9 当日 -3-
その後はお姉ちゃんと別れて、風紀委員の見回りに行った。この仕事は、実行委員と風紀委員が分担して行っている。外部の人が入るから、やはり問題が起きやすいのだそうである。
五年のお姉さまと一緒に巡回をしたが、幸い特に何も起きなかった。
それからひかりちゃんとの待ち合わせに移動し、お弁当をもらってお昼ご飯を食べる。発表は二時からだから、食べ終わったらすぐに準備に入らなくてはならない。
講堂の舞台裏にある狭い控室に集合だ。忍たち、舞台に出る人間はその場で着替え。直前の演目である軽音楽部の発表を聞きながら、段取りやセリフをあわただしく確認する。
「じゃあ、みんな。思いっきりはじけてきてね!」
間島さんが最後に言う。
「一年竹組! ファイアー!」
大声を出すと、舞台にまで聞こえてしまうので。みんな小声で唱和する。意気が上がったのか上がらないのかよく分からない。
そこへ、
「一年竹組の皆さま。準備に入って」
ドアがノックされ、入ってきた実行委員のお姉さまにそう告げられた。
いよいよだ。忍はドキドキしてきた。
「忍。大丈夫だからね」
それを見透かしたように。間島さんが声をかけてくれる。
「アンタのサロメは最強だから。十津見先生を悩殺するつもりでやってよ」
「と、十津見先生を?!」
ビックリする。それは。忍が先生のファンだなんてこと、クラスのみんなも寮の人たちも知っているけど。
「そうそう。そのくらいのつもりでね」
間島さんは笑った。
忍は困った。悩殺なんて、出来るわけないけれど。
でも。きっと、見に来てくれているから。恥ずかしくないような演技が出来るよう、頑張ろう。そう思った。
幕が開くのを待っている。用意が出来ると、間島さんのナレーションが始まる。
「一年竹組。劇を発表します。タイトルは『洗礼者の殉教』です」
マイクを通して声が響く。
午前中の演劇部の出し物では、出演者として演技をしたらしい間島さんだが。クラスの出し物では、監督に徹している。
「荒野で呼ばわる者の声がする。『主の道を備えよ、その道すじをまっすぐにせよ』」
その言葉で劇は始まる。
ヨハネ役の広坂さんが、フェイクファーの衣装を着けて舞台に出る。信者役の子たちがそれを追いかけ、周りで説教を聞く。
出番だ。
忍は大きく息を吸い。舞台に足を踏み出した。
スポットライトに照らされて、目がくらむ。
会場には、たくさんの人たちが入っていて。昨日のリハーサルとは雰囲気が全然違う。みんなに見られている気がして、逃げ出したくなる。
でも。一番前の列の、端っこの方に十津見先生が座っている姿が見える。だから。ちゃんとやらなきゃ、と。みっともないところは見せられない、と。両足に力を入れる。
そう、今の自分は雪ノ下忍ではなく、サロメ。サロメの気分になりきれば……きっと、最後までちゃんと出来る。
広坂さんのヨハネが説法を続けている。神の国の美しさを語っている。
けれど、サロメの目は神の国を見ていない。彼の語る、言葉も聞いていない。
彼女が見ているのは、ヨハネという男の顔。聞いているのは、彼の声。
サロメは彼が好き。預言者ヨハネでなく、ラクダの皮の衣を着て、人々に慕われるヨハネという男が好き。だから。
「娘ご。あなたも洗礼を希望されるか」
そう、彼に問いかけられた時。
「私が欲しいのは、洗礼ではなくあなたの手」と。
「神の国への道ではなく、現世の愛」と。
はっきりと、声高く言ってしまうのだ。
忍だって、先生のことが好きだから。
好きな人を見つめたい気持ちが。触れたい気持ちが。
サロメの気持ちが、分かる。そう思う。
だけど。
敬虔な神のしもべである洗礼者に、その思いは通じない。
サロメは悪魔呼ばわりされ。信者たちからも嘲われ、二度とヨハネに近付くなと蔑みの声を受け。突き飛ばされて、地面に崩れ落ちる。
髪に飾った綺麗な花は抜け落ちて、信者たちに踏みつぶされてしまう……という。せっかく作った造花がもったいないシナリオになっている。
皆が去った後。サロメである忍は、のろのろと舞台の上で身を起こす。
ここの場面ではセリフはない。サロメは落ちてボロボロになった花を拾い。黙ってそれを抱きしめる。
サロメには悪気はなかった。
神様の言葉を彼女は理解できなかったけれど。それでも、きっとヨハネを大好きだった。
大好きな人に理解してもらえない。気持ちを受け止めてもらえない。
しかもみんなに嘲られて。
それはとっても痛い、辛いことだろうと思う。




