タロット絵師の繕い処
小さな小さな家の中。そこにツェフェリはおりました。
ツェフェリは、淡い鶯色の髪と七色に輝く瞳を持つタロット絵師。占いに使われるタロットカードの絵を描く仕事をしている少女です。
といっても、まだ正式に始めて一週間も経ちません。
彼女がここに至るまで、紆余曲折、様々な出来事がありましたが、彼女が今、タロット絵師の仕事を手にしているのは、ひとえに高名な占い師、ハクアのおかげでしょう。おっと、忘れちゃいけない、友人のサルジェもです。
彼女は今、彼らとともに暮らしています。
「本当にここでよかったのかい?」
小さな小さな家の中ーーハクアの屋敷の別邸で、ハクアがツェフェリに問いました。家出して、森の奥で暮らしていたツェフェリをハクアが買い取り(家に招き入れた)、自分の元でタロット絵師の仕事ができるよう、取り計らったのです。同じ屋敷の本邸(別邸の隣の大きな館)に案内しようと言ったハクアに、ツェフェリはここがいい、と別邸を示したのです。
「ボクは広いところは苦手なんです。自分の家を思い出すから。それに、森の小屋での暮らしに慣れているから、狭い方が落ち着きます」
ツェフェリは七色の光を返す瞳に静かな緑色の光を湛えて答えました。
「なるほど。……だが、そうなると、我が不肖の弟子と同居となるのだが、いいか?」
不肖の弟子とはサルジェのことです。ちなみに、ハクアは狩人としてもかなりの腕前で、サルジェはそちらの弟子なのです。
「全然問題ありません。よろしくお願いします」
屈託なく答えるツェフェリに、ふふ、とハクアは微笑みました。
「役得だな、弟子よ」
それはさておき。
「みんな!!」
与えられた部屋に入り、ツェフェリは喜びの声を上げました。
「やったよ! ようやくボクは絵師として認められたんだ!!」
「よかったですね、主殿」
誰もいないはずの部屋でツェフェリに答える若い青年の声。ツェフェリはその声にありがとう、と応じながら、タロットカードを取り出します。
ツェフェリが自ら手掛けたタロットカードの大アルカナ。そこからおめでとう、やりましたね、などの様々な祝いの言葉が聞こえます。
そう、ツェフェリのタロットたちは喋るのです。
先程ツェフェリに祝いの言葉を返したのは、鐔の大きなとんがり帽子を被り、杖を持つ青年ーー[魔術師]のカードでした。
「うむ、主が元気なようでよかったのである」
堅い口調の渋い声が加わります。[悪魔]です。彼は人型をしていない、異形の黒い生物です。鎖に繋いだ人間を連れている姿で描かれていますが、実際の彼はそこまでものものしい性格はしておらず、むしろこのタロットたちの中で一番、ツェフェリを慕っています。
「しかし、[魔術師]の若造の策、見事であった。まさかここまでうまくいくとはな」
「策?」
こじんまりとした部屋の中、ベッドに腰掛け、タロットを広げツェフェリは[魔術師]に問いました。
[魔術師]は苦笑いします。
「確かに、ことはうまく運びましたが、ほとんどハクア様が勝手に運んでくださいましたから。いやはや、さすがは手練れの占い師。我々の考えることなどお見通しです」
きょとんとするツェフェリに[運命の輪]が補足しました。
ツェフェリの本当の願いが何か、確かめ、叶えるために、ハクアに勝負を挑んだのだ、と。
そして、ツェフェリの心からの願いを知ったタロットたちは、ツェフェリが絵師として認められていくために、これからは協力すると決めたのだ、と。
「みんな……ありがとう……!」
ツェフェリの言葉にラッパのファンファーレが鳴り響きます。無口な[審判]の天使が祝福してくれているようです。
こうして、ツェフェリとタロットたちの新しい生活が幕を開けました。
さて、別邸に入った翌朝。早速ツェフェリに仕事がやってきました。
依頼人はなんと、ハクアです。
「ツェフェリ、これは私の古くからの善き友だ」
少し色の褪せたタロットの大アルカナを手渡されました。
「占いの仕事がしばらくないのでな。直しておいてくれないか?」
「はい、喜んで!!」
ツェフェリは驚きましたが、嬉々として引き受けました。憧れの占い師、ハクアのタロットカード。その修繕の依頼を断る理由がどこにあるでしょう。
彼女は早々部屋へ行き、作業の準備をします。
すると……
「……主殿、誰かいらっしゃいますか?」
