8 決意 -8-
あの時もそうだった。屋上で、先生が話を聞いてくれた時。
ママやお姉ちゃんだって、絶対信じてくれないだろう話を、先生が信じてくれた時。
嬉しくて。安心して。忍は先生にすがって、泣いてしまった。
学校説明会の時も。
その後も、いつだって。
誰も味方がいなくてひとりぼっちだと感じた時。
先生が、味方してくれた。
今も。先生がとても困っているのは分かるけれど。
それでもしゃくりあげる忍の背中を、優しくなでてくれている。
ああ。どうして、怖がっていたんだろう。
やらなくてはいけないことは、初めから分かっていたのに。
こうやって受け止めてくれる人がひとりいるだけで。
怖いものなんて、何もないはずなのに。
「先生」
忍は、先生の胸から顔を離す。涙でびしょびしょの顔が恥ずかしいが、ハンカチでぬぐって、先生を見上げる。
「お姉ちゃんが、殺されます」
先生はすぐに、表情を引き締めた。
「それは例の、君のカンか?」
忍はうなずく。
「確かなのか?」
「多分」
先生は眉間にしわを寄せた。
「雪ノ下千草は、その」
少し言いよどむ。
「同じなのか? 小林夏希や、大森穂乃花と」
「違います」
それだけは、ハッキリと。忍は首を横に振る。
「お姉ちゃんは清浄です。ただ、お姉ちゃん……。小林さんのことで、何かを調べているみたいなんです」
先生は軽蔑したように嗤った。
「好奇心が猫を殺すと言うヤツだな。お節介焼きをするからそういうことになる」
それは否定できない、と忍も思う。あんなに、ダメだと言ったのに。
「すごく、嫌な感じの言葉を言っていました」
「何だ?」
忍は声を潜めた。お姉ちゃんがやったのと、同じように。誰かに聞かれるのを恐れるように。聞こえるか聞こえないくらいの声で。
そっと、囁く。
「フェアリー」
「フェアリー?」
先生は怪訝な顔をした。
「子供じみているな。その言葉がどう関係している?」
「分かりません」
忍は、そう言うしかなかった。
「まあいい。一応、参考として聞いておく」
先生は肩をすくめた。
「他に何かあるか?」
「ありません。今は」
先生は眼鏡越しに鋭い視線を忍に向ける。
「以前は、あまり乗り気でなかったようだが。心境が変わったか?」
忍は黙ってうなずく。
「お姉ちゃんを、守りたいです」
「そうか」
先生は。どうでも良さそうに言った。
そう。それだけのこと。簡単なことだった。
自分の大切なものを守る。
あの黒いモノがお姉ちゃんや、忍の大切な人たちを傷付けるなら。
出来る限りのことをして、それを止める。
「では、教えてもらおうか。君の言う腐臭のするとかいう生徒の名前を」
忍は首を横に振った。先生が意外そうな顔をする。
「雪ノ下。どういうつもりだ」
「その人たちは枝葉に過ぎません。捕まえてもキリがありません」
お祖母ちゃんは、何と言っていただろう。
そう、確か。
もし、いつか。忍が悪いモノと対峙しなくてはならない時が来たら。
はびこる虫を一匹一匹潰しても、意味はない。
それらの巣食う場所を見つけ、破壊し、祓わなければ。
「中心を見つけます。全ての元になっている人を」
忍は言った。
「出来るのか?」
先生が驚く。忍はうなずく。出来るはずだ。あの黒い気配を追っていけばいい。
「少し、時間はかかるかもしれませんが」
先生は考えるように、あごに手をやった。
「分かった。だが、ひとりでやるのは危険だ。応援を手配する。とりあえず、明日と明後日は百花祭でごたごたしているだろう。やるならその後だな」
「分かりました」
忍はうなずいた。お芝居の方もあるし、クラスのみんなに迷惑はかけたくない。
「くれぐれも、ひとりで動かないように。危険な相手だということを、忘れないよう」
先生は、念を押すように言う。
「はい」
もう一度、忍はうなずく。そして先生を見上げて、微笑む。
「先生が一緒なら、心強いです」
先生は不機嫌に目をそらした。
「から騒ぎでないことを祈っている。早く教室に帰りなさい。ああ、だがそんな顔のままここから出て行かれても、体裁が悪いな。少し休んでいきなさい。お茶でも飲むかね」
部屋の隅に置いてある電気ポットや、ティーバッグを身振りで示す。
「私が淹れます」
忍は言った。
「うちでは、よくやるんです」
「では、お願いしよう」
もう一度、涙を拭いて。忍は部屋の隅の水道に向かった。




