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花園で笑う  作者: 宮澤花
第2部 忍
136/211

9 当日 -6-

 いつまでものんびりしてはいられないので、制服に着替える。調理部にもう一度顔を出した方がいいだろうか、と思っているところに、お姉ちゃんからメールが来た。

『克己さんがもう帰るから、挨拶に来て。校門で待ってるから、急いで』


 あの人か。

 背の高い、お姉ちゃんの婚約者。緑に光る眼を思い出すと、あまり気が進まない。でも、将来のお義兄さんになる人なら。あんまり失礼をしてはいけないのだろう、とも思う。

 仕方ない、挨拶だけしに行こう。そう思って、前庭の方へ向かおうとした時。


「あなた。柊実寮の雪ノ下忍さんよね」

 知らないお姉さまから、声をかけられた。その人からは、あの黒い気配がして。忍はちょっと怯む。

「伝言されたんだけど」

 黒い影を背負ったお姉さまは。優しく微笑む。

「十津見先生が、急ぎの用があってあなたを裏庭で待っているそうなの。すぐに行ってちょうだい」

 じゃ、伝えたから。そう言って、お姉さまは去って行った。


 忍はとまどった。お姉ちゃんと、十津見先生。両方からの呼び出し。

 どうしたんだろう。先生は、さっきは何も言っていなかったのに。それとも、何か急に用事が出来たのだろうか。

 もしかしたら。あの黒い影に関わること?


 忍は携帯を取り出す。お姉ちゃんには悪いけど。もともと、あの人に会うのは気が進まなかったし。先生に呼び出されたなら、先生のところに行きたい。急いで返信を打った。

『ごめん。十津見先生に呼ばれて、ちょっと裏庭に行かなくちゃいけない。北堀さん、すぐ帰っちゃうかな。ごめんなさいって言っておいて』

 うん。仕方ない。先生に呼ばれたんだから仕方ない、って、きっとお姉ちゃんもそう思ってくれる。だから忍は身を翻し、小走りに裏庭へ向かった。



 裏庭へと通じる、北校舎とチャペルの間の狭い通路を通る時。前から来たお姉さまに、ぶつかりそうになった。

「も、申し訳ありません」

 あやまって、あわてて道を譲る。魔女の扮装をした、髪の長いそのお姉さまは。何も言わずに歩み去った。

 どこかで会った人のような気がして。忍はちょっと、その後ろ姿を見送る。それから、先生が待っているのだと思い出して、慌てて裏庭に足を踏み入れた。


 そこには人の気配がなかった。

 停められた車と植込みの木々だけが、物も言わず秋の風に吹かれている。

「先生?」

 呼んでみた。あんなに発声練習したのに。今はまた、情けない小さな声しか出ない。

「十津見先生?」


 答えはない。

 まだ、先生は来ていないようだ。

 ここで待っていればいいのだろうか。忍はひどく、不安な気分になる。


 ゆっくりと。少しずつ裏庭を歩き回ってみる。もしかしたらどこかに、先生が隠れているかもしれないと思っているように。

 そんな子供っぽいことを十津見先生はしない。そんなこと、よく分かっているのに。

 まるで誰かに書かれた脚本をなぞるように。糸に引かれるマリオネットのように。

 車の間を、ひとつひとつのぞきこみながら。忍は前に進んでいく。


 そして、それを見付けた。


 黒いワゴン車と、青い軽自動車の間に。

 妖精の衣装を着けた少女がひとり。捨てられた人形のように、アスファルトの上で横たわっていた。

 思考が麻痺する。これはナニ? ピクリとも動かないその顔の中で。見開かれた目が、虚空を映している。


「お……お姉さま? 具合でも悪いんですか?」

 そう言っている自分の声が聞こえる。


 ああ。それが無駄だと分かっているのに。

 理性が。知識が。確認しなくてはならないと言っているので。

 その脚本通りに、忍はただ、動いている。


「あの。お姉さま……」

 抱え起こそうとした手が。生ぬるい液体に濡れた。

 ぎょっとして手を引っ込める。その手は、赤黒く染まっていた。


「忍?」

 声がする。聞き慣れた声が。

 倒れた体から後ずさって、遠ざかって。忍はゆっくり、声のした方を見る。


「お姉ちゃん」

 何でここに? でも。それでもいい。頼りになる人が来てくれた。それだけで、今は。

「お姉ちゃん。私……」

 言いかけて。怖くなる。

 今の自分は、いったい姉の目にどんな風に映っているのだろう?


 誰かの作った罠にはまりこんだ自分を自覚して、忍は目の前が真っ暗になるのを感じた。


          =第2部 忍  了=


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