ハイノンでの秘め事
◆ここまでのあらすじ◆
南への大遠征に際し、連邦南部一帯の治安悪化を危惧したエガリヴ聖教会は、シチコマ領の大都市であるハイノンへ、救道者を派遣した。派遣された救道者は、今年の秋にアーヘラ救道院を卒業したばかりの、第一五六期生。第一五六期生がハイノンに駐留してから、四日目の夜。ハイノン周辺の山中で商会の輸送団が何者かに襲われる事件が発生した。第一五六期生の面々は、事件の詳しい概要を知らぬまま、ハイノン大聖堂の大ホールに集合させられる。そこに現れたのは……。
その場にいた誰にも悟られることなく、その男は、いつの間にかそこに出現していた。白髪の入り混じった短髪の男。元赤襟の黒襟。赤襟を束ねる特務機関、動物寓意譚の司令。教会の内外から、人喰い狼と呼ばれ怖れられる人物。狼の字を聖教主様から授かった男。
「いつの間にいらっしゃったのですか?」
「どうして、ヴォルデランド教師が、ここに……?」
その場にいた第一五六期生の全員――総勢、261名は驚いていた。先の言葉も、誰が発したものかは定かではないが、当然の疑問だ。その誰かが言わなくとも、俺がその疑問を口にしていただろう。
彼は、暴走したら手が付けられなくなる怪物たちを手懐ける親玉だ。普段は、アーヘラから離れることなどない彼が、こんなところにいるわけがない。それ以外のどこかにいるとしても、それは戦場か、これから戦場になる土地か……。
「それも含めて、今から話しをする。だから、皆、早くこの中に入りなさい」
この中って、どう云うことだ……? まさか、ヴォルデランド教師が、その肩に手を置いている……誰だっけ? の中に、入れと云うことなのか。
「何をアホなことを言っているんだ、ジェニス。下を見ろ、下を」
下を見ろ? とても教師の言葉とは思えない指示が、俺に飛んできた。普通、上を見ないといけないのでは?
「誰が心理的な話をしろと言った。物理的に、お前の視線を下に向けてみろ」
見ると、そこには発光する魔方陣があった。これだけ煌々と光っているのに、よく気が付かなかったな、俺。やっぱ俺すげーな。
術式エフェクト。通常、術式を発動した際に発光現象などが見られることはあっても、こう云った魔方陣が浮かび上がることはない。だが、今こうして魔方陣が浮き出て見えるのは、そのようにしたからだ。ハッキリ言って、術式エフェクトは無意味なもの。普通なら、エナジーの無駄遣い以外の何でもない。これには猫騙し的な使い方をしたり、余裕があることを見せ付けて敵を威嚇したり、おちょくったりなどの使い方がある。だが、今のこの使い方は、術式の効果範囲を他者に知らせるためのものだ。
では今、ヴォルデランド教師が発動させている術式は――
「なんの結界ですか?」
あっ、こらユーリ、俺の台詞を取るな。
「ギアス系の結界、引籠輪だ」
これは術式エフェクトの最も代表的な使い方の一つだ。そもそも、結界の効果を高めるために、これが使われだしたと言っても過言ではない。結界はまず、そこに結界があることを対象に認識させることによって、効果を発揮するからだ。
結界とは、空間を区切り、法にそぐわないものの侵入を咎めるものであると、教科書や専門書などには書かれているが、これではなんのこっちゃか、俺にはさっぱりだ。
『要するにね、結界は、関係者以外立ち入り禁止の表示とか、現在捜査中のロープとか、そんなものに該当するんだよ』
かつて、賢いユーリくんは、俺にそう教えてくれた。全く、こう云う書き方をすれば良いのに、なんで堅っ苦しい言葉で物事を表現したがるのかねぇ、大人は。まるで、難しい言葉を覚えたてのガキみたいだ。
●
ヴォルデランド教師は、その場にいた全員が結界の効果範囲内に入ったことを確認すると、次の言葉を発した。
「救道者以外の者に命じる。この結界内では、ここでの会話は聞こえなくなり、また結界内に侵入することもできない。続けて、救道者に命じる。ここで話したことを、部外者に口外してはならない」
『実行者:アドルフ・ヴォルデランド』
『位階の確認……クリア。教導位です』
『星の確認……クリア。星十です。星が五以上であることが確認されました』
『条件壱……対象:救道者以外のもの。法の内容:この結界内では、ここでの会話は聞こえなくなり、また結界内に侵入することもできない』
『条件弐……対象:救道者。法の内容:ここで話したことを、部外者に口外してはならない』
『エガリヴからの認証……クリア。法の内容がエガリヴの教義に反していないことを認めます』
『実行者、発動場所、日時、法の内容をサーバに記録しています。……記録完了』
『結界の効果を発動します』
結界の発動に必要不可欠な“法の制定”だ。ここで言う“法”とは、国家機関や行政機関などが定める法令や条例などのことではなく、単純に“決まり事”や“ルール”と云う意味だ。
この法の制定によって、結界の効果は大きく変わる。
結界の主な役割は、ある一定の条件に当て嵌まる者のみに結界内に入ることを許したり、侵入するのを防ぐことだ。この、ある一定の条件が、より複雑で厳密なものであるほど、結界の効果が強くなると同時に、結界の維持が難しくなる。
今回の場合だと、救道者と云う、明確な括りに対しては、強力な効果を発揮するが、救道者以外と云う、曖昧で大きい括りに対しては、効果が低くなる。しかし、救道者以外に対して課すルールを二つにすることで、効果の薄さをカバーしているのだ。しかし、対象者を二つに分け、その片方にルールを二つ課したことによって、それだけ結界の維持は困難なものになっている。
