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花園で笑う  作者: 宮澤花
第3部 対決
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5 影をほどく ~忍 -5-


「て、てめぇ誰だ?! 何を……」

 最後まで言わせず、現れた人物の拳が男の顔を殴りつけた。

「ふぐぅ?!」

 男の口から何とも言えない音が漏れる。口の中を切ったのか、唇の端から血が流れる。

 

 更に弁解の時間さえ与えず、靴をはいたままの爪先がみぞおちに食い込んだ。タケヒロは白目をむいてがっくりと首を垂れ、動かなくなった。

 もう一度、長い脚を一閃させて男の体を濡れた風呂場に蹴りこんで、それからやって来た人はこちらを振り返り、まだ床に倒れたままの忍に手を差し伸べてくれた。


「大丈夫か、雪ノ下忍。間に合って良かった」

 見慣れた顔が忍を見て大きく息をついた。少し呼吸が乱れていた。

「十津見先生」

 忍はびっくりして先生を見上げた。信じられない。

「どうして、ここに」


「君の書き置きを見た。ひとりで行動するなと昨夜警察でも釘を刺されたはずだし、私も危険なことはするなと再三忠告したつもりだったが」

 先生は眼鏡の位置を直しながら、

「君には理解してもらえなかったようだな。だから、こういう目に遭うことになる」

 と冷たい口調で言った。


「ごめんなさい」

 忍は言った。

 確かにそう言われた。こんなことになるとは思わなかったのだけれど、結果的に先生を心配させてしまったようだ。

「申し訳ありませんでした」

 素直に頭を下げる。


 先生はちょっと困ったように天井を見て、それから、

「怖かったか?」

 と聞いてくれた。忍は黙って首を横に振った。


「殴られたのか」

 忍の顔が赤くなっていることに気付いたのか、先生は少し眉をひそめる。

 大きな手が、そっと忍の頬を包み込んだ。

「痛かっただろう。他に乱暴されたところはないか?」

 そうすると、のぞきこんでいる先生の顔が近くてドキドキした。


 それから大切なことに気が付く。

「先生。彩名ちゃんが、大怪我をして……」

 横たわる彩名に目をむける。彩名の顔色は真っ白になっていた。切り裂かれた手首から流れる血が、床に血だまりを作っていた。

「雪ノ下。タオルか何かあるか」

 先生は表情を険しくし、忍から離れて彩名の横にかがみこんだ。忍は慌てて辺りの棚を開けてみる。スポーツタオルが見つかったので、先生に渡した。

 先生はそれで彩名の腕の上の方をきつく縛った。


「すぐに救急車を呼ぶ必要があるな」

 言いながら、先生は彩名の傷口を調べる。

 そして、ひどく怒った顔でもう一度ぐったりした男をにらんだ。

「おそらく傷をつけたのもこの男だ。自分でやったらこんな風には傷はつかないだろう」

 その言葉は忍を骨まで冷たくさせる。


 大好きな人に死ねと言われて、それどころか殺されようとして。

 それはどんなに悲しく辛いことだろう。


 忍は、救急車を呼ぶために電話をかけている先生にそっと近寄り、スウェットをギュッと握りしめる。

 落ち着いて見てみると先生の髪はまだ濡れたままだし、上はパパのスウェットで下はスーツのズボンというちぐはぐな恰好だった。土足の足は靴下をはいていない。


 こんな風にして大好きな人が心配して駆けつけてくれる自分はものすごく幸せなのだ、と心から思った。

 先生は忍が不安がっていると思ったのだろう。片手で電話をしながら、もう片方の手で優しく忍を抱き寄せてくれた。



 救急車を呼んだ後、先生は警察も呼んだ。それから昨夜の刑事さんとも連絡を取った。

 そして、

「もう落ち着いたか?」

 と忍に尋ねる。忍は黙ってうなずいた。

 先生は忍を離し、

「彼女の部屋がどこだか分かるか? この男の部屋でもいい」

 と聞いた。


 忍はきょとんとする。

「タケヒロさんの部屋は分かりませんけど。彩名ちゃんの部屋ならその奥です」

 突き当りを指さす。先生はうなずいた。

「君。ここからのことは警察に黙っていなさい」

 そう言って、ズボンのポケットから白い手袋を取り出す。


 それを手にはめ、まっすぐに彩名の部屋に入っていき。二、三分して小さな紙袋を持って戻ってきた。

 先生はそれを倒れている男のポケットに無理やり詰め込んだ。

「それは?」

 つい、忍はたずねてしまう。

「警察の仕事を簡単にしてやろうと思っただけだ」

 先生は肩をすくめる。


 それから忍を見て、

「黙っていられるか?」

 と聞く。忍はもう一度うなずいた。


 先生はそれを見て、

「今のはドラッグだ。おそらく学校で出回っているものと同じものだ」

 とぶっきらぼうに言った。忍は目を丸くする。

「この男、島田武弘はこの辺りでドラッグをバラまいている張本人だ。この男と学校とのつながりが掴めなくて今まで手出しが出来なかったが、警察がこいつを拘束すれば少なくとも学校への薬の供給を止めることは出来るだろう」

 先生は大したことではないと言うようにそれだけを口にして。


 それから忍を見て、また困ったように目をそらした。

「君。今日は上着を君の家に置いて来てしまった。もう警察や救急隊も来るだろうから、せめて少しは隠しなさい。あー、大変、目のやり場に困る」


 それで忍はやっと、タケヒロという男にブラウスのボタンを引きちぎられたことを思い出した。

 下を見ると胸元がぱっかりと開いて、ブラジャーも見えていた。

「す、すみません」

 あわててブラウスを引き寄せ胸元を隠す。とても恥ずかしい。


「あー、その。どうもこういう場面に居合わせてしまう巡り合わせのようなのだが」

 先生も困ったように言う。

「他意はない。だが、君ももう少し気を付けるように。その、女性としての自覚を持ちなさい」

 そう言われると、先生に胸を見られるのはこれで二回目だと思い出してますます顔が赤くなった。



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