6 初稽古 -1-
穂乃花お姉さまのことは誰にも言うな、と先生に念を押され。寮に戻った忍は、暗い気持ちで夕食を取り、ベッドに入った。
蹴られて、アザになっているところを触る。あの時は痛かったし、恐ろしかった。腐臭がきつくて、まっすぐに相手を見られなかった。
だけど。必死な声だった。
どうして、あの時、あの人はあんな風に凶暴になったのか。
「死んじゃえ」
と怒鳴った彼女の声が。耳から離れない。
あの人は、小林さんと同じように、誰かに刃物で刺されて。今は、病院のベッドの上で。
……もう死んでしまっているのかもしれない。
そう思うと、体の芯が冷たくなる気がする。確かに生きていて、自分と会話をしていた人が。この世から、いなくなる。
そんなことが、続けて身近で起こっていることが、恐ろしかった。
あの時の穂乃花お姉さまの、声は。
小林さんの声に似ていた。
どうして二人はあれほど忍に辛く当たったのか、分からない。
分からないのに、あの声が。目の前から消えてしまえ、と呪う声が。耳から離れない。
「君は悪を容認するのか」
先生の声が、それに重なって響く。
忍は。布団の中で固く目を瞑り、丸くなる。
だって、どうしたら良いのか分からない。どうしたら、それに立ち向かえるのか。自分に何が出来るのか、何が期待されているのか、分からない。
だから、夜の中。耳を塞いで、ただ小さくなった。
翌日も、晒し場に自分の名前があった。罪状は『外出中の制服不着用』。仕方ないとはいえ、気が重い。
ここに書いてあることは全部、ママとパパにメールで知らされているはずだ。後期は始まったばかりなのに、もう二回目。そろそろ、ママが騒ぎ出すかもしれない。
「忍ってさ」
ひかりちゃんがそれを見ていった。
「十津見に気に入られてるのか、目を付けられてるのか、ビミョウなところだよね」
気に入られているなら言うことはないのだが。多分後者だ、と思うと忍はため息が出てしまった。
一時間目はまた、緊急集会だった。
校長先生が、穂乃花お姉さまの事件について説明した。入院している、という説明だったので。まだ生きているんだ、と少しホッとした。
学院祭は予定通り開催されるということだった。
「こんなことになってもやるんだね」
ひかりちゃんが呟いた。忍も黙ってうなずいた。
去年、実行委員長だったお姉ちゃんは。
『百花園は私立だから、百花祭で入学希望者にアピールしなきゃいけないのよ』
と言っていたけど。
これではちょっと、小林さんや穂乃花お姉さまに冷たい気がした。
その後は、授業も通常通りだった。三時間目は、担任の嵯峨野先生の授業時間だったので、百花祭の相談をするためにホームルームにしてもらった。
「それじゃ、皆さん。学院祭は『洗礼者の殉教』をやるということで、企画書を提出していいですね?」
星野さんがみんなに確認する。もう全員に話が回っていたので、みんなうなずいた。
「新しい台本」
間島さんが言って、みんなに配ってくれる。
「一部、配役変更があるけど。異議がある人、自分が立候補したいって人がいたら言って」
台本をめくってみると、サロメ役のところにあらかじめ自分の名前が印刷してあった。
他にも、少し役の変更があるようだ。
全体も短くなっているようだし、古川さんと星野さんは女官役を外れて、別の子の名前が書いてあった。
それ以外にも、名前が新しくなっているところがいくつかある。
お芝居には出たくない、と言い出した子が多いのかな、と思った。
「これでいいですか? 反対の人、いませんか?」
教壇の上から、星野さんが聞いている。誰も挙手しない。
「雪ノ下、サロメやるんだ」
前の席の子が振り向いて、忍に話しかける。
「意外。大丈夫? 声小さいと、セリフ聞こえないよ?」
「うん」
忍はうなずいた。
「頑張る……」
そう言う語尾が、また小さくなってしまって。ダメだなあ、と思った。
「雪ノ下で大丈夫なの?」
とか。
「宮井さんの後だと、見劣りするよね」
とか。そんな声が聞こえる気がする。
昨日は、つい調子に乗って引き受けてしまったけれど。出過ぎたことだったろうか。そう思って、忍はまた、下を向いてしまう。
「大丈夫だよ。忍はちゃんと、全部セリフ覚えてるんだから」
ひかりちゃんがハッキリと言ってくれた。
「そんなの当たり前でしょ。出来もしないのに役引き受けるとか、有り得ない」
古川さんが意地悪い声音で言った。
「まあまあ。とにかくみんな、一度通し稽古してみたら?」
嵯峨野先生が声をかけてくれた。
「台本と企画については、通してもらえるよう私も吉住先生に頼んでみるから。難しい題材だけど、挑戦するからにはいい劇にしようよ。応援するからさ」
その、元気のいい声に押されて。
みんなは席を立ち、机を後ろに寄せて、稽古を始めることになった。