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花園で笑う  作者: 宮澤花
第2部 忍
133/211

9 当日 -4-

 客席に花が見えるように持ちながら。舞台袖に下がる。その間、忍は考える。

 次の場面のサロメの気持ちが、どうしても分からない。


 客席から見えない位置で待ち構えていた都ちゃんが、手早く早変わりをしてくれる。衣装の上につけていた、白いレースのふんわりしたスカート。それを取るだけで、サロメの衣装は黒中心のエロチックなものに変わる。

 今日は、あの赤いガーターベルトも付けている。

 鏡の中で自分を見た時。その赤が、血を流しているようで。ひどく不吉なものに感じられた。


 舞台では。ヘロデ王役の森さんと、大臣役の木村さんが話している。ヨハネたちの周りにユダヤ人が集まりすぎる、ローマの支配に反抗するつもりなのではないかと話している。

 サロメはここで出て行き。誕生日の贈り物として、ヨハネの首を父王にねだるのだ。


 分からない。

 どんなにひどい目に遭わされても。思いが通じなかったとしても。好きだったはずなのに。どうして、そんなことを。


 舞台に足を踏み出しながら。まだ、忍は迷っている。

 いいんだ。このセリフはお芝居を動かすきっかけに過ぎない。

 サロメの気持ちなんかわからなくても。ただ、決められたセリフを言えばいい。それだけでいい。


-本当に、分からない?-


 誰かが。どこかで囁いた。

 そんなわけはないのに。忍は一人、客席の人々に見守られる中、父親役の森さんに近付いている。それだけなのに。


 ああ、でも。

 いつの間にか。あの黒いモノが、体中に巻き付いている。巻き付いて、忍に同化しようと囁きかけている。


-私は裏切られた。辱められた。踏みにじられ続けてきた-

 ソレは言う。

-どうして私だけ。みんな笑っているのに。どうして私だけ、こんなみじめな思いを-


 それに応えるものが。忍の中にも確かにある。

 彩名たちにいつもいじめられていた小学生時代。泥だらけにされ、大切な持ち物を壊されたり奪われたり。戯れに頬を張られ、コンパスの針で刺され。トイレの床に突き飛ばされた。


 辛かった。悲しかった。怖かった。恐ろしかった。

 この世のどこにも居場所がない。周りは自分を責める人ばかり。

 出口が見えなくて。ただ不様にのたうつばかりで。


-だから、ね-

 黒いモノは言う。

-みんな、私と同じにしてしまえばいいの-


 忍はヘロデ王に扮装した森さんを見て。

「お父様。私の誕生祝にはどうか、洗礼者ヨハネの首を下さいませ」

 と。華やかに微笑んで、セリフを口にした。

 心から。迷いなく。



 暗転。ヨハネが連行され、刑を言い渡される場面。

 その間、サロメの出番はない。舞台の上で、ヨハネの最後の神への祈りと、断末魔のうめき声。

 それから。劇の最後の場面になる。

 忍は舞台の中央に待機する。準備が出来ると。そこにいる忍ともう一人を、スポットライトが照らし出す。


 客席がどよめく。リハーサルでは見せなかった、もう一つの仕掛け。

 忍の前に置いてある箱には、ヨハネ役の広坂さんが入っている。客席から見ると、まるで台の上にヨハネの首が載っているように見えるはずだ。

 マジック研究会の山中さんが作ってくれたもので、彼女曰く『初歩のトリック』だそうだが、中に入る広坂さんの感想は『狭くて苦しい』ということだ。


 それでも。お客さんから見れば、十分にショッキングな光景のはずだ。

 その前で。忍は最後のセリフを言う。


 サロメ。満足しているの?

 忍は心の中で問う。

 あなたは本当に、こんなモノが欲しかったの?

 あなたが欲しかったのは、生きているヨハネの腕や、胸や。優しい声ではなかったの?


-これでいいの-

 忍の中で応える声がする。

-私は何も手に入れられないんだから。これでもう。誰もこの人を手に入れられない-


 忍はゆっくりと、ヨハネの首に近付く。

 それを見下ろす。

 そこに感情はない。サロメは、何とも思っていない。

 ヨハネを手に入れた高揚感もない。だってこれはただの首。サロメが好きだった男ではない。


 自分には何も手に入れられない。永久に。

 サロメはただ、それを確認しているだけ。


 さあ、セリフを。最後のセリフを言わなくては。

『ヨハネ様。これで永久に、私のもの』


 けれどそれは。

 今、忍の中にいるサロメの気持ちとはあまりにそぐわなくて。

 そのセリフが。口から出て来ない。


 代わりに忍は。顔にかかる髪をかき上げて。

 ざわめきながらこちらを見ている観衆を見据え。

 ゆっくりと、微笑った。


「これで」

 かすれた声で言う。

 それはどこからきた言葉なのか。忍の言葉ではない。

 サロメの言葉でもない。

 ああ、そうか。これはあの。黒いモノの。


「私は大丈夫。もう何も、心配することはない」


 そうか。

 小林さんを刺した時も。

 穂乃花お姉さまを刺した時も。

 あれは、そう思っていたのだ。


 怖がって怯えて。

 弱いものを殺して。

 それでようやく、自分は安全だと笑っていたのだ。


 忍はスポットライトの中で。スカートの裾を翻し、軽やかにクルリと回る。

 その瞬間。

 それは忍で。サロメで。同時に殺人者その人だった。


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