2 スラップスティック・ナイト ~千草 -5-
グラスを傾けたまま、顔は見ないで隣りにいる人の肩に体をもたれさせる。
今夜何度も私を温めてくれたその体温だけが、このみじめさの中で私を救ってくれる。
「克己さん」
「なんでしょう」
何を言おうとしたのか、自分でも分からない。
続きを言う前に、リビングの入り口辺りで咳払いの音がした。
顔を上げると、学校で見るような謹厳そのものの顔をした十津見がコンビニの袋を持って立っていた。
そういや、鍵貸したんだっけ。
「あ。お帰りなさい、十津見先生」
なんてシュールな挨拶。ありえん。
「遅きに失したのでなければいいのだがね」
眼鏡を軽く持ち上げながら、学校で生徒の校則違反をあげつらう時のような厭味な口調で十津見は言う。
「雪ノ下千草。恥ずかしくないのかね。自分の家とはいえ、学生の身でそんなふしだらな真似をするとは」
あ。酒。バレた。
私は慌ててグラスを背中の後ろに隠す。無駄なのは分かってるんだけど、酔っ払いというのはそういうバカバカしいことがやりたくなるもののようです。
「いいじゃないか、別に。こんな夜は」
常識より雰囲気重視の人がかばってくれますが。
「どんな夜でも関係ない。いいわけがあるか」
こちらは我が校が誇るミスター杓子定規。一歩も譲らない。
「こういうこともあろうかと思って、泊まることにしたのだが。雪ノ下千草、君には失望したぞ。桜花寮の寮長を務めるものが、恥を知りなさい。今の自分の姿を省みることも出来ないのかね」
今の私の姿? って?
改めて自分の姿を確認する私。別におかしなことはないと思うんだけど。……けど?
……って! 今の私、スコッチの入ったグラスを傾けながら、半裸というかほぼ全裸に近い姿の男性にしなだれかかっておりますよ! 何やってんの自分! 我に返ったら、ものすごいことになってるじゃありませんか!
「不粋だな、君は。本当に不粋だ」
不機嫌に言う克己さん。前にもそんなこと言ってたな。
「私は教師だからな。君のようなケダモノから生徒を守るのも職務だ、残念ながら」
じゃあ人んちの妹と公共建築物の中で思いっきり抱き合ったりするのはやめてくださいと言い返したいが、今の状況じゃ出来ない。とても悔しい。
「いいじゃないか、別に。この人は僕の婚約者だ。妻同然だ。というか、もう妻でいいじゃないか、面倒くさい」
「君は日本の法律を少し学べ。婚約しただけでは他人だ。そして常識的に言って、大人が未成年者を口説くのは犯罪的だ」
アンタは自分のやっていることを直視してからそれを言え。
「ほら。さっさとマトモな格好になって来い」
十津見はコンビニの袋を克己さんに向かって投げた。
克己さんは中味を出して見てみる。チラッと見ただけだけど、すごい真赤なパンツ……。
「ひどい色だな。君の趣味か」
「厭味に決まっているだろう」
平然と返す十津見も本当に、人としてどうかと思う。
「恥ずかしくて女生徒に手を出す気にもならないようなものを選んでおいた。今夜はおとなしく寝ろ」
うわあ。前からすごい人だとは思っていたが、ホントに凄まじい性格してるんですね、十津見先生。克己さんと同等にやり合うとはただ者ではない。悪い意味でですが。
「まだ千草さんの妹さんがシャワーを使ってる」
赤いパンツを厭そうにつまみあげながら、克己さんが言うと。
「雪ノ下忍か?」
十津見が軽く眉を動かす。
「彼女なら、そこにいるが?」
その視線をたどるとバスルームへ続く扉の前に、クマ模様の赤いパジャマに着替えた忍が困った顔で立っていた。
嘘、いつから?!
「ゴメン、お姉ちゃん」
忍はすまなそうに言った。
「声かけようかと思ったんだけど。なんか邪魔したらいけないのかなって」
それって結構前からいたってことですか?!
うそお。酒飲んで荒れて、裸の男に甘ったれるところを妹に見られていたとか。恥ずかしすぎる!! 何の羞恥プレイですか!
忍ちゃん、そんな大人の気遣い要らないから。
無邪気に『お姉ちゃん何してるのー』って声かけてくれた方がダメージ少なかったよ、お姉ちゃん的に!




