1 寒い廊下 ~千草 -3-
ということで。電話を渡して、母の口から山崎先生に『克己さんが保護者代行である』と言ってもらう。
それで一応納得してもらい、先生方は三人固まって少し離れた場所に座り。私と克己さんは、そのまま並んで腰を下ろす。
忍の事情聴取が終わるのを待って、連れて帰ってあげなくては。あの子はすごく怯えていた。だから。ちゃんと、家で休ませてあげないと。
そう、ちょっと時間がかかっているだけで。きっとあの子は帰れるから。ここで待っていてあげないと。一緒に家に、帰るんだから。
「震えていますね」
大きな手が。私の手の上に、そっと重ねられた。
「寒いですか? 手も冷たい」
私は。首を横に振る。寒くなんてない。
「じゃあ、怖いんですか」
と聞かれた。返事が出来なかった。
「克己さん」
私は言った。
「薫、死んだんです」
「そうですね」
克己さんの声も。深く沈む。
「残念でした」
「殺されたんです」
「ええ」
不意に。堰が切れたように。
自分が、コントロールできなくなった。
「私。泣けないんです。薫があんな目に遭わされて、悲しいのに。涙が出ないんです」
気付いたら。そう訴えていた。そんなこと言われたって、この人だって困るだろう。そう思うのに。
「私、冷たいんですね。自分がこんな冷たい人間だとは、思いませんでした」
分かっていたのに。薫が危険だって、分かっていたのに。
私に援交の現場を見られた薫。薬を取り上げられた薫。そんな薫が誰よりも危険だって、分かっていていいはずだった。
犯人は、自分を危険に陥れるものを殺そうとする。
薬を取り上げられたことを薫が犯人に話したのなら。その時からもう、彼女はずっと危険だったんだ。
バカだった。のんびり、百花祭なんか楽しんでいちゃいけなかった。まあちゃんに相談して、問題を押し付けて、それで自分は責任を逃れた気になっていた。
私だけが分かっていたのに。私だけが止められたのに。みすみす、彼女を助けられる機会を逃して。
後悔なんか出来ない。涙なんか流す資格もない。
これは全部。私の責任だ。私が殺したも同然だ。
「あなたの言うとおりでした」
私は乾いた声で言った。
「昨日のうちにあの子を逃がしていればよかった。そしたら、こんな結末には」
「千草さん」
静かな声が。私の言葉の奔流を遮る。
「どんなに手を尽くしても。情報を手に入れていても。たとえ未来が見えていても。人を救うのは、容易なことではないです」
それはとても悲しげで。深いところから響いてくる声で。私は驚いて、彼の顔を見た。
とても近くで、彼の茶色の瞳と目が合った。互いの息遣いが感じられるくらいの距離。
「君は精一杯やりました」
彼は言った。
「だから、そんなに自分を責めなくてもいい」
そんな言葉は。とてもズルい。
その言葉で。張りつめていたものが砕けて。私は声を上げて、泣き出してしまった。そんな私を。彼は、優しく抱きしめてくれて。
生まれて初めて、男の人に抱きしめられたのに。それはとても苦く。悲しい思い出になった。