[魔術師]から、控えめにそんな問いかけがありました。ツェフェリは小首を傾げます。
「誰もいないよ? どうしたの?」
「むむっ!?」
答えたそばから、聞き覚えのないテノールが聞こえました。ツェフェリは驚いて、誰、と問います。
「娘、我は主の手の中じゃ」
ん? とツェフェリは手元に目を落としました。手の中にあるのはハクアから預かったタロットだけです。
「え!?もしかして、ハクア様のタロットさん!?」
「もしかしなくてもそうじゃ。儂は[隠者]のノイン。我が主にそう呼ばれておる。時に娘よ。お主、変わった目をしておるな?」
存在を示すように光を返した[隠者]ーー暗灰色のローブを纏った老人ーーのカードを手に取り、ツェフェリは思わず一礼してから、答えました。
「ボクの目は色んな光を返して色んな色に変わるんだ。何色でもなくて、何色でもある。変な色だけど、サルジェは綺麗だって言ってくれるよ? どうかな、ノインさん」
「ふむ。面白いの。[世界]のニニが興味津々なのだが、それもよくわかる。その上、儂らの言葉を解するか。なるほど、主が目をかけるわけだ」
一人で納得するノイン。[世界]のニニという言葉から思うに、ハクアはどうやら自分のタロット一枚一枚に名前をつけているようです。
「ハクア様も、皆さんを愛してらっしゃるんですね」
ツェフェリがそう微笑むと、ハクアのタロットがざわめきます。わあ、緑色! 違うよ、空の色だよ、などと言い合う声。
その声をノインが挨拶せい! とたしなめます。
「ふふふ、よろしく、ツェフェリ!ぼくは[愚者]のヌル」
「[恋人]のゼク」
「わたしはスゥよ」
「よろしくね♪」
一通り、名前を聞いてから、ツェフェリは仕事を始めました。
夜。ツェフェリが眠った頃に、ひそひそと語り始める声がありました。
ツェフェリとハクアのタロットたちです。
「よき主を持ったな、[魔術師]の若いの」
「そう思っていただけて光栄です」[魔術師]と[隠者]のノインは意気投合していました。
「ほほ、そう硬くなることはない。儂らはお主らより長く生きておるが、儂らに上も下もあるまいて。しかしながら、名がないとは、少々寂しくはないかね?」
[魔術師]はどきりとしました。顔には出しませんが、図星だったのです。
ツェフェリのタロットたちには、改まった呼び名がありません。タロット間で[悪魔]を[でーたん]([太陽]だけだが)、[運命の輪]を[フォーチュン]と呼んだり、というようなことはあるが、ツェフェリは渾名などは使いません。
「主殿は、礼を重んじる人ですから。特に我々、アルカナには……ですから、主殿はあれでいいのです。我々はそんな主殿が好きですから」
そう答えた[魔術師]にノインは何も言いませんでしたが、嘘吐きー、素直じゃないなぁ、などとゼクとスゥが代弁しました。
「そんなことを言われましても……」
[魔術師]はほろ苦く笑います。その笑顔はツェフェリのタロットたちの心を語っていました。
主の幸せが一番。だから欲張りなことは言えない……と。
「ツェフェリー、起きてるー?」
こんこん、とノックする音。朝の光によく似合う爽やかな青年の声が、ツェフェリを呼びます。ところが、反応はありません。開けるよ、と、青年ーーサルジェはそっと扉を開けました。
「あらら……」
サルジェが目にしたのは部屋の作業台に突っ伏して眠りこけているツェフェリでした。ツェフェリとハクアのタロットは綺麗にまとめて置かれていますが、どうやら作業に没頭して、そのまま眠ってしまったようです。タロットたちをまとめてから、というのはいかにもツェフェリらしいですが。
「ベッドがあるんだから、ベッドに寝ればいいのに……ツェフェリ? 朝だよ? 師匠が待ってるよ?」
「……んにゃ? ハクア様? ……なんだ、サルジェか」
「なんだとはなんだ、なんだとは」
起きがけのツェフェリの一言にサルジェは眉をひそめますが、すぐに笑顔になり、優しく繰り返します。
「朝ごはん、一緒に食べよう」
「うん!」
ツェフェリは瞳を七色に煌めかせながら、サルジェの後について行きました。
幸せそうな主の背中を見送って、[魔術師]がほっと息を吐きます。
「……? [魔術師]、どうかしましたか?」
