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花園で笑う  作者: 宮澤花
第3部 対決
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8 厭な予感 ~忍 -6-


「し、失礼、雪ノ下」

 先生があやまる。唇が忍の頬に触れそうだ。

「北堀! いきなり何をするんだ、車を停めろ」

「悪いが出来ない。次の信号まで待ってくれ」

 北堀さんはそう返事をした。

「妻のピンチだ。そうなんだろう、忍ちゃん?」


「はい」

 忍はうなずいた。

「そういうことだ。しばらくそうしていてくれ」

「待て、次の信号までと言われても、この体勢は」

 北堀さんがアクセルをさらに踏み込んで、黄色に変わった信号を突き抜けた。

 その拍子に先生の体が、ますます強く忍の体に押しつけられる。


「北堀! 停まる気ないだろう。三十秒でいいから停まれ」

 先生がわめくが。

「すまないが、そんな余裕はない。しばらく我慢していろ」

「ふざけるな。こんな体勢ではその、雪ノ下も困るだろう」

 先生は困惑したように近い位置から忍を見て、すぐに目をそらす。


「忍ちゃん。何か問題があるか?」

 北堀さんに聞かれた。

「ありません」

 忍は答えた。

「大丈夫です。困りません」

「雪ノ下、君」

 先生が愕然とした顔で言う。北堀さんは硬い表情のまま少しだけ笑った。

「聞いたか恭祐。やっぱりこういう時は女性の方が肚が据わっているな。女性に恥をかかせてはいけない、観念してそのままでいなさい」


 北堀さんは乱暴にハンドルを切る。スピードもすごく出ていると思う。

 椅子に座っている忍でさえ体が左右に揺すぶられる。中腰のままの先生は余計に大変だろう。

「いや、待て。雪ノ下忍、君、意味を理解していないだろう?」

 そう聞かれて。

「何がですか?」

 と忍は首をかしげる。

「あの、ちょっと重いけど大丈夫です。先生の方が辛いと思いますけど、ごめんなさい、ちょっとだけそのまま我慢していていただけませんか?」


「がま……いや、君、本当に」

「本当に大丈夫です」

 それを聞いて先生は、大きくため息をついた。

「雪ノ下忍。ひとつ教えておくが、こういう状況でそういうことを口にしてはいけない」


 忍はきょとんとする。大丈夫って言っちゃいけないんだろうか?

 もしかして先生は、忍が北堀さんに気を遣って無理してると思っているのかな。


「あの。本当に大丈夫です。無理していません。あの、こうしてるのイヤじゃありません」

「黙りなさい。もういい、一言もしゃべるな」

 先生はすごく不機嫌に、すごく怖い声で言った。

「もう一度言っておくが。雪ノ下、君。そんな調子ではいつかとんでもなく危険な目に遭うぞ。もう少し賢くなりなさい」


「え、はい、あの」

 忍はつい聞き返してしまう。

「あの。ごめんなさい。よく分かりません」

「あー、それは」

 先生は少し口ごもってから。

「この状況でそんなことを言う子供には、まだ知る権利がない話だ」

 また不機嫌な口調で言った。


 忍は首をかしげる。

 先生の言うことは、普段はハッキリしていて分かりやすいのだけれど。

 今の話はよく分からない。子供には知る権利がないけれど、もっと賢くならないと危険な目に遭うことって何だろう?

 何が危ないのかはっきり教えてもらえないと、分からないのだけど……。


「忍ちゃん」

 車をものすごい勢いで走らせながら、北堀さんが固い声で言った。

「僕には近しい人の未来は見えない。僕に見えるのはいつだって、どこの誰とも知れない他人のことだけだ。でも君は違うようだね」

 忍はうなずく。

「あの、こういうことは初めてなんですけど。でも多分、きっと……」


「うん。君がそう言うなら、きっとそうなんだろう。でも、それは辛いね」

 そう言われて、忍は意外な気がした。

「それはきっと、すごく重いことじゃないかと僕は思うよ。僕が君なら、そんな力には耐えられないかもしれない」

 忍はゆっくりと首を横に振った。

「大丈夫です。これは、そのための力ですから」

 

 大切な人たちを。大切な場を。守るための力。

 忍がお祖母ちゃんから継承したのはそういうものなのだ。

 だから。

 それを重すぎると思うことは、多分この先もない。


「そうか」

 北堀さんは言った。

「君は強いね。忍ちゃん」


 そんな手放しの賞賛を、忍は生まれて初めて受けた。

 なんて答えたらいいのか分からなかったけれど。

 それはあまりまっすぐだったから、そのままに受け止めて。


「ありがとうございます」

 ただ微笑ってそう言った。



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