2 スラップスティック・ナイト ~千草 -6-
がっくりとうなだれる私。そして悪びれない克己さん。いいですね、貴方は失うもの少なそうで。私は今『素敵なお姉ちゃん』という称号を永遠に失ったよ。
「じゃあ、お言葉に甘えてシャワーをお借りします」
克己さんは立ち上がる。
「はい。あの、父の古着ですが、洗濯機の上に畳んでおいてありますのでお使いください」
と裸族に負けずに健気に受け答えしている妹。
妹……こういうシチュエーションに慣れているわけじゃないよね?
つい昨日までは薬と援助交際に溺れているのではないかと心配だったけど、今は十津見と道ならぬ仲に陥っているのではないかと、そちらの方が心配になってます。
決して男の人のこんな姿に慣れてるとか言わないでもらいたい。お願いします。
「雪ノ下忍。そんなわいせつ物と話をするんじゃない。それだけで君が汚れる」
忍を克己さんから引きはがしにかかる十津見。
私から見ればアンタも同じくらいアブナイ。つうか、アンタそんな姿を妹に見せてないだろうな。
「失礼だな。妻の妹に手を出したりしないよ」
「そんな姿で歩き回っていることが非常識だ。女性の前で恥ずかしいと思わないのか」
「いいじゃないか、世の中の半分は男なんだから。君は男であることが恥ずかしいのか」
「そういう問題じゃない」
ああ。とても面倒くさい、かつどうでもいい議論に発展しそうです。
十津見が克己さんをバスルームに押し込み、そこからはまだしばらく言い合いの声が聞こえてきたが。
忍は黙って私の傍にやって来て、ちょこんと横に座った。
「お姉ちゃん、泣いてた?」
そう聞かれてビックリした。
警察に長い時間訊問されて、きっと犯人扱いもされた。疲れて参っているのは忍のはずなのに。だから、いたわってあげるのは私の役目なのに。
「泣いてないわよ」
そう言うと妹は、黒い目でじっと私を見つめて。
「嘘」
と言った。
それは推測でもかまをかけているのでもなく、知っていることをそのままいう口調だったので。
思わず目をこすってしまった。警察の廊下で大泣きした後、一応顔は洗ったんだけど。涙の痕でも残っていたのだろうか。
「亡くなったお姉さまね」
忍は言った。
「サクラの人だって聞いた。お姉ちゃんの知っている人だった?」
その質問は、胸に痛い。
私はうなずいた。
「それは、ね。私は寮長だし。入学から面倒を看てきた妹よ」
だから絶対に救いたかった、のに。
「友達だった?」
その質問に、私はちょっと考えた。
薫はいつも礼儀正しくて、おとなしくて可愛かった。でも。
「そうね。多分、違うわね」
あの子の本音を私は知らない。
一緒に遊んだり、テレビを見て騒いだり、毎日顔を見て食事をしたりしたけれど。
本当の意味で気持ちをぶつけ合ったのは、あの薬のことがきっと最初で最後だった。
薫にとって、きっと私は怖い上級生のお姉さま。
私にとって、薫は面倒を看なくてはならない下級生の妹。
それだけの関係。
そう、と忍はうなずいた。もう一度私の目を見て言う。
「でもね、お姉ちゃん。悲しいんでしょう」
また返事が出来なくなる。
「悲しかったら泣いていいんだよ。お姉ちゃん」
驚く。五つ年下の妹から、そんなことを言われると思っていなかった。
「私は泣けないのよ」
そう言った。
「泣く資格がないの」
だから笑おう。そう思ったのだ。
けれど、忍は首を横に振った。
「悲しかったら泣いていいんだよ。無理に流れを堰き止めてはいけないの。お姉ちゃんはいつも頑張りすぎる人だから。私、心配だよ」
「そ、そんなことないよ」
私は慌てて目をそらす。
「お姉ちゃん。この世にはね。人の力ではどうにもならないことがたくさんあるの」
そんな私に噛んで含めるように、忍はゆっくりと言った。
「どんなに頑張っても、どんなに努力しても。それでも届かないモノはたくさんあるの。それでも届かせようと手を伸ばすのは尊いことだけど、届かなかったことは罪じゃない。お姉ちゃんが自分を責める必要はないよ」