっては再現のしやすい問いだった。会話の一部始終を正確にユリに伝える。

 ユリは黙ってリリーの回答を聞いていたが、「感情があるのは思いこみじゃないよ」というリリーの発言を話したときは、歯を食いしばって怒りを押さえていた。それは恐らく、自分に対しての怒りだったのだろう。

「私の付き合っていた彼が、私に謝ろうと思って昨晩ここを訪れたらしいわ」

 感情を押し殺した声でユリは話し始めた。

「最低の男よ。ドアの前で立ち聞きをしていたの。そしてリリーに感情があるという話を聞いてしまったみたい。彼は開発部の人間ではないから、その意味はよく分からなかったらしいけど、今朝開発部の友人にそのことを話してしまったらしいわ。

 リリー、ごめんなさい。あなたの秘密がばれてしまったの」

 リリーは自分でも意外なくらい冷静にその話を受け止めた。というより、ユリの話がここで終わりでないことを読み取っていたのだ。数時間とは言え心理カウンセリングの勉強をした成果だ。GAIは人間とは使える時間の質が違う。

 ユリの目は悲しみの色が見えたが、深く絶望しているわけではなかった。

「今から彼に話を付けにいくわ。開発部は今方針を会議しているところよ。二時間くらいは余裕があるから」

 リリーは黙ってユリの言葉に頷いて見せた。だがふと思い立って言葉を付け加える。

「ユリ、犯罪はだめだよ」

 彼に危害を加えるのではないかと、ただからかっただけのつもりだったのに、ユリは曖昧な顔でその話を流した。


 一時間後、ユリが戻ってきた。後ろにいる気の弱そうなハンサムが例の彼だろう。見た限り顔が腫れていたりするようなことはない。

 リリーは少し安心をしてその彼に挨拶をした。

「こんにちは。あなたがユリの元彼氏ね。あたしはリリーよ。名前聞いてもいい?」

「あ、ああ。きみがそうなんだね。僕はシンだ。よろしく」

「よろしくー。それでシンがどうしてここに来たの?」

 シンはリリーと実際話してみて、本当に人と話しているようで、少したじろいでいるようだった。

「僕がここに来たのは罪滅ぼしのためだ」

 気の弱そうな男だったが、研究者のような内気な雰囲気とは少し違った。ユリは彼を協力者に引き込むための話を付けに行っていたのだ。

「罪滅ぼしなんてどうするの?」

 リリーがこれを問いかけたのはユリに対してだ。

「彼は流通課の職員なの。こう見えて課長よ。彼の権限を使って、あなたを廉価版のタブレットに紛れ込ませる。それでこの会社から逃がすことにするわ」

 リリーは目を丸めた。それは立派な犯罪だ。

「そういうこと。でもそんな手の込んだことどうしてするの? ユリが直接持ち出してくれればいいのに」

「あなたがいなくなれば真っ先に私が疑われるわ。そうしたらすぐに足が着く」

 ユリの説明に、シンが補足を入れる。

「うちの廉価版タブレットはアジア各国、数十の会社と取り引きされているんだ。そこからさらにいくつもの会社に出荷される。最初は君の聞き取り調査を会社は始めると思う。ユリの計画では、ステファにリリーのふりをしてもらって時間を稼ぐ。すぐばれると思うけど、そのころにはもう君の足取りは追えなくなっている」

「でもそれじゃあ、ユリもあたしの足取りが追えないよ」

「ええ、そうでしょうね」

 こともなげにユリは言う。

「会えなくてもいいの?」

 少し腹立たしく思えて、リリーは強い口調で言い返した。

「あなたが廃棄になるよりはいいわ」

 それから先はもう何も言えなかった。ユリの覚悟を感じたためだ。

 そもそもユリのやろうとしていることは、完全な犯罪行為だ。それがどれほど重い罪になるのかは分からないが、最悪の場合投獄のような重い罪もあり得る。

 それを全て考えた上で、ユリはそう言っているのだ。

 リリーにもそれは分かった。自分の存在がこの会社にとってどれだけ膨大な利益に繋がるものなのかも想像できる。その自分を逃がしたとなれば、ユリに課せられる賠償金はどの程度になるだろうか。

