7 婚約者に会いに -4-
克己さんと初めて会った街に来た。繁華街の端、お菓子屋さんや食べ物屋さんが並ぶ通りを歩く。
「ここで、初めてお会いしましたね」
街角で、足を止める。
初めて会った場所。
ここで、ほんの一週間前。歩いていたら突然、腕を取られて路地に引き込まれた。
私は。顔を上げて、まっすぐに。克己さんの茶色い瞳を見る。
射るように、逃がさないように、力を込めて。
「あの時。ここで、何をしていらしたんですか?」
斬りこむように言葉をたたきこむ。
「何を、というと」
克己さんは落ち着いている。
静かな、感情を出さない表情で。私を見下ろしている。
「あの日、あの時間。ひとつ向こうの通りで、私たちの姉妹が殺されました」
そちらの方角に目を動かす。
「姉妹?」
克己さんは首をかしげる。
「死んだ子は、君の妹さんなんですか?」
違うよ。ヒトんちの妹を勝手に殺さないでほしい。
「百花園では、先輩後輩のことを『姉妹』と呼ぶんです」
冷たく言い返す。話をそらさないでほしいものだ。
「あなたはあの時、ここで誰かを待っていた」
私じゃない誰かを。
だってこの人は、お見合いがあることさえ知らなかったのだから。
「その相手は、百花園の制服を着た誰かで、あの日この時間に、この辺りを通るはずだった」
つまり、それは。
「小林夏希さん。殺された少女が、貴方の待ち合わせ相手だったのではないですか」
私も、いろいろ考えた。
あの日あの時、この人がこの場所にいた意味を。
『君じゃなかったのか』という、言葉の意味を。
そこから導き出せる結論は。それ以外に、有り得ない。
「君は、それが聞きたくてここへ僕を連れて来たのですか?」
静かな声が訊ねる。茶色の瞳は。私を見通すようにこちらを見下ろしている。
自分がとがめられているような気がして、怯む。
でも、その通りだ。私はそれを問いただしたくて、彼をここに連れてきた。
私は。バッグからスマホを出し、『妖精の園』のサイトを開く。
「貴方は、これを使って彼女と待ち合わせをした。そういうことなんじゃないですか」
言い逃れは許さない。そう思って彼をにらみつける。
けれど。克己さんは大きな目に、訝しげな表情を浮かべただけだった。
「それは何ですか? ちょっと見せて下さい」
大きな手が伸びて来て、私からスマホを取る。
彼はしばらく、眉根を寄せながらしきりに画面を操作していた。
それは。私が予期していたのとは全然違う反応で。まるで、そんなもの初めて見たと言うような。けれど、それじゃ。何もかも、辻褄が合わなくなる。
「このサイトが、あの殺人事件と関係があると君は思うんですか?」
克己さんは。最後に、訝しげな表情のまま、私にスマホを返してくれた。
「どうしてですか?」
「質問は私がしているのです」
私は。気圧されないように、強い口調を作る。
「どうなんですか。あなたは、彼女を探していたんじゃないですか」
克己さんは少し考えてから言った。
「そうですね。おそらくそうなのだと思います」
いつも通り、アッサリとした口調で認めた。
私は何を期待していたのだろうか。
焦る様子か。不安そうな表情か。それとも怒りか。恥の感情か。
そのどれもが彼にはない。
この人には大したことではないのかな。年端もいかない女の子をお金で買おうとしたことは、恥じるにも値しないのか。そういうことを、繰り返しているのだろうか。
失望が。ゆっくりと、体の中を染めていく。裏切られた思いが、気持ちを沈み込ませる。
失望? 何で?
男なんて、そんなもの。軽蔑すべき、唾棄すべき生き物。そんなこと、ずっと前から知っていた。だから私は、男なんて、ずっとキライだった、のに。
どうして、この人と婚約なんかしようと思ったのだったっけ?
「前々から小林さんを知っていたわけではないんですね」
重ねて聞くと。
「小林というのは誰ですか」
と来る。
重い失望しか残らない。
そうだよね。あの掲示板では、本名のやりとりなんかしないんだろう。
新聞には載っていたけれど。読みもしないのか。
「殺された子の名前です」
「ああ」
克己さんは。
いや、北堀克己はうなずいた。
「そうですね。ついに会えないで終わってしまいましたね」
小さくため息をつく。
それがどんな意味なのか。分からないし、分かりたくもない。
結局、それだけのことで。この男はそれ以上、何の情報も持っていなさそうだった。
「君は」
彼は言った。
「どうして、そんなことを知りたがるんですか」
どうしてって。
「気になるからです。同じ学校の子が殺されたんです。当然でしょう」
「友達だったんですか」
それは。
「いえ。違いますけど」
相手は。太い眉を、軽く上げる。
「それなら、君には関係のないことのように思えますが」
「関係はあります」
私は強い声で言う。
「私が暮らす場所での出来事です。足元で何か起こっているのに、知らないフリをして過ごすなんて出来ません」
目の前に立つ背の高い男は、じっと私を見た。光の加減でその瞳が一瞬。緑色に透けて見えた。
「成程。そうですね。これは君の領域で起きた出来事だ」
低音の柔らかい声が。今までと違う色合いを帯びる。
「けれど、それが危険なことだと君は本当に理解していますか」
なぜか。その声に、ゾッとした。
明るかった街が急に薄暗くなった。流れる黒雲が、ちょうど太陽を隠していた。
「人が死んでいます。この先も血が流れるでしょう。そこに首を突っ込もうとするのは、とても危険なことだ。おすすめ出来ません」
私を見下ろしている、背の高いその顔は。影になって。表情がはっきり見えない。
「手を引きなさい。君は関わらない方がいい」
それは。託宣のように重く、耳に響いた。
それから、彼は。いつものようなアッサリした口調で、私の方へ手を伸ばす。
「さあ。もう行きましょう。指輪はどんなものがいいですか」
その手を。私は思い切り払った。
「千草さん?」
不思議そうに。茶色の目が私を見る。
「いただけません」
私は。叫ぶようにそう言った。
「貴方から、そんな物はいただけません」
言い捨てて。背を向けて。
私は、駅に向かって走り出す。
風景が。流れていく。
指輪の約束。
二人きりの時間。
低い静かな声。
そんなものが、私には結構心地よかったのだと。
今さらになって気が付いた。
全て、うたかたの夢。一瞬のまやかしだったけれど。
追われるかと思ったけれど、誰も追いかけては来なかった。
ひとりぼっちの駅前で。
胸が痛いのは、急に走ったせいだと。自分で自分に、そう言い聞かせた。




