1 運命の出会いとは、かくあるものか -6-
克己さんは私の様子に気付かずにソファーに腰を下ろすと、言った。
「それで。いつ、引っ越してきますか?」
「はい?」
しまった。つい、間抜けた声を出してしまった。あわてて取り繕う。
「いつ、とおっしゃいますと?」
「僕たちは結婚するんでしょう。妻と夫は一緒に暮らすものじゃないですか」
この人の脳内ではそこまで話が進んでいたか。しかし、手順を山ほどすっ飛ばしているような。
「困りましたね」
私は首をかしげた。
「私、まだ学生なんです。うちの学校は、全寮制で」
「ああ、そうか。百花園女学院はそうでしたね」
克己さんはうなずいた。それから訊ねた。
「そう言えば、千草さんはおいくつなんですか?」
ここでこの質問が来たよ。ホント、この人はいろいろどうかしていると思う。
「十八歳です」
「卒業は、いつですか」
「来年の三月です。その後、系列の女子大に進学することが決まっているのですが」
「大学も、全寮制なんですか」
「いえ。大学部は違います」
「じゃ、卒業したらここに来てください。それで決まりだ」
満足そうに言う。
それから。
「ところで、十八歳って法律的に結婚できましたか?」
と聞く。ホントに、メチャクチャだな、手順が。
「出来ますよ。ただ、私の両親の同意が必要になりますけど」
私は答えた。
その辺りは、我が校の家庭科教師、二十世紀からアップデートされていないようなウーマン・リブ(死語)の闘士、市原正子先生の薫陶により、百花園生全員が叩きこまれている。
「そうですか」
克己さんは、ちょっと不満そうに言った。
「僕たちのことに、親御さんとはいえ他の人の同意がなきゃいけないというのもおかしな話ですね。じゃ、法的なことは君が二十歳を過ぎてからにしましょう。まあ、結局形式でしかないから、そんなことはしなくてもいいと思いますが」
「あら。形式って大事だと思います」
私は。そこのところは、ハッキリと主張しておく。
「そうですか?」
「そうですよ」
私はハッキリと言う。ここ、大事なとこだから。
「まず、法的な結婚は財産にからんできますから。ここをきちんとするのは、とても大切だと思います。それに、愛情面でも保証が必要でしょう。口約束の結婚では、例えば明日、克己さんの気が変わって、私なんか妻じゃないとおっしゃられても、今の私には何の権利もないわけですから」
この辺りは、完全に市原先生の受け売りであるが。
「成程。僕の方も同じわけか。君に、夫じゃないと言われても何の抵抗もできないというわけですね」
「ええ」
私はうなずいた。
「その方がいいなら、妻だ、夫だなんて言う必要はないと思います。恋人同士でいいわけですから」
「それで、君は僕の恋人になりたいわけじゃないんですね?」
笑いをこらえている顔で、克己さんは言う。
「はい。妻になりたいと申し上げましたし、受諾していただけたと思っていたんですけど」
克己さんは。膝を叩いて、大笑いした。
「分かりました。ちゃんとしましょう。それじゃあ君は、結納だの結婚指輪だの、媒酌人だのもきちんとした方がいいと言うのかな」
「そうですね。結納や婚約指輪のやりとりがあれば、お互い後には引けませんからね」
何だか果し合いのようだが。
恋愛というのは、男女の間の真剣勝負である。と、誰かが言っていたような、言っていなかったような。
「媒酌人は? どうします?」
そう言われて、ちょっと考えた。
「私の、叔母夫婦がやりたがると思うのですが」
「それで? 君も、その人たちに任せたいんですか?」
私は。きっぱりと、首を横に振った。
「やめておきましょう」
「じゃあ、それは無しの方向で。結婚式はやりますか?」
「どちらでも。特に希望はありません」
私は言った。
「女性は普通、結婚式に憧れるものではないですか?」
「三年前、母方の従姉が結婚した時、準備に疲労困憊していたのを見てからそういう憧れはなくなりました」
凝りすぎて、結婚式前にやることが満載になって眠る暇もろくになくて。結婚式の後で倒れて、初夜は一晩中いびきかいて寝てたって言ってたからなあ、理子姉さん。
その話を聞いただけで、『ステキな私だけのオリジナル結婚式』というものに対する夢は砕けてなくなりましたよ。
それに。母方はともかく、私の父方には、そういうことに拘泥する血は流れていないのだ。
克己さんはうなずいた。
「これで大体、決まりましたね。それじゃあ、まずは婚約を祝って乾杯しましょう。それから、君のご両親にご挨拶するということになるかな」
そうして、私たちは。宅配ピザで夕食を取り、コーラで乾杯して自分たちの婚約を祝った。
九時過ぎに、克己さんに送ってもらって家に帰った。秋休みの最中(百花園は二期制)なので、私は自宅に帰ってきていたのだ。
家にいるのは母と妹だけで、父は海外に商用に出かけていて、クリスマスまでは会わない。
玄関で母と顔をあわせた途端、克己さんは、
「初めまして。千草さんと結婚することに決めました、北堀克己といいます。よろしくお願いします」
と宣言し、母の顔が青くなるのを見届けもせずにサッサと帰ってしまった。
「お姉ちゃん?」
リビングのドアを細く開けて、妹の忍が顔を出していた。玄関の様子をうかがっていたらしい。
「結婚するって、本当に?」
忍は五歳年下で、今年から百花園に入学した、後輩でもある。母に似て小柄で丸っこい私と違い、スラッとして背が高い。そのうち、背丈は抜かされそうだ。
といっても、この前まで小学生だっただけあって、表情はまだまだ子供っぽい。
「ええと、まあ。そういうことになったから」
私は笑って誤魔化し、母が精神的打撃から回復する前に、サッサと自室へ退却した。
明日には、母もショックから回復して問い詰められることだろう。今夜のうちに、理論武装を完成させておかなければ。
ひとりになると、改めて。おかしなことになったなあ、という気持ちがこみ上げて来て。
私は、小さく笑った。