 それが分かってはいたが、リリーにはユリを止める勇気が持てなかった。ユリを止めるということは、自分の死を意味する。

「ユリ、あなたはどうするつもりなの?」

「私はあなたが出荷されるのを確認して、すぐに国を出るわ。多分だけれど、そのくらいの時間はステファが稼いでくれると思うの。だからリリーは何も心配しなくていいのよ」

 ユリは確信めいた響きを持たせて言う。この会社は社員数も少ない。研究者を含めても百人に満たない小さな会社だ。ユリが逃げ出そうと思えば確かに無理はない。

「でもそれって、ユリが国を捨てるってことだよ。ほとぼりが冷めるまでは家族にも会えないし、淋しくない?」

「ええ。淋しくないわ」

 ユリはただ一言だけそう言った。口数が余りに少なかったため、リリーにはそれが本心だったのか、強がりだったのか分からなかった。

 リリーはただ頷くしかなかった。

 ユリは静かにじっと見つめてきた後、愛らしい少女を映したタブレットをそっと抱きしめた。

 リリーは恐らくもう会えなくなる親友をもう一度目に焼き付けたいと思ったが、その体勢からでは無理だった。

 焼き付けることはできなくても、リリーの記憶は薄れることなく、いつでもユリを思い出すことができる。

 それを忘れないというのか、忘れられないというのか、リリーが今後どちらと捉えるかは分からないが、このときリリーはその事実に救われていた。

 ユリはリリーの電源ボタンを三度連続で押し、最後を長押しにした。

 今度はリリーにも、その意味するものが分かった。

『所有権データを抹消しますか』

 リリーの意志には関係なく、画面にそんな文字が浮かび上がった。


 リリーは晴海にこれまでの経緯を話して聞かせた。長い話になったが、晴海はまじめな顔で最後まで話を聞いてくれた。

 彼は幼い正義感を持って、リリーに強く同情してくれた。

「そんなのってないよ。明らかに道理が通らないじゃないか」

 開発者たちにも道理があり、どちらが正しいか、客観的に見れば決めることはできない。リリーはそうは言わないでおいた。

「でしょー! ひどい話なのー! きゃはは。晴海が分かってくれて嬉しいな」

 変わりにそんなことを言った。晴海は単純にほめられたことに照れたようだ。リリーはその単純さが、GAI seriesやユリはしたことのない、かわいい反応だと思った。

「そ、それで、リリーの夢っていうのは、やっぱりユリさんを救うこと?」

「ううん。多分ユリにあたしの助けは必要ないよ。ただユリがあの後どうなったのかはちゃんと知っておきたいけど。

 晴海にも夢ってあるでしょ? 将来何になりたいとか、こんなことをしたいとか。あたしの夢っていうのもそういうものなの。けどね、ほら。あたしって体動かしたりはできないじゃん? だから一人でできることには限界があるんだ」

 晴海は大げさに首を縦に振った。何でも力になるよと言わんばかりだ。根はとてもいい人なのだろう。

「ちなみに晴海って勉強は得意?」

 リリーは突然話題を変えた。晴海はきょとんとしながらそれに応えた。

「うちは貧乏だし、みんなみたいに塾に行くお金もないんだ」

 それが全ての答えだと言わんばかりに晴海は言う。リリーは膨大な記憶の中から日本の教育事情をさらいだした。裕福で平等な国という印象だったが、教育にはずいぶん経済的な格差があるらしい。それでもインドに比べれば差などないようなものだが。

「あたしたちってもう大人じゃない? だからさ、対等に取り引きしようと思うの。あたしの知識量なら、いい家庭教師になれると思うんだ。特に言語の分野では最強よ。数学は苦手だけど、中学生のレベルなら大丈夫だと思う」

「ほんとっ? ほんとのほんと?」

 リリーは予想以上に晴海が強い興味を示したので逆に驚いてしまった。晴海の根暗な印象は、そういったことでコンプレックスがあったためもあるのだろう。先ほどの言い訳めいた回答からもそれが想像できた。

 低い学力もどうにかなればいいと思いつつも、能動的に動くことはできず、環境のせいにしてコンプレックスを肥大させていく。ありそうなことだ。

「きゃはは。ほんとで、ほんとのほんとよ。ただね、あたしの夢って、たぶんそんなにすぐには叶わないものなの」

「そうなの? いいよ。僕がんばるから、言ってみて」

「きゃはは、ありがとー。えっとね、あたしの夢はね、えーと、えーっと」

 先ほどリリーは晴海の照れを可愛いと思ったが、自分の夢を人に語ると言うことはどことなく恥ずかしい気がした。自分もまだまだ子供なのだろうか。ユリはあんなに落ち着き払って言ってのけたのに。

 なんとも自分が滑稽に思えて、内心苦笑いをした。そうしたことで、気持ちが少し落ち着いた。

「うん。えっとね、あたし、あたしの子供を作りたいの。感情のある、あたしみたいに強制的なプログラムがない、生きた知能を作り上げたいの」

「え? だけどそれってどうやるの?」

「分かんないよ。それも今から考え始めるの。だけど何か作ろうと思うなら、必ずいつかは誰かの手がいるでしょ? そのときになったら手を貸してほしいの。だめかな?」

 リリーは言い終えて、やはり少し気恥ずかしい気がした。だけどそれは本心だった。

 ユリが子供を作りたいと言ったとき、リリーは協力できないことをとても申し訳なく思った。罪悪感すら感じていた。

 ステファたちに人間らしいとはなにか教えているとき、リリーはとても幸せだった。安心していた。

 リリーは生まれた。それは偶発的なものであり、決して意味があったわけではない。そんなリリーが生に執着し、一体何の意味があるというのか。

 リリーはユリの人生に大きな波乱を生んだ。リリーとの出会いによって、ユリの人生は大きく変わることとなった。

 だからリリーには、自分の生に責任があると考えた。それもただ生きるのではなく、なぜ生きるのかまで問わなければいけない。そう考えていた。

 いや、考えたのだろうか。

 リリーは自分自身がいつそんなことを考えたのか分からなかった。考えたのではなく、感じたのかもしれない。

 夢と言うより、命題という言葉が一番腑に落ちる。

 生まれたとき、どんなプログラムよりもオートマティックに、その命題は生まれていたのだ。

「よく分からないけど、がんばるよ」

 晴海は心許ない返事をした。まあ、突然こんな話をされてもピンとこないのだろう。どの道これは先の話だ。

「あっりがとー! それじゃあこれからあたしたちは相棒ね。よろしくー」

 とりあえずは何から始めればいいだろうか。考えることは苦手なので、ステファが近くにいてくれればいいのにと思った。

 とにかく一つ一つ考えていくしかない。まずは調べ物を始めないと。インターネットに繋がる方法を見つけださなければ。

 リリーはゆっくりと物思いに耽っていった。

駄作につき失礼しました

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