8 厭な予感 ~忍 -3-
「あの」
忍は先生の目をまっすぐに見たまま、たずねる。
「私、先生の友達ですか? いえ、あのう、もちろん先生は先生なんですけど。あの、少しでも友達みたいに……気持ちが通じる存在ですか?」
「何を急に」
先生はちょっとあわてたみたいだった。
「私はただ、君はもう少し私を信頼してくれているものと。いや、つまりそれは。友達というか……待ちなさい、君にとって私は友人なのか?」
聞き返されて、忍は赤くなる。とても図々しいことを言ってしまった。
「ごめんなさい。先生と対等とか、そんなこと思ってるわけじゃないです。あの、先生が先生のお仕事以外でも私を気にかけてくれているなら嬉しいなって思って。それをうまく言えなくて」
「それは……いや、私が聞いたのはそういう意味ではなくて。いや、そのことは別にいいんだが。いや、良くはないが今はとりあえずそれでいいんだが、いや、そうではなくて。気にかけているかと言われれば、それは生徒のことはみんな気にかけてはいるが、その」
先生は困ったように二回、三回と咳ばらいをした。
「その。君は、私に心を開いてくれているようだし。私は、君にとってもう少し、特別な存在なのかと」
そんな十津見先生らしくないあわてた言い方が、いつもよりも先生を近く感じさせて。
忍の心臓の鼓動を大きくさせる。
そのときめきに押されるように。
「特別です」
忍はきっと一生言えないだろうと思っていたことを、口にしていた。
「先生は私にとってすごく特別な人です。初めて会った時からそうでした。先生がいらっしゃったから私、百花園に来たいと思いました。いつも優しくしてくださったから学校でも頑張れました。私の、あんな力のことも信じてくれて、本当に嬉しかった。先生がそうやって支えてくださっているから、頑張れるようになりました」
「雪ノ下」
先生はびっくりしたように忍を見返して、それからはっきりと赤くなった。
「そ、そうか。いやその。それならいいんだが。いや、そうならもう少し私を信頼してほしいというか。その」
それから先生は急に怖い顔になって、忍をにらみつける。
「つまり君は行動が軽率すぎる。何かを言ったりやったりする前はもう少しきちんと考えて、必要なら私にちゃんと相談してからやりなさい。とにかくそれを心がけるように」
何を怒られているのか、ちょっと分かりにくかったが。
勝手に彩名の家に行ったことを叱られているのは分かったので、
「はい」
と忍は素直にうなずいた。
「申し訳ありませんでした。これから気をつけます」
「分かったら、きちんと行動に反映させるように」
先生はいかめしい調子で言って忍から目をそらし、また前を向いてしまった。
それでも忍はこんな短いやりとりが、とてもとても嬉しくて。
叱られたのに嬉しくて幸せな気持ちのまま、先生の隣りに座っていた。
北堀さんがやって来るまで、先生が電話を切ってから三十分くらいかかった。
「途中で迷った。分かりにくいな、この場所は」
そう言って先生に上着を渡す。
「これでいいだろう? よく分からないから上着ごと持ってきた」
「ああ、かまわん」
先生はそう言って上着に袖を通した。パパのスエットがもこもこしているので、ちょっと着にくそうだ。
「車のキーを返しておく」
ズボンのポケットからキーホルダーを出して差し出した。北堀さんは退屈そうな顔でそれを受け取る。
「会計をしてくる」
先生が席を立った後、北堀さんと二人で残された。
ちょっと気まずい。お姉ちゃんと北堀さんは仲が良さそうだけど、忍は何だか苦手だ。握手をした時のあのはじけるような感覚が、この人のことを怖いと思わせる。
「そう怯えなくても大丈夫ですよ」
北堀さんは笑って、忍の方にコンビニの袋を差し出した。
「君が作っていた朝食は、僕と千草さんでいただいてしまいました。卵はもう少しやわらかめの方が好きですが、まあ美味しかったですよ。代わりにこれ。おなかが空いてるんじゃないですか」
袋の中には惣菜パンやサンドイッチ、おにぎりなどがいろいろ入っていた。
もらっていいのかな。忍は迷う。
お姉ちゃんが本当にこの人と結婚したら、この人はお義兄さんになるわけだけれど。昨日、初めて挨拶したばかりだし、やっぱり遠慮する。
そう思っていたら先生が戻って来て、北堀さんを疑わしげな眼で眺めた。
「遅いと思っていたら、やっぱりか。どうせとんでもない方向の店に寄り道していたんだろう。君、もらいなさい。昨夜は君の家に泊めてやったんだから遠慮する必要はない。宿代だと思って食べてしまいなさい」
そう言って先生も袋からおにぎりを取る。
「君は少し遠慮しろ」
北堀さんはじろりと先生をにらむ。先生も無遠慮ににらみ返す。
「こっちはお前のせいで余計な苦労を背負わされている。このくらい必要経費だと思って食べさせろ」
北堀さんは面倒くさそうに鼻を鳴らして、忍を見た。
「ほら。こんな男ですよ、こいつは。君はこんなヤツで本当にいいんですか。まだ若いんだし、もっと考えた方がいいと思うなあ」
「うるさい。黙れ。関係ないことに口をはさまなくていい」
先生が学校とは違う口調で話をしている。
何だかそれが珍しくて、忍はつい二人を見比べてしまう。それに気付いた先生が、ぐいと忍を自分の方に引き寄せた。
「あまり、この男に近付かないように。頭の病気がうつる。こっちにいなさい」
「そんなに警戒しなくても。昨夜も言っただろう、妻の妹に手を出したりしないよ」
北堀さんは呆れたように言った。
「そういう問題じゃないとこちらも言った。お前の傍にいるだけで脳が汚染されるんだ。子供には毒だ」
言い合いをする二人を見ながら。
お姉ちゃんはまだ、北堀さんの奥さんじゃないんじゃないかなあ。
こっそりとそんなことを思う忍だった。




