8 決意 -4-
手芸屋さんでレースを見る。一番使うのは、細かい網状の黒いレースなのだけれど。同じレースで白も使うし、裾や袖口処理のバイアステープ、飾りに使うレースも別に買う。
チュール、オーガンジー、スカラップ。種類があり過ぎて迷ってしまう。
「これもいいなあ。これも」
都ちゃんは次々に、レースを忍に当ててみる。
「うわ、どうしよう。すごい迷う」
「早くしなさい」
十津見先生がものすごくイライラした様子で言った。女性のお客さんが多い手芸専門店の中で、先生の存在はちょっと浮いている。
「はーい」
間島さんが返事をする。
「中山さ。やっぱり、舞台映えを考えると幅広の、派手なヤツじゃない?」
「そうねえ。そうすると、チュールかな。使いやすさで言うとトーションかなあ」
首をひねる都ちゃん。
結局、間島さんと都ちゃんで十五分に渡り議論して、衣装の胸元隠しに使う白のレース、袖口と裾飾りに使う黒のレース、髪を飾るリボン用のレースが購入された。
「うわ、結構買ったね」
間島さんが呟く。
「黒レースと白レースが量、あるからね。戻ったら急いで縫製しなくちゃ」
都ちゃんはもう、作業のことを考えている。
「君たちのおしゃべりは放っておくと際限がないな」
十津見先生は不機嫌な様子で言う。
「みっともない。学校の外であまり恥をさらさないでもらいたい」
「先生、お付き合いいただいてありがとうございました」
嵯峨野先生がつんとした口調で言った。まだ怒っているようだ。
「これでお帰りになるんですか?」
聞かれて、十津見先生は首を横に振った。
「いえ。まだ学校に仕事が残っていますので」
その瞬間のことを。間島さんは後にこう評した。
『嵯峨ちゃんのあんな顔は、あの時以外見たことないよね』
「そ、そうですか。それは、お忙しいところ、わざわざ来ていただいてありがとうございました」
「いいえ。この劇は、時節をわきまえぬ大胆な企画ですからね。風紀担当としても気になりますので」
十津見先生は冷たい口調で答える。
嵯峨野先生は、忍たちの方に向き直って、みんなの背中を押した。
「さ、みんな! 帰るわよ。まだやること、いっぱい残ってるんでしょ?」
何だか、追い立てられているような気がした。
帰り道は五人になった。忍たち生徒が先に歩き、先生たちが後からついて来る。
三人でしゃべっていると、十津見先生から静かにするよう注意を受けるのだが。いったんは静まっても、すぐにまたくすくす笑いや小声でのおしゃべりが始まる。女の子同士集まると、それは仕方のないことだろう。
後ろの先生方は、あまり話がはずんでいないようだが。
商店街を抜け、お寺の角を曲がると百花園に向かう坂になる。右側は墓地、左側は急な斜面で、住宅地の屋根が見える。
「先生、ここなら発声練習してもいいですか?」
間島さんが、後ろを振り返って聞いた。
「やめなさい。みっともない」
と言う十津見先生の声と。
「そうね。少しくらいならいいんじゃない」
と言う嵯峨野先生の声がかぶった。
しばし落ちる緊張感。
それから。
「だ、そうだ。君たちの担任は嵯峨野先生だからな。先生のおっしゃることに従いなさい」
十津見先生がそう、肩をすくめて言った。
眼鏡の奥の目が嵯峨野先生に向かい、
「近隣からの苦情があったらよろしく処理していただきたい」
と冷たく言う。
嵯峨野先生はまた表情を硬くして、
「分かってます」
と答えた。
「じゃ、忍。私の後について言ってね」
間島さんが早速言うと。
「言葉遣い」
すぐに十津見先生に注意を受けた。
「では、忍さん。私の後について言ってくださいね」
すかさず言い直す間島さん。演劇部所属のせいだろうか、切り替えが流暢だと思う。
「あめんぼ赤いな、あいうえお」
昔の詩人の書いた詩を、大声で言いながら坂を上がる。
「ちょっ、間島……じゃない。間島さん、これキツい……キツいですわ。キツくてよ」
付き合ってくれた都ちゃんが、おかしな百花園しゃべりで音を上げる。
「だからこそ練習になるんですよ、都さん。頑張って、忍さん」
間島さんは百花園しゃべり、うまいなあ。そして、あんまり息を切らしてないなあ。
無駄口を叩く余裕がない忍は、そう心で思うだけだ。
それでも坂を上りきる頃には、三人とも息を切らし、顔を赤くしていた。
「よろしくてよ……忍さん……ずいぶん、声が出るようになって来ましたわね」
さすがの間島さんも、昔の少女マンガみたいなしゃべり方になって来た。
「うん。じゃなくて、ええ本当に。忍さん、大きな声出るんじゃない。じゃなくて出るんですね」
都ちゃんは相変わらず、訂正が多い。
「ありがとう」
忍はいっそう赤くなって、そうお礼を言った。




