9 当日 -2-
そして、いよいよ百花祭の当日。
間島さんは午前中は演劇部の発表があるとかで、クラスの方には現れない。みんなも、それぞれの部活の出し物に顔を出している子が多い。
忍も朝から調理部の方へ行って、前日までに作っておいた焼き菓子を出店に出したり、追加で焼く分の準備をしたりするのを手伝った。それも一段落して、調理室を出ようとしているところに。ひかりちゃんが興奮した様子でやって来た。
「忍、忍! 千草お姉さまの婚約者さんが受付に来てるって!」
「え?」
思わず間抜けな声が出てしまう。
そういえば。先生と外で食事をした日に、学校にお姉ちゃんの婚約者が来ていたらしい。
翌日、桜花寮の間島さんや他の人たちにそのことについて聞かれた気もするが。忍はまだボーっとしていて、あまり気にしていなかったのだ。
「すごいラブラブだって! どんな人? 忍、話したことある?」
「ないけど」
玄関に来ているのを、チラッとのぞいたことがあるだけだ。
あの背の高い人と、お姉ちゃんがラブラブ。正直、想像つかない。
「えー?! お姉さんの婚約者なんでしょ?!」
「まあ、そうだってお姉ちゃんは言ってるけど」
実はいまだに信じられない。お姉ちゃんが恋愛したとか。
「見に行こうよ!」
ひかりちゃんは忍の腕を引っ張った。
「え?」
「忍も、挨拶した方がいいでしょ? 妹なんだもん。ね、行こう行こう!」
ぐいぐい引っ張られる。
この前、ケンカみたいになった後、逃げ出してしまったから。今、お姉ちゃんとはあまり会いたくないんだけど。
それでも結局。引きずられて、受付のある校門の近くまで行ってしまった。
お姉ちゃんは今年も実行委員らしいから、受付のテントにいるのだろうか。
そして、校門から前庭に上る坂道に。
女の子たちに囲まれて、背の高いスーツ姿の男の人がいた。その目がまっすぐに忍を見る。瞳が緑に光ったような気がして、怖くなった。
忍はひかりちゃんを引っ張って、そのまま逃げ出そうとした。
その時。
「忍」
お姉ちゃんの声がした。
振り返ると。いつの間にか、お姉ちゃんがあの人の横に立ち。こちらに向かって、笑顔で手招きしている。
「こっち来て。ちゃんと挨拶して」
そう言われると。無視して走り去るのも、あまりにも礼儀知らずなような気がして。
気が進まなくても、行かないわけにはいかなくなる。
仕方なくお姉ちゃんの傍に行く。
お姉ちゃんの婚約者という人は、十津見先生と同じくらい背が高い。
年も同じくらいだろうか。先生とは服の趣味も性格も違いそうだけれど。
どこか、同じ空気をまとっているような。そんな感じが、少しした。
「ちゃんと紹介するのは初めてですね。克己さん、これが妹の忍です」
お姉ちゃんはそう言って、忍をその人の方に押し出す。それから。
「忍。私と婚約した、北堀克己さん」
と言った。
北堀さん。そういう名前なのか。そして、お姉ちゃんは本気でこの人と結婚する、と言っているように見える。いつ結婚するんだろう。結婚したら、北堀千草になって、家から出て行っちゃうのかな。
そんなことを考えながら。
「ご、ごきげんよう」
と。絞り出すような声で、あいさつした。
北堀さんという人は。黙って忍を見下ろしている。さっきまで茶色に見えていたその目が。やっぱりまた、緑に光ったような気がして。忍はまた怖くなって、慌てて目をそらした。
「なるほど。千草さんとは似ていないかな。いや、似ているのかな。よろしく、北堀です」
北堀さんはそう言って。忍に向けて右手を差し出す。
握手を求められているのか。そう気付いて、恐る恐る右手を差し出す。
大きな手と忍の手が触れ合った時。
視界が真っ白になって。
体の中で、何かはじけるような感じがした。
冬場に、静電気が走った時のように。
忍の中でいつも回っている何か。それが一気に沸騰して、はじけた。
一瞬。呆然として相手の顔を見る。握った手はいつの間にか離れていた。
「僕たちはあまり一緒にいない方がいいようですね」
そんな忍を見下ろして。北堀さんは、納得がいったようにうなずいた。
それから。
「じゃあ千草さん、くれぐれも気を付けて。お昼に迎えに来ます。さあ君たち、行きましょう」
そう言って。くるりと背中を向けると、女の子たちを連れて、スタスタと坂を上って行ってしまった。
あれ、浮気じゃないのかなあ。そう思って恐る恐るお姉ちゃんを見るが。
お姉ちゃんは平気な顔でそれを見送っていた。よく分からない。お姉ちゃんは、あの人が好きだから結婚するのじゃないのかな。
それにしても。
忍は。あの人と触れ合った右手をそっと撫でる。
火傷したような気がした。あの人は、いったい何? お祖母ちゃんから「力」のコントロールを教わるようになってから。こんなことは、一度もなかった。
あの、緑に光る眼は。忍のことを見透かすようで。とても怖かった。
「あの人。怖い人だね」
気が付くと。そう呟いていた。
お姉ちゃんは呆れたように、
「何言ってるの、アンタ」
と首をかしげた。