4 自分で決めろ -3-
忍は唇を噛む。両手を煉瓦に着けて、這いつくばって。地べたから、お姉さまを見上げる。メガネをかけた相手の青白い顔が、せせら笑うように彼女を見下ろしている。
「お姉さま、あの」
喉から絞り出すように、声を出す。謝らなければ。謝って許してもらわないと。
ああ、でも。
穂乃花お姉さまの言葉が、頭をグルグル回る。
自分がしたことは、確かに不作法だったけど、でも。
「本当に許されないことは、別にあると思います」
気付いたら。そんな言葉が口から滑り出ていた。
お姉さまの目が、眼鏡の後ろで丸くなる。
すぐに、それが吊り上がって。攻撃的な表情になった。
「何、それ。何言ってるの、あなた」
何を言ってるんだろう。
本当だ。自分でもそう思った。
だが。正しいことを言ったはずだという、その確信は胸の中で揺るがなかった。
「許してはならないことは、他にあるんです。そうでしょう」
衝動のままに、忍はそう続けていた。
穂乃花お姉さまの青白い顔が、更に白くなった。
「それ。どういう意味よ。言ってみなさいよ」
声が高くなる。
「ねえ、ちょっと! あなた、何を知ってるのよ。私を脅そうって言うの」
「何も、知りません」
そうなのだ。自分はいつも、何も知らない。ただ、『分かる』だけ。
「でも、お姉さまは、今。良くないモノに、囚われている」
続く声に、お姉さまの顔が歪んだ。腐臭がとても強くなる。
鬼のような顔がこちらを見下ろし。ローファーの爪先が、地に手を突いたままの腕を蹴りつけた。
激しい痛みに、四つん這いの姿勢を保てなくなる。骨が折れたか、ひびが入ったかもしれない。痛くて痛くてたまらない。
呻きながら、蹴られた場所を反対の手で押さえる。
それへ。更に足先が飛んだ。
「何よ! あなたに何が分かるって言うのよ! あやまりなさいよ、あやまれ!」
痛い。痛い痛い痛い。
「不作法をして……申し訳ありませんでした……」
息も絶え絶えに。地面に口を付けんばかりにして、そう言う。
それなのに、黙っていられなくて。
黙っていればいいと分かっているのに、どうしても言わなくてはという衝動に駆られて。
忍は顔を上げようとする。
「今のままじゃ、ダメです。それはお姉さまを滅ぼします」
「ウルサイっ」
切り裂くような怒鳴り声。
頭に、強い衝撃があった。横向けに倒れる。頭を蹴られた。
「あなたなんか。あなたなんか、死んじゃえ」
ああ。それは呪いの言葉だから。そういうことは、軽々しく口に出してはならないのに。
ぼんやりと考える。痛みで意識が曖昧になり。状況が把握できなくなる。
日陰の湿った煉瓦の上に、いつまでそうしていたのか。
「忍さん。忍さん?」
誰かの手が、肩を揺すっているのに気付いて目を開けた。柊実寮の、五年生のお姉さまたちが心配そうにのぞきこんでいる。
穂乃花お姉さまの姿は消えていた。
「どうしたの、こんなところで」
「大丈夫? 泥がついてるじゃない。気分でも悪いの?」
口々にそう言って、助け起こしてくれる。
「大丈夫です」
忍は小さく言った。蹴られたところはまだ痛む。それでも、意識は、はっきりしていた。
「あの、私。転んでしまって、痛くて」
この場を誤魔化そうと。そんな風に言う。
お姉さまたちは互いに顔を見かわした。
「走っていく子の後ろ姿を見たけど」
ひとりのお姉さまが。確認するように問いかける。忍は黙って、首を横に振った。告げ口するのは躊躇われる。
お姉さまたちは困った顔をした。
「忍さん。困った時は、私たちを頼りなさいね」
「そうよ。同じ寮の仲間は、姉妹なんだから」
励ますようにそう言ってくれる。
「ありがとうございます」
忍はそう言って立ち上がったが。
相手の好意を信じていいのか。何と返事をするのが正解なのか。分からない。
だから。
「本当に大丈夫ですから。ありがとうございました」
そう言って。そそくさと寮に向かって駆け出した。
あちこち痛くて、泣き出しそうだったけれど。
それよりも、上手く気持ちを伝えられない自分が。
何をすれば良いのかも分からない、不器用な自分が。
情けなくて、たまらなかった。