3 目に映る世界 ~忍 -5-
不意に強い力で抱きしめられて、忍は忍の中に戻る。
先生の腕が後ろから自分の体を支えていた。振り返ると、先生はきまり悪そうな表情になって力を弱める。
「失礼。何というか、今……。まるで、君がここから消えてしまいそうな気がした」
先生はカンがいいのだな、と忍は思った。
忍や北堀さんのような力はない、そう言うけれど。忍が今、『忍』ではなかった。そのことを先生はちゃんと気付いてくれた。
「大丈夫です」
忍は手を伸ばし、先生の大きな手に自分の手を重ねてみる。
「私、私でいるのが好きです。だから、ずっと私でいたいと思います」
そう思わせてくれたのは先生なのだけれど。
泣いてばかりで自分に自信がなくて、弱かった自分。
そんな忍をいつも先生は信じてくれ、支えてくれた。誰かがありのままの自分を認めてくれる。その温かさを教えてくれた。
それが忍に、あの黒いモノたちに立ち向かう力をくれたのだ。
小さい頃からいつも他人の悪意に怯えて泣いていた。それが更に人の悪意を招きよせた。だけど。
それはあの人たちの精一杯のSOSだったのかもしれないと、今は思う。
忍がだけが知ることが出来る緊急信号。小林さんも彩名もきっと、苦しんでいた。苦しんで助けを求め続けていた。それはもしかしたら、朝倉先生もタケヒロも、みんな。
まだまだ忍は未熟すぎて、それを救うことなど出来るはずもないけれど。
泣いて怯えて背中を向けるのではなく、これからはせめて、そんな声に耳を傾けていきたいと思う。
先生が黙って忍に手を差し伸べてくれたように。涙を流しての訴えを辛抱強く聞いてくれたように。
「先生」
忍は小さな声で言う。
「もし小林さんが殺されないで済んだなら。今だったら、友達になれたかもしれないのにって思います」
その痛みは、ずっと自分の胸に残るのだろう。
亡くなって、この世にいなくなって、何週間も経ってから初めて気が付いた可能性。
今。ようやく忍は、彼女の死を心から悼んでいた。
「人の命は取り戻せない。後悔するだけ時間の無駄だ」
先生は言う。
それはきっとそうなのだろう。もう誰も彼女を取り戻せない。
「でも、忘れたくないと思います」
忍は言った。
先生は、ちょっと目を細めて、
「君は強いな」
と呟くように言った。
忍は首を横に振る。自分は全然、強くない。
「先生がいつも守ってくれるからです」
重ねた手に少しだけ力を入れて、先生の指を握ってみる。
「ありがとうございます」
先生は熱いものに触れたように、サッと手を引っ込めた。
「その。別に、それは特別なことではなくて。生徒が困っていれば力を貸すのは当たり前だから。あー、誤解しないように」
咳払いして、そう言う。
「はい」
忍は素直にうなずいた。もちろん、それくらい承知している。
「その、だからだな」
先生は左腕を上げ、腕時計をチラリと見る。
「これからも何か困ったことがあれば遠慮せず相談しなさい。あー、君は少し、いや、かなり軽率だから。決して自分勝手に判断して行動しないように。それでは、そろそろ時間だ。病室に戻ろう」
そう言って背中を向けて歩き出す。
それを追いながら、もっとしっかりとした自分にならなきゃと思う。
けれど先生が傍にいさせてくれて、ほんの少し甘えるのを許してくれるなら。
自分はなんて幸せなんだろうと、忍は心からそう思った。




