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花園で笑う  作者: 宮澤花
エピローグ
202/211

2 見えないシルシ ~忍 ‐5‐ 


 その後、花瓶を持ったお姉ちゃんが病室に入ってきた。元の場所に花を置き、にっこりと微笑みかける。

「話、出来た?」

 忍は黙ってうなずいた。

「そう。楽しかった?」

 忍はもう一度うなずいた。


「良かった」

 とお姉ちゃんは言って、

「まあ、今回は仕方ないわね。アンタが怪我した時はアイツにいろいろ助けられたから。でもこれでチャラよ」

 ぶつぶつ呟いた。忍にはよく意味が分からない。


 それからお姉ちゃんは、

「忍、顔、赤いよ。微熱でも出た?」

 と心配そうに忍の額に手を伸ばした。忍は慌てて、その手から身をかわす。

「だ、大丈夫。何でもない。あの、先生と久しぶりにお話して、ちょっとドキドキしたから」


 あわてた言葉が言い訳じみていたのか、お姉ちゃんの眉が少しだけ寄った。

「忍?」

 口調が微妙に咎めるようなものに変わる。

「それ、本当?」


「ほ、本当だよ」

 忍は言った。嘘はついていない。確かにドキドキした。

 ちょっとではないけれど。すごくだけど。


 お姉ちゃんは疑わしげな眼でしばらく忍を見てから。

「まあ、今回はそういうことにしてやってもいいけど」

 と肩をすくめ、

「ひとつ言っておくけど。嘆かわしいことに世の中の半分は男なのよ。だからアンタも早まって一人に決めないで、じっくり考えた方がいいからね。自分からロリコンの餌食になるようなことしなくてもいいんだから」

 お姉ちゃんらしい、辛辣な口調で言った。


 それはどういう意味だろうと忍が考えている内に、夜の検温のために看護師さんが入ってきた。

 お姉ちゃんは面会時間が終わっていることに気付き、看護師さんに丁寧に挨拶してから、

「じゃ、また明日ね」

 と言って帰って行った。


 検温や血圧の測定が終わると、看護師さんが窓のカーテンを閉め、灯りを消していってくれる。

 忍はひとりでベッドに横たわり、薄闇に沈んだ白い天井を見る。

 まだ、とても眠れない。


 間島さんが書いたサロメの劇では、ヨハネは洗礼は信者に神様の印をつけることだと言っていた気がする。洗礼を受けることによって、人の目には見えなくても神様からは神の子羊となった人たちの上にしるしがあるのがはっきりと分かるのだと。

 聖書の勉強は、忍はまだあまりしていないから。それが聖書に書いてあることなのか、間島さんが作った話なのか分からないけれど。


 額をそっと触ってみる。

 先生の唇の感触が残っている気がして、そこだけが熱い気がする。

 神様が自分の子羊を見分けるように、先生からはこの見えない額のしるしがいつでも分かる。そんな気がして、とてもドキドキした。


 今なら、洗礼ではなくヨハネの手を求めたサロメの気持ちが、あの時よりもっと分かる。神様にも洗礼者にも叱られるかもしれないけれど、忍はそう思ってしまう。


「また来る」

 と言った低い声がいつまでも耳に残って。

 胸のドキドキが、なかなかしずまらなかった。 



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