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花園で笑う  作者: 宮澤花
第2部 忍
135/211

9 当日 -5-

 スポットライトが消えると。忍は舞台袖に駆け込む。

 この後は古川さんと星野さん、笹井さんも加えての小林さん追悼の言葉で。それが終わるとカーテンコールで幕が上がり、全員で小林さんのために賛美歌を歌う。……という段取りなのだが、忍はここで退場する。


 悪役のサロメが小林さんを追悼する歌を歌うのはおかしい、と古川さんたちに言われ。

 ひかりちゃんはかばってくれたけど。忍も、正直サロメの姿でそこに参加するのは違うと思った。

 サロメはお芝居の中での殺人者。だから、お芝居が終わった後の世界には。それも小林さんを悼む場には、いない方がいい。


 だから、忍はそのまま消えることにした。

 出番が終わったら、まだお芝居が続いている間に。楽屋裏の出口からこっそり講堂を出て、寮に戻っていつもの制服に着替える。

 サロメは消えて。雪ノ下忍に戻る。


 それでいい。そう思った。

 間島さんが挙げた手にパン、と自分の手を打ちあわせて。そのまま、出口に向かう。

 外は晴れていた。太陽の光を浴びると、クラクラした。忍はそのまま、講堂の裏で座り込んでしまった。


 あの黒いモノと同調しすぎた。

 サロメの気持ちと。あの黒いモノの相性が良すぎた。

 忍の中は浸食されて。どこまでが自分で、どこからがアレなのか。もう分らなくなりそうだ。


 目を閉じる。お祖母ちゃんの教えを思い出す。

 自分の中に満ちている、エネルギーの存在を意識する。

 それをゆっくりゆっくり、体の中で回し、隅々まで行き渡らせる。

 指先に。髪の毛の一本一本に。肌に。内臓や骨の中までも。

 ぐるぐる、ぐるぐると。体の中に、力を満たす。そのことだけを考える。


 どのくらい座っていたのか。

 だんだんと、体が。日光の暖かさを感じ始める。

 座ったコンクリートの冷たさと、足元の湿った土の匂いを感じる。

 吹きすぎていく風が、木の葉を揺らしているのを感じる。

 風には秋の色がある。


「どうした。気分でも悪いのか?」

 声をかけられて、目を開けると。十津見先生が立っていた。

 その顔を見て、声を聞くと。ホッとして、口許が緩んでしまう。

「大丈夫です。ちょっと休んでいただけです」

 立ち上がる。黒いモノは、体の中から消えていた。


 先生は軽く顔を動かして、忍を上から下まで見た。

「最後の讃美歌にいなかったから、何かあったのかと思ったのだが。そういうわけでもなさそうだな」

「元々、私は出ない予定だったんです。サロメがあそこにいるのもおかしいですから」


「たかが子供の劇に、そこまで気を遣う必要もないと思うが」

 先生はそう言ってから上着を脱ぎ、忍の方に突きつけた。

「着なさい。その衣装は、やはり目のやりどころに困るな。おとなしいものにしろと散々意見をしたつもりだが、君たちには聞こえなかったようだな」

「すみません」

 忍は赤くなって、上着を受け取った。袖を通すと、先生の温もりが感じられて暖かい。

 大きな上着は、ももまで食い込んだスリットや真赤なガーターベルトも隠してくれる。それで忍はまた、ホッとした。


「この後はどうする?」

 先生はたずねた。

「例年より少ないが、他校の男子生徒なども来ている。その煽情的な姿で構内をうろうろするのは、風紀上問題があると思うが」

「寮に戻って着替えます」

 忍は言った。講堂の裏を回って行けば、人目につかずに柊実寮まで帰れる。


「では、寮まで送って行こう」

 先生は言った。

「君のような子供があんな恰好をしてはいけない。客席の男たちが、君の脚をじろじろと……あー、ああいう見世物は学校の品位を下げる」

「はい。すみません」

 胸の前で先生の上着の襟をかきあわせ。少しでも体を隠そうとする。


「その。分かっていると思うが、あんな下着をつけるのは」

「つけません」

 あわてて言った。

「アレは、その、本当に、お芝居の衣装だったから」

 顔が赤くなる。でも、いつもあんなのを着けていると思われるのは、恥ずかしすぎる。

「もう着けません」

「そうか。そうしなさい。子供の着けるようなものじゃない」

 

 その後、しばらく沈黙が落ちる。

 そのまま歩いている内に、柊実寮にたどり着いた。玄関の前まで先生が付き添ってくれる。


 忍は上着を脱いで、先生に差し出した。

「ありがとうございました」

 先生はうなずいて、それに袖を通して。それから、もう一度忍を見た。

「やはり君にはサロメは合わないな。あんな役をやるには、君は、その」


 先生はちょっと、眼鏡の奥で目を泳がせた。

「可憐すぎて、おかしな感じだった。ミスキャストだな。間島には演劇のセンスが感じられん」

 それだけ言うと、先生はあいさつもしないで背中を向け、さっさと行ってしまった。きっと忙しいのだろうな、と忍は思う。

 寮母さんに挨拶して寮に入り。自分の部屋に戻って衣装を全部脱ぐ。

 それで、やっとホッとした。

 

 ようやく大役が終わった。いや、まだ明日も上演するのだけれど。

 それでも忍は。肩の荷が一つ、下りたような気がした。


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