12 断罪の刻 ~忍 -2-
問題ない。アレより早く、人形を取ればいい。
右肩が痛くて重くて思うように動かないけれど、少しでも早く手を伸ばしてあの人形を……。
「ダメええええ!」
お姉ちゃんの叫び声が聞こえた。
同時に忍の後ろから、折り畳みのパイプ椅子が朝倉先生めがけて飛んだ。それをおなかに食らい、先生はしりもちをつく。
その隙をついて忍は保安官の人形をもぎ取った。
後ろを見ると、お姉ちゃんが肩で息をして立っていた。
パイプ椅子を投げるなんて。お姉ちゃん、メチャクチャだ。ちょっとだけ笑いたくなったけれど。
そんな場合ではなかったから、忍は手早く始末をつけた。人形をさかさまに持って、陶器で出来た頭部を思い切り事務机の角に叩きつける。人形の頭は砕け散った。
黒い結び目がひとつほどけた。……ひとつだけ。
「ワイルド・ジョージを殺したな」
違う声がした。
そちらを見ると、朝倉先生はもう違う人形を手にしていた。黒い帽子と服の、年取った魔女の人形だった。
「夢から生まれ夢に還る。現身を持たない我らの存在をほどく、お前は何者じゃ」
忍はちょっと考える。ええと、こういう時はどうすれば良かったのだったっけ? 確か、お祖母ちゃんが教えてくれたはず。
敵に名前を聞かれたのなら、軽々しく本名を教えてはいけない。相手によっては名を使ってこちらを支配しようとしてくる。そうかといって嘘はもっといけない。嘘は場に綻びを作り、力に淀みを作る。だから本当のことを言わなくてはいけない。
「私、は」
忍はまっすぐに敵を見て言う。肩が痛い。血が垂れて服が体にくっついて、気持ちが悪い。新しいブラウスだったのになあ、とまた思う。
それでもお祖母ちゃんにいつも言われていたように、体の中で巡る力を正常に保つよう意識して、教えられた言葉を紡ぎ出す。
「あなたの敵。夢を紡ぎ夢をほどく者。間違って紡がれた、あなたの存在をほどくために来た」
こんな言葉でいいんだろうか。何だかアニメかマンガのキャラクターみたいでちょっと恥ずかしい。でもお祖母ちゃんの言っていたのはこういうことだった。
「言葉の使い方は理解しているようじゃな」
魔女が言う。
相手は一体だけではなかったのだなあと、血が足りなくてぼーっとする頭で考えた。
でも、それも当然かもしれない。
「人形には、そんなにたくさんの魂は入らないから。仕方なかったのね」
ぼんやりとそう言っていた。
「何じゃと?」
魔女が言う。
「朝倉先生は自分の魂をほどいて、それを少しずつ人形の中に埋め込んだ。あなたたちは先生から生まれたものだけど、ほどかれた魂はもはや元のものではない。その中に入った時点で、あなたたちは先生とは別のものになった」
かすむ目で部屋を見渡しながら呟く。この部屋の中に結び目はあと三つ。
「……どうして、そんなことをしたのかな」
自分の意識をものに分けて擬似的な命を与えるやり方は、忍もお祖母ちゃんから教わっている。ファンタジーマンガに出てくる式神とかいうのと同じ理屈なのだと思う。
でも、朝倉先生のやり方はそうではなかった。自分の魂を全て注ぎ込むように、元の体には何も残らなくてもいいと思っているかのように。切り分けて分解してひとつ残らず何もかも注ぎ尽くした。
それはやってはいけないことのはずなのに。
お祖母ちゃんから聞かされた。術者が自分を見失ったら、解き放たれた力を制御することは出来なくなる。だから自分を清浄に保つこと、自分が自分でいつづけることが何より大切なはずなのに。
「どうしてじゃと?」
魔女が嗤った。
「お前には分からんのか。簡単なことじゃ、真綾がそれを望んだのよ。非力な現身から解き放たれ、永遠に生きる力ある存在に生まれ変わろうとした。それは、人が誰も望むことではないのか?」
永遠に生きる? 忍はその言葉を聞き咎める。この人形たちが永遠に生きる、人よりも力のある存在?
「あなたたちは朝倉先生の分身に過ぎないでしょう?」
忍は言った。だんだん、立っているのも辛くなっている。
「朝倉先生が亡くなったら何も出来ない。朝倉先生を介さなくては話すことも移動することも出来ない。あなたたちは永遠でも何でもない。朝倉先生以上の力もない。朝倉先生はただ、朝倉先生であることをやめただけ」
朝倉真綾という存在を放棄して、一つだった魂を人形を媒介にして四つの人格に組み直した。
ただ、それだけのこと。
「それで何か、変わりましたか?」
忍は静かにたずねた。
「私には、大して変わらなかったように見えるけど」
現実から逃げて、都合の悪いことを見ないフリをして、自分であることをやめようとしたって。
この人は何からも逃れることに成功していない。ただ哀しい思いをする人を増やしただけだ。
「な」
魔女が大きく息を吸った。
それから。形は大きく両手を広げ、聞き苦しい声でわめき立てる。
「何を、人の子風情が生意気な! 真綾、もういい。この娘をやってしまえ。計画に支障はない、早く……」
だが忍の方が早かった。朝倉先生がナイフを持った手を振り上げるより前に忍は魔女の人形を奪い取り、素早くその頭を書類棚に打ちつけ砕いた。
「次は?」
忍はたずねた。息が荒くなっている。ゆっくりやっていたら自分がもたないと分かった。
「な、何よ」
また声が変わる。
今度は元々の朝倉先生の声に近い、若い女の声だ。
ただ、優しく明るい声で話す先生とは違い、この声は横柄で厭な感じだった。