13 終わりの言葉 ~千草 -1-
朝倉真綾が床に座り込み、忍が血だまりの中に倒れるまで、私は何も出来なかった。
今、見たものは何?
二人は何を話していたの?
どうして忍が人形を壊しただけで、あの女はあんな風にくたくたと、まるで魂が抜けてしまったように動かなくなってしまったのか。
私には理解できない。
でも。
「……忍」
私は妹に近寄って、倒れた忍を抱き起す。
妹は、赤い服を着ているように体中真っ赤だった。
私をかばって負った傷が動脈を裂いたのか、今もどんどん肩から血がしみだしてくる。
どんどんどんどん、妹の命が流れ出ていってしまう。
「忍。しっかりして」
妹の血の中にひざまずいて、妹の血だらけの体を抱きしめて。
私の体も血まみれになる。でも、そんなこと気にならない。
腕の中の妹は白い顔をして、荒く息をついている。
私がいくら呼びかけても答えてくれない。
まだ、血が流れます。
そう言った克己さんの声が頭の中で響く。私だと思っていたのに。みんな、そう言っていたのに。
どうして忍が?
誰か助けて。妹を助けて。
どこかで泣き声がした。
顔を上げるといつの間にか朝倉真綾が書類棚の傍に移動していて、ヒツジのパペットを手に付けてべそをかいていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……」
そう呟いている。
何をいまさら。こんなにたくさんの物をみんなから奪って。
今さら謝罪されても、何一つ戻って来ないのに。
謝るなら、忍を助けて。薫を返して。
そう言いたいけれど、何も言えない。言う気にもならなかった。
バタバタと廊下を走る足音がした。
扉が乱暴に開けられ、克己さんと十津見がもつれあうように飛び込んできた。
「千草さんっ」
「雪ノ下」
声が響く。二人が駆け寄ってくる。
「雪ノ下。大丈夫か」
私の手から忍がひったくられた。
「千草さん。ケガは」
克己さんが蒼い顔で私をのぞきこむ。私は、
「忍が、忍が」
それしか言えなくて。
それでも克己さんはホッとしたように表情を緩めて。
「君の血じゃないんですね。良かった」
呟いて、血まみれの私の手を強く握った。
「北堀。すぐに救急車を呼んでくれ」
十津見の声がする。
振り向くと十津見は忍のブラウスを裂いて、傷付いた右肩を露わにしている。
真っ赤で、どんどん血が出てきて、見ていられない。
「私は止血を試みる。急いでくれ」
「分かった。すまない」
そう言った克己さんの声はキビキビとしていた。私の肩に手を置いたまま、素早く救急車と警察を呼ぶ。
それからやっと、克己さんはうずくまっている朝倉真綾に向かい合った。
「これは全て、君の仕業か?」
朝倉真綾は力なくうなずく。
「忍ちゃんを刺したのも君か?」
「はい……。真綾が。でもこれは、僕たちの責任なんです」
力なく呟く声に克己さんの眉が上がった。
「犯人は『君』じゃないな? 責任者を出しなさい。その女の本体を」
朝倉真綾は首を横に振った。
「いません。真綾はもういないんです。僕を最後に作り出して、空っぽになってしまった。今の彼女は操られるだけの人形です。でも僕には力がないから……彼女を取り戻すことも操ることも出来ません」
このおかしな答えに、克己さんはますます顔をしかめた。
「君は誰だ?」
「僕はコドリー。真綾の作った妖精です。今まで彼女を操っていたのは深森博士だったけれど、彼ももう……その女の子が」
壊された人形の残骸を、朝倉真綾はぼんやりと見つめる。
「僕たちは自分たちを永遠の存在だと思っていた。でも、こんなに簡単に壊れてしまうものだったんだ。僕以外は、みんなその子に壊されてしまった」
呟くような独白は、私には意味をなさないとしか思えないけれど。
「そうか。また、僕は間に合わなかったんだな」
克己さんは肩を落として言った。
「犯人すらもいないのか。そんなところに今さらのこのこ登場するなんて、本当に僕は間の抜けた男だ」
それがとても寂しげで。
私は思わず彼の腕にすがりつく。
「そんなことありません」
ただ、そう言った。
「そんなこと、絶対にないですから」
根拠も何も示せない、ただの感情的な言葉だったけれど。私を見下ろした克己さんは優しく笑って。
「ありがとう」
と言った。
それから警察が来るまでの間、十津見は忍の応急手当てを続け。
克己さんはすすり泣く朝倉真綾の前に座って、ぽつりぽつりと事件のことを聞いていた。
やがて他の先生方も保健室に集まり、忍はやって来た救急車に搬送されていった。付き添いは十津見に頼んだ。
私も行きたかったけれど、この場で全てを見たのは私だけだから。警察の現場検証に立ち会わなくてはならない。
幸い十津見は細かさを発揮して『病院に着いた』『今、処置中』など、五分おきくらいに克己さんのスマホに現況を知らせてくれるので、安心と言えば安心だった。
まさか十津見の粘着質に助けられることがあるとはね。人生、分からないものだ。




