1 寒い廊下 ~千草 -1-
その後、いったい何が起こったのか覚えていない。
気が付くと、たくさんの人が周りに集まっていた。
まあちゃんが、薫の横にひざまずき、脈をとったり瞳孔を調べたりしている。そして、沈痛に首を横に振る。
忍は、いつの間にか来た十津見の腕の中に抱きかかえられるようにして。震えている様子だった。
そして、私は。
「千草さん。大丈夫ですか?」
いつ来てくれたんだろうか。横に立って、問いかけてくれる人に。
「はい」
と。固い声と固い表情で。突っ立ったまま、そんなことを言うだけ。
やがて、パトカーと救急車が来て。薫の体が運ばれ。忍は、十津見に付き添われてパトカーに。
私も、気が付けば。まあちゃんと一緒にパトカーに乗せられていた。
警察で事情聴取を受ける。
遂行されなかった計画のことを話しても仕方ないから。ただ、婚約者が帰るので妹を呼ぼうと思った。来られないと言うので迎えに行った。と。それだけの、表面的な話をする。
見付けた時に、妹の他には誰とも会わなかったことも。見たとおりに話す。
「他に何か知っていることはないですか」
と聞かれて。いろいろなことが頭の中で回った。
売春サイトのこととか。派手な服をして化粧をした薫の姿とか。
薬のことや、妊娠のこと。
クラスメートに責められていた忍、サロメの演技。
回るけれど。どれをどう話していいのか分からず。
話すべきかさえ、判断がつかず。私はただ、黙って首を横に振った。
廊下に出ると、まあちゃんと山崎先生、そして忍の担任の嵯峨野先生の三人が何か話していた。
「雪ノ下さん。事情聴取は終わった?」
山崎先生が近寄ってきて、私の肩を抱き。ソファーに座らせてくれる。返事はせず、ただうなずいた。
「私も、今終ったところなの」
まあちゃんが言った。
「今、入れ替わりで十津見先生が事情を聴かれているわ」
そうか。先生方も、いろいろ事情を聴かれるのだろう。
「あのね、雪ノ下さん」
山崎先生が暗い声で言った。
それだけで、続く言葉が分かってしまい。私は身を固くする。
「浦上さん、亡くなったわ。病院に運ばれたけれど、蘇生は出来なかったって」
声も出ない。
分かっていた。そんなの、最初に見た時から分かっていた。
薫は死んでいたのだ、あの時、もう。
涙が出るかと思ったが。不思議と泣けなかった。
心も体も凍りついたようになってしまって。何も感じないし、何も考えられない。
「それでね。忍さんの聴取は時間がかかるのですって。お父様、お母様には連絡はついた?」
「母にはつきました」
短く答えた。
父にも、一応連絡したが。携帯の電源が切られていたので、父が伯父と共同経営している上海の会社へ。
在社していた伯父と話したところ。
父は、何だかいう非常に貴重な漢方薬の材料を求めて、今、ラオスの山奥へ行っているそうだ。国際線のある空港からジープで数日走り、携帯どころか固定電話すらろくにないど田舎へ。正確に今どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかさえ、伯父にも分からないらしい。
伯父は、父と連絡が取れ次第このことを伝えると約束してくれたが。それがいつになるかは、神様のみぞ知るというヤツだ。
「そう。お母様、いつごろこちらに来れそう?」
そんな事情を知らない山崎先生は、ホッとしたように言う。
それに、更に希望を打ち砕くような返事しか出来ない自分が申し訳なかった。
「早くて明日の夕方です」
「え?」
先生方の仰天した顔。まあ、無理もないよね。娘が二人して殺人事件に巻き込まれたというのに、親が警察に来ないなんて。
母には連絡が取れた。確かに。
しかし。母は今、『美少年探偵・天心院蓮華シリーズ』の新作の打ち合わせのため、西日本の老舗旅館にいるのである。
その旅館のある場所が、日本で何番目だかに長い吊り橋を渡っていかなければ行くことの出来ない僻地であり。今、そちらには大型台風が接近中であり。
早い話が、現在吊り橋は通行止め中。台風が通り過ぎる予定の明日昼ごろまで、母はそこから動くことが出来ない。
で、そこから一番近い新幹線の駅までは二時間ちょっと。それから新幹線に飛び乗って、という段取りだから。早くてもこちらに着くのは日が暮れてからだ。
何で、娘の一大事に両親そろってそんな山奥にいるのか、と思うと重い気分がますます重くなるが。
そんな二人から生まれてきたのが私たち姉妹であるので、これはある程度運命として甘受すべきことなのかもしれない。
しかし、私たちはそれでいいとしても。先生方には唖然とする事情だったようである。まあ、無理もないが。
「こ、困ったわね。他に、頼れる親戚や、大人の方はいないの?」
親戚……というと。一番近いのは、淑子叔母さんということになるのだろうか。
あの人に連絡するのは嫌だなあ。警察沙汰になったとか言ったら、母以上に大騒ぎをしそうだ。




