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花園で笑う  作者: 宮澤花
エピローグ
200/211

2 見えないシルシ ~忍 ‐3‐ 


 忍は恥ずかしくなってしまった。本当に先生の言うとおりだ。あんなに心配してもらって、何度も忠告されたのに。

「ごめんなさい」

 小さな声で言った。

「でも、あの時は。ああしなかったら間に合わなくて」


「そうだな」

 先生は不愛想にうなずいた。

「君がひとりで保健室に行かなかったら、きっと間に合わなかったのだろう。その行動で雪ノ下千草は助かった。そう、北堀は言っていた」

 それを聞いて忍はホッとする。

 だとしたら自分の行動は間違っていなかった。


 あの時、少しでも躊躇していたら、真っ赤な血の中に倒れていたのはやっぱりお姉ちゃんだった。

 あの、瞳を緑に輝かせる人が言うのなら、それはきっと本当になるはずの未来だった。

 そう思うと忍は怖くなる。

 ほんのちょっとの差で、大切な大切な人を永遠に失ってしまったかもしれないのだ。


「君は問題の本質が分かっていないな」

 先生はムッツリと言った。

「いいか、君が死んだかもしれなかったんだぞ。他でもない、君がだ。そのことが分からないのか」


「え?」

 忍はちょっと首をかしげる。確かに、そうだ。死なないで済んだのは幸運だった。

 でも、あの時も今も、忍は自分が死ぬことよりお姉ちゃんを失ってしまう方がずっとずっと怖いのだ。


「何を他人事のような顔をしているんだ。君のことだぞ」

 先生はますます怒り出した。

「は、はい」

 忍はあわててうなずいた。

「申し訳ありませんでした」


「命にかかわることは、謝って済むことじゃない」

 先生は眉を吊り上げて言った。

「雪ノ下千草は君にとっては大切な姉かもしれないが、そんなことは正直どうでもいい。君が納得しようが北堀が喜ぼうが、そのために君が犠牲になるような結末は私は絶対に受け容れられないぞ」


 にらみつけられて。

「ごめんなさい」

 忍は反射的にもう一度あやまってしまったが。

 あれ? 今の言葉はどういう意味だったんだろう? ……と思う。

「君が意識を回復したと聞くまで、どれだけ長かったことか」

 先生は憤懣やるかたないという調子で続けた。


「一般病棟に移ったとはいえ、今だってまだ不安だ。今夜にでも君の容体が急変したという報せが入るのではないかと思うと、落ち着いて眠ってもいられない。君は他人にそんな思いをさせていることを理解しているのか。だいたい、あれほど危険なことはするなと言ったのに、君は結局ちっとも私を信頼していない。何度も私に相談を持ちかけて頼るようなそぶりを見せておきながら、最後にはいつも自分勝手に行動する。その結果死ぬような目に遭って、それで私がどんな気持ちになるか、君は一度でも想像したことがあるのか。たとえ他の人間が犠牲になろうとも、君が無事でいてくれればそれでいいとそう思っている人間がいるのだと、少しでも考えたことがあるのか」


 そこまで言ってから、先生は不意に言葉を止めた。それから軽く咳払いして。

「あー。もちろん、君のご家族の気持ちを代弁したまでだが」

 と付け加えた。


 忍は、先生の顔をまっすぐに見た。

 先生は何だか落ち着かなげに、もう一度咳払いして忍から目をそらす。

「他の人間が犠牲になっても、私が無事ならそれでいい……?」

 それは。お姉ちゃんが犠牲になるかもしれないと思った時、自分が思ったことと同じ。

「本当に?」


 それはすごく不思議だった。

 あんなに鮮やかで素敵なお姉ちゃんならともかく、何のとりえもない自分なんかを。

 守りたいと思ってくれるのだろうか。


「何を言っている」

 先生は顔をしかめた。

「当たり前のことだろう」


 それが、あんまり不機嫌に、あんまりぶっきらぼうに言われたので。

 すとんと胸に落ちた。そうなんだ、と納得できた。

 こんな風に先生が怒るくらい、それは当たり前の、何でもないことだったんだ。


 忍が大切な人を守りたいと思うのと同じように。

 自分を守りたいと思ってくれる人もいる。


 力があってもなくても。

 みんな、そんな気持ちを持っているのだと。

 それは特別なことではないのだと。

 

 だからこそ、そんな気持ちを互いに持てることはすごく幸せなことなんだ、と忍は思った。



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