5 呼び出し -5-
「半分あげる」
彩名はそう言って、目の前のスイーツを手に取った。
「え。いいよ、いらない」
忍は慌てた。もらえない。もらったら、その代償に何を要求されるか分からない。
「なんで」
彩名は忍をにらみつける。
「あの。今、おなかすいてないし」
忍は下を向く。それは嘘じゃない。こんな臭いの中で、物なんか食べたくない。
「感じ悪い。人の好意は受けるものだよ」
彩名はそう言って、無理やり忍のトレイにスイーツの半分を押し付けた。
口紅を塗った口が大きく開いて、肉食獣のような白い大きな歯が、残りの半分を咀嚼する。
「あの」
忍は小さな声で言った。
「彩名ちゃん。今日は、何の用」
「別に」
彩名は嗤った。
「呼んだだけー。本当に来るとは、思わなかったけど。今度から、用事ある時は呼ぶねえ」
そんなの、困る。そう言いたいのに、言えない。
交通費だって、かかるのに。ここまで来ると、それだけでお小遣いがずいぶんなくなってしまう。
そう言いたいのに。
「タケヒロ、覚えてる?」
急に彩名が言った。
忍は顔を上げる。それはあの、彩名の家にいた、怖い男の人。忘れたくても、忘れられない。
忍がうなずくのを見て、彩名は満足そうに言った。
「私。最近、タケヒロと付き合ってるんだー」
忍は。目を丸くした。
「でも」
言いかけて、言葉を止める。
それを、彩名は聞き咎めた。
「でも。何? なんか、言いたいことあるの?」
「別に」
下を向く。彩名はますます、凶暴な表情になる。
「ハッキリ言いなよ。気持ち悪いな」
でも、あの人は。彩名ちゃんのママの友達だって、言っていたのに。
その言葉を、口に出せなくて。
「あの。あの人、大人なのに」
それだけ、言った。
「そんなの。年の差なんて関係ないわよ」
彩名はツン、とあごをそらす。
「男なんか、若い方が好きなんだから。寝ちゃえば、そんなの関係ないって、タケヒロも言ってた」
得意げに言う彩名の言葉を聞いていられなくて。忍は更に下を向く。
彩名ちゃんのパパとママは、ずっと前に離婚している。
彩名ちゃんのママは。仕事をしていて、若くてキレイだ。
だから。
あの人は、彩名ちゃんのママの恋人なのかな、って。
忍はそう思っていたのだけれど。
「そういえばさ」
思いついたように、彩名は言った。
「タケヒロの友達も、JCと付き合いたいんだって。アンタ、女ばっかりの学校で男に飢えてんでしょ。今度デートしてやってよ」
忍は、大慌てで首を横に振った。
「何でよ」
彩名はまた、不機嫌な声になる。
「ご飯とか、ケーキとかおごってもらえるし、好きなもの買ってもらえるんだよ? 彼氏とかだっていないでしょ。いるわけないよね、女子校だもん。アンタ地味だし」
「あの。校則で、男の子と付き合っちゃいけないの」
あわてて言う。
「バカじゃないの」
彩名は呆れたように言った。
「そんな校則、守るヤツいるの」
確かに。
寮のお姉さまたちの話を聞くと、彼氏がいる人もいるらしい。
学校側に届け出していたり、内緒だったりいろいろのようだけど。内緒の方が多いみたいだけれど。
「とにかく。私が呼んだら、来なよ。命令だからね」
彩名は言う。
「それとも、今、呼ぶ? タケヒロのトモダチ」
それは困る。
あんな怖い人の友達と、忍は付き合いたくなんかない。会いたくもない。
校則を破ったりしたくない。十津見先生をガッカリさせたくない。
「あの。私、もう帰らなきゃ」
急いでドリンクを飲んで、立ち上がった。
「もう? 今、来たばっかりじゃない」
彩名が唇を尖らせる。
「七時には、制服を着て寮の食堂に座ってなきゃいけないから。一年は、給仕の手伝いをしなきゃいけないの」
まだ残っているドリンクをそのままに。トレイを持って立ち上がる。
「あ、ちょっと。待ちなさいよ! アンタ、そんな態度して、どうなると思ってんの?!」
その声を背中に。急いでドリンクの入れ物とトレイを片付けて、忍はショップを飛び出した。
彩名から逃げようと。人目もはばからず、駅に向かって走った。
息が切れてくる。それでも、追われているという恐怖で懸命に走る。
来なければ良かった、来なければ良かった、来なければ良かった。
頭には、その言葉しかない。
どうして来てしまったんだろう。
どうして自分は、こんなに弱いんだろう。
どうして。どうして。どうして……。
視界が。ぐるぐると回った。