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花園で笑う  作者: 宮澤花
第3部 対決
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4 オオカミさんには気を付けて ~千草 -4-

「あの」

 言いかけて。何を言ったらいいのか分からなくなる。

 同じ部屋に十津見もいるしさ。忍は相変わらずぐっすり眠ってるけど。


「何ですか?」

「何でもありません」

 と言うしかない。

「そうですか?」

 克己さんは不思議そうに首をかしげてから、腕を伸ばし。軽く、私を抱きしめた。

「ああ。やっぱり、もっと早くこうすれば良かったですね。君は、僕の妻になると言ったんだから」

 うわあ。心拍数が、とんでもないことに。今、血圧を計ったら、きっとすごいことになってるよ、私。


 そのまま、克己さんは黙り込む。私も、何も言えない。ただ、黙って。自分の心臓の音と。パパのスウェット越しに聞こえる克己さんの心音を、じっと聞いている。

 こ、こんなんじゃなくて。やっぱり、初めてはせめて二人きりで。あと、私、まだ生理中なんだけど。一応、山は越えたけど、まだ続いてるし。

 そんなことを考えながら、身を固くしていると。


 不意に、

「ぐがあ」

 と。耳元で、間抜けた音が聞こえた。何、と思って。克己さんの胸に埋めていた顔を上げる。

 常夜灯だけがおぼろに光る、暗い部屋の中。私を抱きしめて横たわる人は、大口を開けて寝ていた。


 ちょ、早くない?! いや、まあ、時刻は確かに、もうすぐ午前三時だけどさ。

 ここはいろいろ、ドキドキとかするところじゃないですかー?

 そして、こういうシーンでは男の人の方がいろいろ大変だとかなんとか聞くのですが、その辺の情報はガセですか?

 横になって、まだ三分経ってないと思うんだけど?!


 あまりのことに半身を起こして、その間抜けた寝顔を見守る私。

 完璧に寝てるな。寝てるフリとかじゃないな。寝てるフリなら、もう少し賢そうな顔で寝るよね。

 ちょっと。私のドキドキやらトキメキやら、いろんなものを返せ!

 と言うか。そんなに私は、魅力ない女ですか!?


 すると、薄暗がりの中。厭味な忍び笑いの声がする。

 私は、キッとそちらを睨みつけた。

「先生? お休みになられたのではなかったんですか?」

「いや、失礼」

 笑いをかみ殺した声が応える。

「済まないな。さかりのついた雌鶏が、雄鶏にこっぴどく振られる夢を見て目が覚めてしまった」


 誰がさかりのついた雌鶏だ! ホント、ムカつくな。この男。

「あらあ。そうですかあ」

 自分の声がとげとげしくなっているが。もう、隠す気もしない。

「意外につまらない夢をご覧になるんですね。そんなことは気になさらないで、どうぞ、ごゆっくりお休みください。私は、可愛い妹が野蛮なオオカミに襲われる悪夢を見そうで、怖くて眠れませんけれど」


 沈黙。ベッドの上から怒気が立ち上っているような気もするが。

 気にしない。こっちも負けずに怒っている。


「もう寝なさい。学生が起きている時間ではない」

「先生もお休みください。もう若くないんですから、夜更かしは体に毒ですよ」

 更に冷ややかな沈黙。

「君と同じ部屋で眠ることになるとは大変不本意だ」

「気が合いますね。私も同じ気持ちです」

 体感気温は下がる一方である。


「それでは。お休み、雪ノ下千草」

「お休みなさい、十津見先生」

 世の中に、ここまで寒々しい夜の挨拶があろうとは。

 まあいい。今夜のことは、なるべく早く忘れよう。そういう約束だ。


 本当に、もう。何から何まで、最悪。

 男なんてやっぱり、どいつもこいつもこの世に存在するのが罪悪としか思えないくらいに、どうしようもないヤツばっかりだ。

 神様はどうして、こんな生物をお作りになったのか。


 毛布を引っ張ろうとしたら。

 克己さんがうーん、とかうなり声をあげながら、そのたくましい腕で私を少し抱き寄せた。

 ちょっと。腕、重い。どけて。これじゃ眠りにくいし。


 ……でも。温かな胸に顔を寄せながら。

 そういえば今夜は。後悔に埋もれて、一晩中泣き明かすような。そんな夜だったのだ、と思い出す。


 それなのに、私と来たら。

 いつの間にか、悲しいことを忘れ果て。莫迦騒ぎに巻き込まれて。

 薫さん、ごめんね。私はどうやら、とても冷たい女です。


 でも、貴女にはもう手が届かないから。

 届けられなかった後悔は、一生この身に刻んで生きるから。

 生きている私は貴女を置いて、前に行く。


 この莫迦騒ぎが、その苦さを少しだけ薄めてくれたなんて、口が裂けても言わないけれど。

 今は、私を包むこの体温にほんのちょっと感謝して。

 明日のために、眠ることにする。


 彼女がいた、もう戻らない日々の思い出を。

 ほんの少しの涙に替えて。


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