8 決意 -7-
「言っても信じない」
お姉ちゃんは眉をひそめた。
「言ってもいないのに、決めつけることないでしょう」
「言わなくても分かる」
ますます強くスカートを握る。後でアイロンをかけなくてはいけない。
「忍」
お姉ちゃんはまっすぐに忍を見て言った。
「私、アンタを心配してる。困ったことになっているんじゃないかと思ってる。もしそうなら、絶対に助けるから。だから、話して」
忍は泣きたくなった。
お姉ちゃんは分かっていない。困ったことになるのはお姉ちゃんで。それを助けたいのが忍だ。
なのに、どうして。気持ちはこんなに、伝わらないんだろう。
どうして自分は。他の人に理解してもらえる言葉を持っていないんだろう。
「私は大丈夫」
忍は、スカートの皺を見つめたまま言った。
「お姉ちゃんの方が危ない」
「私?」
お姉ちゃんは目を丸くする。
「私は大丈夫よ。関係ないもの」
何を言っているんだ、と言うように、笑う。その鈍感さが、気に障った。
一瞬、頭の中でひらめいた。あの赤い世界の中で、白い顔をして倒れているお姉ちゃんのイメージを思い出すだけで。忍は恐ろしくて、気が遠くなりそうなのに。お姉ちゃんは自分のことに、無頓着すぎる。
「危ないのはお姉ちゃんよ。だから、気を付けて」
それ以上、顔を見ていられなくて。忍は、立ち上がる。
「あ。待ちなさい、忍」
お姉ちゃんの声が。後ろから、追いかけてくる。
一度だけ、忍は振り向いた。
「大丈夫。私の話を聞いてくれる人、ちゃんといるから。だから、お姉ちゃんは自分を大事にして」
ママのこと、教えてくれてありがとう。
そう付け加えて。忍はお姉ちゃんを置いて、ロビーを出た。お姉ちゃんが追ってくる前に、廊下を走り出す。
問い詰められたら、困る。
いつまで話しても、忍はお姉ちゃんを納得させられるような話は出来ない。
それなのに、お姉ちゃんは追ってくる。自分の後ろから、足音が聞こえる。
忍は。ただひたすら逃げる。
走っているうちに。いくつも並ぶ、扉の一つががらりと開いた。
「廊下を走るのは禁止だ。堂々と校則を破っているのは、誰だ?」
厳しい声で言う人と、目が合う。
その顔を見た途端。忍は、思い切り、先生に抱きついていた。
「ど、どうした」
十津見先生の慌てた声。
「雪ノ下忍。何かあったのか。教室に戻って、縫物をしているはずではないのか」
後ろから、お姉ちゃんの足音が。だんだん近付いてくる。
「とにかく、中へ入りなさい」
先生は忍を引っ張って部屋に入れ、扉を閉めた。そこは地学研究室だった。傍まで来ていたのに、ちっとも気付いていなかった。
廊下の足音が止まる。忍の姿を見失って、お姉ちゃんは困っているようだ。
先生は忍に黙っているように合図し、扉を開けた。
しばらくの間、先生とお姉ちゃんが言い合う声が廊下に響いていた。やがて、お姉ちゃんの足音が遠ざかる。
先生は戻って来て、扉をぴしゃりと閉めると。忍の顔を見て、たずねた。
「姉妹ゲンカか?」
忍は黙って首を横に振った。
そんなものじゃない。
ただ、忍がお姉ちゃんの期待に応えられないダメな妹である、それだけだ。
「だったらどうして、そんな顔をしている」
先生がため息をついて、かがみこむ。忍の顔を覗き込む。
「子供じゃないのだから、めそめそするのはやめなさい」
言いながら、ポケットを探している。ハンカチを探しているのかもしれない、と思った。
そんな仕草を見ていると。忍は、涙が止まらなくなってしまった。
もう一度、先生にしがみつく。
「雪ノ下。やめなさい」
先生は困ったようだったが。無理に忍を引き離すことはしなかった。
その胸の中で、忍は思い切り泣いた。