[魔術師]の疲れたような様子に[運命の輪]が気づき、声をかけます。何でもない、と答えますが、それは嘘です。
けれども、[魔術師]自身以外に気づく余地はありませんでした。
彼はツェフェリの座っていた位置から見て、逆さまになっていたのです。
[魔術師]というカードは、タロット占いにおいて、[始まり]を意味します。 別に、占っていたわけではないので、逆位置など、気にする必要はないのかもしれませんが……自身の持つ逆位置での意味に[魔術師]は一抹の不安を覚えてしまうのでした。
朝ごはんは、かりかりのバタートーストに、綺麗な色のスクランブルエッグ、豚肉と野菜の色鮮やかな炒め物でした。どれも美味しい。しかし、驚くべきはその全てをサルジェが作ったということでした。
「サルジェ、料理上手いんだね!」
「まあ、ね。師匠に拾ってもらう前は、自炊だったから」
「ふふふ、ここにいれば、毎日サルジェの飯が食えるぞ? よかったな」
「ふぇ? おっきなお屋敷だから、召し使いさんがいるのかと思った」
「サルジェの飯を食べたら、他の奴のは食えんよ。飯のためにサルジェを弟子にしたといっても過言ではないな」
「あっ、酷いですよ、師匠! 俺の弓の腕を買ってくれたんじゃないんですか?」
「ノーコメント。残念ながら、飯が先だ」
「それ、ノーコメントになってない上になんか傷つく……」
「まあまあ、サルジェ。とにかく食べよ!」
そう言って、いただきます、と手を合わせたときだった。
「……るじー……主ー! 主ーっ!!」
聞き覚えのある渋い声に、ツェフェリははた、と動きを止めました。
「どうしたの? ツェフェリ」
サルジェが不思議そうに問います。ツェフェリはどう表現したらいいのか考えあぐねて、口をぱくぱくさせます。
「主っ!!主ーーっ!!」
間違いありません。これは[悪魔]の声です。ただ事ではありません。察したらしいハクアが、行って来いと頷いてくれました。
ツェフェリは部屋へ向かいます。
「どうしたの!?」
「主っ!!」
ツェフェリが入っていくと、[悪魔]の渋い声がかなり慌てた様子で言いました。
「主、大変なのである。[魔術師]の若造が、いなくなったのである!」
「えっ!?」
ツェフェリは慌ててタロットの中身を確認します。21枚。確かに1枚足りません。[悪魔]の言うとおり、ないのは[魔術師]のカードのようです。
念のため、ハクアのタロットも調べます。ハクアのタロットは無事でした。
果たして、ツェフェリの[魔術師]はどこへ行ってしまったのでしょう。
「ねえ、みんな。[魔術師]くんがどこに行ったか、心当たりはない?」
ぷー、とラッパの音。[審判]の天使が鳴らします。何か心当たりがあるようです。彼は喋らないので、[運命の輪]が説明してくれました。
「マスター、[魔術師]はさらわれたのです」
「ええっ? 一体誰に!?」
「風じゃよ」
ハクアのタロットから声がしました。ノインです。
「風?」
ツェフェリは部屋を見回します。……確かに、部屋の窓が少し開いていました。
「……探しに行ってくる!!」
ツェフェリは迷うことなく出て行きました。待て娘、とノインが止めますが、耳に入っていないようです。
「……全くお主ら。確かめるまでもなかろうに」
ツェフェリが去っていくと、ノインが溜め息まじりに言いました。
「マスター……マスターが良い人であるのは私達は百も承知です。私達はそんなマスターが好きだから従っているのです。別に、試したわけではありません。ただ……寂しさを、拭いたくて、[魔術師]は……」
うむ、とノインは納得しました。
[魔術師]が風にさらわれたのは事実です。けれども、それは窓が開いていたから起きた風ではありません。
[魔術師]はひとりでに落ちたのです。一番上にいた彼は何故かその身を返そうと、一回転しました。しかし、その回転が止まらず、くるくると机の上を回りながら、端から落ち、ふわりと風が吹き込むと、どこかに消えてしまったのです。
「なんだかんだという割に、悪のりしていたではないか、ノインとやら」
「何のことやらさっぱりですな、ツェフェリ殿の[悪魔]」
ノインはすっとぼけていますが、確かに彼もツェフェリのタロットたちとともに状況を見ていました。その上で、ツェフェリにああ言ったのです。
とんだ食わせ者です。
さて、ツェフェリはどうしているでしょう?
