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花園で笑う  作者: 宮澤花
エピローグ
206/211

3 目に映る世界 ~忍 -4-


 本当は、あんな風に乱暴にあの人を破壊していくのではなく。

 現実から逃げるために作り出された妖精たちを解体し、彼女を彼女に戻していくのが忍のやるべきことだったのだろう。

 そうして人間の『朝倉真綾』に戻った彼女に自分のやったことを自覚させ、罪に向きあわせるべきだったのかもしれない。

 でもそれは今の忍にはとても難しいことで、正直、手に余る。


 タケヒロと対峙した時のことを思い出す。

 あの時、もし十津見先生が助けに来てくれなかったら、忍は朝倉先生にしたようにタケヒロを破壊してしまっていただろう。

 いや、それ以上だったかもしれない。タケヒロは朝倉先生とは違う。たとえ無自覚にでも、朝倉先生は自分を守るための防壁を張り巡らせることが出来た。けれどタケヒロはごく普通の人間なのだ。

 だからきっと忍は、彼の精神を完璧に壊してしまったに違いない。



 病院で目を覚ました後、たまったメールをチェックしていて一番最初に目に入ったのはお祖母ちゃんからのものだった。

『なすべきことをなしたか?』

 そんな件名だった。


 忍はもう術者として独り立ちしたこと。自分の出来ること、自分の力が為し得ることをよく理解して、己と向かい合うことを忘れないように。そういうことが書いてあった。

『お前はもう鏡をのぞきこんだのだから、そのことを忘れないように』

 最後の一文の意味は、忍にも理解できた。


 無軌道に力を行使し、自分の力に溺れて、その闇に沈んでしまった朝倉先生は決して忘れてはならない、自分を見失った術者の哀れな末路だ。

 あの虚ろさを、鏡に映ったあの醜い顔を決して忘れないよう、忍はこれから生きていかなくてはならない。

 少しでも道を間違えれば、あれは忍の顔になってしまうのだから。


「先生」

 忍は十津見先生を呼ぶ。雑誌を見ていた先生が顔を上げる。

「外へ出たいです。ダメですか?」

 自分の病室のある病棟なら、歩き回るのは自由なのだけれど。他の階や、中庭に行くには看護師さんの許可がいる。

 先生がナースステーションに相談に行ってくれて、三十分くらいならということになった。

 

 入院してからあまり歩いていないので、病室からエレベーターまで、エレベーターから中庭までというほんの少しの距離でも遠く感じる。

「無理するな」

 先生が肩と腰を支えてくれた。

 何だか、すっかり先生に甘えてしまうようになっている。でも、パパやママよりも先生といる方が落ち着くし、甘えたくなってしまうのだ。


 中庭には木が植えてあり、花壇やベンチがあったりする。

 入院患者や見舞い客が歩き回れるようになっている場所だ。看護士さんに車いすを押され、お散歩している人もいる。

 病院は街中から少し離れた高台にある。東の方の庭木の向こうに、離れた別の高台の上に建つ百花園の白い屋根が見えた。


 十一月に入って日差しはずいぶん優しくなり、風も涼しくなっている。

「寒くないか?」

 先生がたずねた。忍は首を横に振った。

「お天気、いいですね」

 青い空を見上げる。秋の空は高く高く、白い筋のような雲が遠いところに浮かんでいる。


「巻雲だな」

 先生も、空を見上げて目を細めた。

「高度五千メートルですよね」

 忍は、本に書いてあったことを思い出して言う。

「五千から一万三千というところだ。かなりばらつきがある」

 先生は言った。

「あれは、だいぶ高いな。秋から冬は空が澄んでいるからよく見える」

 しばらく遠い雲を眺めていた。肩に置かれた先生の手が、一緒に秋の四辺形を眺めたあの夜を思い出させた。


 忍はそのまま自分を広げていく。

 この高く澄んだ空の、一万三千メートルの高空までも。


 中庭の花壇の花の一輪一輪、木々の梢の間を通り抜ける風になり。芝生の根を通して大地の湿り気と暖かみを感じる。

 病院の敷地を通り越し街全体に広がって、遥かに見える百花園の屋根までも広がって。浜辺に打ち寄せる波、人々のざわめき、その全てを自分の中に取り込んでいく。

 自分の中に世界があり、世界の中に自分がいる。それを体全体で感じ取る。



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