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花園で笑う  作者: 宮澤花
第1部 千草
30/211

6 後手を踏む -5-

 そんな情報を頭に入れながら、ザッと台本に目を通す。基本、ワイルド版のパクリだが、要領よく簡潔にまとめてあった。題材を選んだのが誰かは知らないが、この台本をまとめた子はクールで、ロマンスにあまり酔わない性質のようだ。頭も悪くなさそうに思える。

「分かりました」

 私の考えは決まった。

「星野さん。時間もないことだし、私としてはこのままの題材でいくことをお勧めします」


 星野志穂は、驚いたように目を見開く。

「でも」

 夏希が……なのに。と。小さな声で呟く。


 ああ。この子は、本当に小林夏希の死を悼んでいる。

 それが感じ取れて。私は初めて、彼女の死に心を痛めた。


「分かっているわ。このままではダメよ」

 だから。私の声は、自然に優しくなった。

「主役をサロメから、バプテスマのヨハネに変更なさい。恋愛要素は抜いて、聖書に添った内容にする。罪のない洗礼者が一方的な悪意によって命を絶たれた。その理不尽さを主題とするんです」


 そうすれば、今まで彼女たちが準備してきた衣装も美術も生かせるし。これを書いた子なら、セリフのかなりの部分を流用して再構成出来るのではないかと思う。


「見るのはマルコの福音書だけでいいわ。後は同じだから」

 私は助言する。

 星野志穂はとまどったように私を見た。

「あの。それでいいんでしょうか」

「もちろん、決めるのは皆さんですよ」

 私は言う。

「でも。今のあなたたちだからこそ、その物語に命を吹き込めるのではないかしら。あなたたちの怒りも痛みも、洗礼者の物語に託して」


 それは不謹慎な提案かもしれないけれど。

 傷付いた彼女の心には、酷なことかもしれないけれど。

 子供のような少女たちが演じるチャラチャラしたヤンデレ物語よりずっと。

 真摯なものになるだろう。


「あなたがたが失ったもの。取り返したいもの。それを舞台でストレートに訴えてもいいと思う。それを出来る権利があるのは、学校中でもあなたたちだけだと思います」


 星野志穂はしばらく黙りこんだ。下を向いて、しばらく考え込み。

「クラスのみんなと、相談してみます」

 と言った。

 私はうなずいた。私に言えるのはここまで。後は、彼女たちが決めることだ。

「ありがとうございました」

 星野志穂は丁寧に私に向かって頭を下げる。


「いいのよ」

 私は笑顔で言った。

「妹がいつもお世話になっているのですもの。このくらい、ご恩返しにもならないわ」


 星野志穂の顔が強ばる。

 まさか気付いてなかったということはないだろうけど。忍とは、顔がソックリというわけではないけど、雪ノ下なんて苗字はそうそうないんだから。


 友人を暴力によって失った彼女には同情する。

 ただ、それはそれ、これはこれ。小林夏希の尻馬に乗って忍に冷たく当たっていたのなら(十分ありそう)、姉として黙ってはいられない。


「仲良くしてやってちょうだいね」

 上級生としての立場を利用し、視線に思いっきりプレッシャーをこめる。

 たまらなくなったのか、相手は顔を伏せた。蚊の鳴くような声で「はい」と言う。


 百花園での学生生活は六年間。結構な長丁場だ。

 お姉ちゃんにはここまでしかやってやれない。忍。頑張れ。

 心で小さく、妹にエールを送った。



 下級生たちの相談に最後まで付き合ったら結構な時間になった。五時になる前に、図書室へ行かないと。装飾に使う詩句をさっさと選ばないと、美術の作業に遅れが出てしまう。

 月曜日にはみんなに渡したいところだが、明日の日曜は克己さんと約束がある。今日のうちに、作業を終えておかないとマズイ。


 図書室まで走っていき、『神曲』文庫版三冊を速攻で借り出す。厚い……厚いな……。自分で言い出したことながら、結構後悔。今夜は消灯時間まで、地獄・煉獄・天国にお付き合いですか。

 セニョール・ダンテ・アリギェーリ(作者)。この詩、私的にはもう少し短くても良かったですよ。


 廊下を走っているところ、誰にも見つからなくて良かった。先生に見られたらお説教コース、それが十津見でもあろうものなら即晒し場送り決定である。

 まあ、土曜の午後ともなれば、先生方も少ないと思ってのことだけれど。


「見たよー、見た見た」

 そんな私の後ろに、迫る影ひとつ。

「雪ノ下さん、さっき廊下を走ってたでしょう。保健室からバッチリ見えたよぉ。なかなかいい走りでした」

 ニコニコ笑っているのは、我らが保健室のアイドル、まあちゃん先生でした!

 あちゃあ。

「申し訳ありません。少々、急いでおりまして」

 優等生ぶってみる。自分でも、ムダな気はするけど。


「もー。ダメだよ、危ないんだから」

 まあちゃん先生は困ったように笑う。

「それに、ね。十津見先生に見つかったら、大変よ」

 声を落とす。

「ついに停学処分が出たんだから。笑い事じゃないのよ」


 おや。こんなところにも、十津見の恐怖政治への感想を同じくする人がいた。


 そう思う私の前で。

「じゃっ。私、もう帰るところだから。明日はお休みだから、怪我や病気しないでねー」

 まあちゃん先生は手を振って、軽快に歩み去った。低い身長をカバーするためのヒールが、カツカツという音を立て遠ざかっていく。

 まあちゃん、子供っぽく見えるの気にしてるんだよなあ。

 飾り気なく見えるけど、メイクもいつも綺麗にしてるし。職業柄なのか、爪だけは地味なピンクのネイルなんだけど。若く見えて、いいと思うけどね。


 それにしても。

 まあちゃん先生が十津見のやり方に納得していないなら。やり方によっては情報が引き出せるかもしれないし、もっと上手くやれば味方になってもらえるかも。


 そのことは覚えておこうと思った。



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