「[魔術師]くん、[魔術師]くん!!」
ツェフェリは自分の部屋の窓の近くを探していました。風はそう強くありません。だから、彼はそう遠くに飛ばされてはいないはずだと、ツェフェリは必死に呼びました。
呼びながら、不便だな、と考えていました。ハクアのように、タロットたちに名前をつけていれば、こんな時、探しやすいのに、と。
彼らだって、固有名詞で呼ばれた方が返事はしやすいだろう、と、ツェフェリは少し後悔しました。
何はともあれ、まずは[魔術師]くんを見つけてからだね!
ツェフェリは再び声を上げました。返事は聞こえません。近くの木の枝に引っ掛かっていないか、縁の下に入り込んでいないかなど確認しながら、周辺を回ります。
「ツェフェリくん、見つかったか?」
ハクアが心配して来てくれました。サルジェも一緒です。
「いえ、風にさらわれたらしいので……もしかしたら、もうずっと遠くに飛ばされてしまったのかも……」
ツェフェリは呟いて、さっと青ざめました。サルジェが大丈夫、きっと見つかるよ、と励まします。 うーん、とハクアは顔をしかめました。彼女は占い師として、タロットカードの1枚が足りないということの重大さを理解していました。1枚が欠けるだけで、占いができなくなるのです。
ハクアは一人、ツェフェリの部屋に行きました。
「ノイン、いるか?」
「はい、[隠者]はここに」
机からテノールの声が答えます。それに頷き、ハクアは言いました。
「お前、ツェフェリの[魔術師]の居所を知っているな?」
「我が主よ、あの若いのが風にさらわれたというのは嘘ではない」
弁明するようにノインは言葉を募ります。わかっている、とハクアは苦笑いしました。
「お前たちが私に嘘を吐かないことなど百も承知だ。その上で確認する。[魔術師]はどこへ消えた?」
きりっとしたハクアに見つめられ、やれやれ、とノインは息を吐きます。
「何も儂らは外に行ったとは言っておらんよ。しかし、正確なことは何も知らん。外に行った可能性もある」
「ということは、この部屋の中にある可能性もあるわけだ」
「主!」
信じられていないように感じたのか、ノインが尚も言い募ろうとします。それを制止するように、ハクアは自分のタロットを手に取りました。
「我が友よ、新たな友のため、その在処を示しておくれ」
手にしたタロットから、ハクアが1枚カードを引きます。
そのカードはーー
「ツェフェリくん」
外に戻ってきたハクアはツェフェリに自分のタロットを広げて見せました。
「ワンオラクルだ。1枚引くといい。外に探し物があるか、念じながら」
「え……はい」
ツェフェリは恐る恐る1枚を選びます。見ると、それは[死神]のカードでした。
なんて不吉な……声にこそしませんでしたが、サルジェは思いました。
ここまでわかりやすく悪い意味のカードはありません。[死神]は文字通り死を示すカード。この場合だと、物事の停滞を意味します。
なるほど、とツェフェリは頷きました。
「このまま探しても埒が明かない……そう教えてくれているんですね?」
「そりゃ、埒は明かぬだろうさ」
ハクアはそう返し、胸ポケットから1枚のカードを出しました。
「……あっ!」
「見つかっているものを探したって仕方ないしな」
ハクアが手にしていたのはツェフェリの[魔術師]のカード。埃まみれで、表面に少し傷がついていますが、確かに[魔術師]でした。
「どうして、それを……?」
「我が友に聞いたのさ」
ハクアが自分のタロットを示しました。
ハクアがワンオラクルで引いたのは[隠者]のノインでした。
[隠者]はランプで足元を照らし、杖で探りながら進む老人が描かれているカードです。[慎重さ]を示します。
それだけだといまいちぴんときませんが、ハクアはこう読みました。
「ツェフェリくんの[魔術師]は慎重に探さなければならないような場所にある」
例えば、何かの隙間とか、椅子の足に轢かれそうだとか。
そんな推測から、作業台の下に落ち、椅子の足すれすれの位置にあった[魔術師]を見つけたのです。
「[魔術師]、よかったあ! 心配したんだよ?」
「主殿……申し訳ありません……」
気まずそうにそう言う彼に、ツェフェリは告げました。
「いいよ、アハット。キミは戻ってきてくれたし」
「……主殿?」
[魔術師]は虚を衝かれたような声を上げます。
「アハット、今日からこれがキミの名前だよ。ちゃんと呼んだら答えてね?」
「主殿……!」
こうして、ツェフェリのタロットたちには名前が与えられました。
名は魂を結ぶもの。名を呼び合うことは、その絆の繋がりを表します。
そして、ツェフェリとタロットたちの絆は、より強固なものになっていくのでした。