7 パズルのピースが埋まる時 ~千草 -2-
うーん? 私も冷静沈着とまでは言わないが。自分にとって十津見は蛇やトカゲの類の印象なので、克己さんが言う粗忽者な姿は思い描きにくい。
……と思ったが、考えてみるとそうでもなかった。昨夜、忍のベッドにもぐりこんでいる現場を私に押さえられた時の姿は完全に『やっちゃったヒト』だった。
あれが地ですか。だとしたら何かヤダなあ。いや別に、あの教師には何の幻想も抱いていないんだけど。でも、ああいう人に勉強を教わったことがあると思うのが何かイヤ。
「分かりました。以後、そういう方だと認識します」
私は言った。十津見恭祐は粗忽者ということで決定。親しい人が言うんだから、きっとそうなんだろうということにしておく。
しかし、そういう方に妹を任せておくのはますます心配になったぞ。
「やっぱり迎えに行った方が。市民病院でしたよね」
確か、バスで二十分くらいのところだ。
「放っておいていいですよ。呼ばれもしないのに行くのは不粋です」
そう言われた。
「不粋って、どういう意味でしょうか」
「そのままの意味です。あの二人は仲がいいようだから放っておけばいいです。帰って来ると騒がしくなりますし」
とか言っているが。
「あの。妹はまだ中学生なんです」
私はひとこと言わずにはいられない。
「ええ、それは聞いています」
「そういうことではなくて。妹は、十津見先生のような大人の方と昨夜のようなお付き合いをするにはまだ早いと思います」
克己さんは首をかしげる。
「早いというのは年が若いということですか? 問題ないでしょう」
問題しかないです。
「年がいっているのを若くしろというなら困りますが、若すぎるというなら数年経てば問題は解決します。安心して大丈夫です」
いや、安心できない。
気が遠くなるほどに会話が成立しない。
この人には、まず世の中には常識というものがあるというところから教える必要がありそうだ。その遠い道のりを思って私は眩暈がした。
いや、そんな人と分かっていて結婚しますとか言っちゃったのは私だけどさ。
「いいんじゃないですか。彼も妹さんを気に入っているようだし。優しいでしょう?」
確かにね。忍相手だと態度が違う。棘がないわけじゃないけど、見かけ倒しというか。
「彼も妹さんにアプローチされていろいろ迷っていたみたいですが。時期が時期だったので、彼も妹さんの行動は妨害活動なんじゃないかとだいぶ疑っていたようです」
ああ、まあね。この三年、十津見に行く生徒とかいなかったもんね。
いや、正確には着任当初は若い男性教師(当時は二十代後半だったと記憶している)ということで、結構みんなの注目を集めていたのだが。その年の前期が終わる頃には、アレに媚びを売ろうという生徒は完全にいなくなった。
その後に現れた唯一の勇者がうちの妹なわけである。ああ、頭痛い。
克己さんは上機嫌で話を続けた。
「あんまりごちゃごちゃ言うものだから面倒くさくなって、それなら相手の思惑に乗ってみろと言ってやったんです。何か魂胆があって彼に近付いているなら、それで目的も分かるだろうし。魂胆なんかないならそれでいいじゃないか、と。結果的にうまくまとまったようで良かったですね」
ちょっと待て。ロリコンを奨励したのはアンタか! 何してくれてるんですか。
「どうしました? 何か問題でも?」
「問題だらけです」
私は、出来るだけ怒りを抑えた声で言った。
常識というものをわきまえないオッサンコンビめ。何やってんの一体。
「克己さん。いい機会だから、今お話ししておきます。世の中には常識というものがあるんです」
きっぱりと言う私。こんなに早くその言葉を口にすることになるとは思わなかった。いつか言わなきゃと思ったのは一分前だが。
「つまらない言葉ですね。そういう考えは好きじゃありません」
そして克己さんはあっという間に退屈そうな表情になった。コラ成人男性。常識に向かい合う態度がそれでいいのか。
「それに、あの時はそうするほかなかったと思いますよ。彼の情報提供者は妹さんだったようですし」
え?
意外な言葉に、怒りに震えていた私の拳が停まった。
「それ、どういうことです」
「言葉通りですよ。大森穂乃花があやしいという件は、彼が彼女から聞いてきた情報です。それが正しかったから、僕たちも次の情報を信じた」
「次の情報というのは?」
私の質問に、克己さんは真面目な顔になる。
「君の命が危ないという情報です」
ああ。この人はそう言って、金曜日に私を連れ出しに来たんだ。
あれが忍のせい?
確かにその前の日、忍からも同じようなことを言われていた。あの時は、みんなから同じことを言われると思っていたけれど。
忍が十津見に言い、十津見が克己さんに伝えたのか。そして、大森穂乃花の情報も忍が?
そんな風に妹が前々から十津見と近い間柄だったというのも結構ショックだったが。
「あの」
拳をもう一度膝の上でぎゅっと握り直す。
「どうして妹はそんなことを知っていたのでしょう」
ずっと前からの疑問。どうしていつも忍は事件の近くにいるのか。
それがまた胸の中でうずき始める。
近くで話した妹には薫のような張りつめた様子も、顔色の悪さも感じられなかったけれど。
こうやって離れてしまうとすぐにまた、それが全て希望的観測だったような気がして。
とても不安になってしまう。
「妹さんから聞いていませんか?」
克己さんは不思議そうに言った。