更に、結界の効果は物理的な効力はないので、結界を張った術者よりも、より強い精神を持つ上位の術者ならば、結界を破ることができる。しかし、これにはいくつか例外がある。今回の場合だと、ヴォルデランド教師とユーリの関係が、その例外の一つに当たる。
ユーリの潜在能力は、ヴォルデランド教師よりも上だ。しかしユーリでは、ヴォルデランド教師の結界を破ることはできない。それは、ユーリよりもヴォルデランド教師の方が、役職も位も高い救道者だからだ。
結界に必要不可欠な法には、公に定義付けられたものとは別に、暗黙の法と呼ばれるものも影響する。これは、人が無意識に理解しているものだと教科書には書かれているが、早い話が、自分よりも立場が上の者の言うことは聴かなければならないと云う、至極当前の理屈だ。
立場が上と言っても、色々ある。それは役職であったり、親子であったり、年齢であったり、先達や先輩後輩などの関係であったりする。
白襟であるユーリと、黒襟のヴォルデランド教師。上位救道者と教導位は、位階としては、ほぼ同格だ。だがそれでも上下が生じるのは、褒章の数に因る。ユーリは星四。ヴォルデランド教師は星十。
更に付け足すと、ユーリは任官前の役職なしで、ヴォルデランド教師は赤襟を束ねる特務機関、動物寓意譚の司令官であり、俺たちアーヘラ救道院第一五六期生に、実用的な戦闘技術を教えた恩師でもある。エガリヴ連邦軍での階級は、大佐相等官だ。逆らえるわけがないし、俺たちは一生、頭が上がらないだろう。
そんな強固な結界を張ったヴォルデランド教師は、重苦しい雰囲気を纏いながら、喋り出した。
「既に知っている者もいるかもしれないが、昨晩、ここから東の山中で、商品を輸送中だった商会の一団が強盗傭兵に襲われた」
まぁ、この人が重苦しいのは、いつものことだが。
「イーゲルストレーム教師によれば、強盗傭兵団は、こちらの予想を超える装備を有しており、大型の自動鎧を多数所持しているようだ」
ファロティエが投入されたのは、これが原因か。大型の自動鎧ねぇ。半分テロリストな傭兵共に、そんなものが簡単に調達できるとは思えない。何処が出処なのやら……。
「この事態に伴って、急遽、学徒を動員し、警戒範囲をハイノン周辺の集落や村々にも拡げることになった。君らには、学徒の指揮と、ハイノンの警備に当たってもらいたい。全体の指揮権は、ここのセルモン司教に一任してある。細かい人事については、イーゲルストレーム教師の指示に従ってくれ。また選抜隊を組み、周辺地域の警戒と探索に当たることになった。では、これから名前を呼ぶ者は、私に付いてくるように」
選抜隊……? この中からか? それだけ、人出が足りていないのだろうか。にしては、様々な機関から、この事態に当って人員が投入されているのに、動物寓意譚のことが、一切、出てこなかったぞ? なして? ……まぁ、それは、いつものことなのかもしれないな。あの組織は、普段から何をしているのか、よく分からない。どの行政機関や教会にも属しない、完全な独立機関だからな。
「ユリアス・グラオ・アオゲシュテルン」
最初に名を呼ばれたのは、俺の親しい友人である、主席卒業者だった。淡く柔らかな栗毛。性格から顔立ち、その立ち振る舞いまで、俺が以前に飼っていたチートーの寝起き時に似ている。
「ベアトリクス・ハンナ・レメゲトン・リーダー」
玉虫色の髪と、熱した硝子色の瞳。頬は、曙の雪。雲雀も聞惚れる声に、次席卒業者としての頭脳を持つ。立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は狂った犬。言動によって、その恵まれた容姿と才能を台無しにしている奇女。
「コリーン・フィニアン」
琥珀色の髪と瑪瑙の瞳。その小さくて愛らしい容姿と声とは、栗鼠を思わせる。俺が心の中で密かに、花の妖精と呼ぶ女の子だ。口下手で人見知りが激しいが、ユーリ曰く、意外にも神経は図太く、冒険心が強いらしい。しかし、俺やルディが何度か話をしてみようと試みるも、顔を真っ赤にされて、カミラやオーディの陰に隠れられてしまう。ルディはともかく……俺、そんなに怖い顔だったかな。
「カミラ・チャンドラー」
下手をすればローよりも口数が少ないが、言うときは言うし、やるときはやる奴だ。小さいときは、こいつに何度か泣かされた。ルディは先週も泣かされていたが……。今では透き通るような赤髪だが、五年前までは黒髪だった。これは染めているのではなく、妖精との契約で、そうなってしまったらしい。またそのせいで、白襟であるにも関わらず、彼女の下には天使が降りて来ることができないのだとか。
「オードリー・シーバート」
立派で尊大な黒髪の乙女。黙っていればモテるであろう美人だが、俺の趣味ではない。猛禽類のような目が、たまに怖い。性格はキツイが、それは悪気があってのことではなく、一時期、彼女はそれについて真剣に悩んだ挙句、周囲の人間も巻き込み、何故か俺が謝罪させられる羽目になった。何故だ。
「ウィノナ・ウェルボーン」
ボーイッシュなリオルド人。祖父の代からレメゲトン・リーダー家に仕えており、ハンナとは双子のように育てられたと、ハンナがことある事に自慢気に語っている。卒業後は、任官も就職もすることなく、今まで通りハンナに付き従うようだが、自身が今後どうなってしまうのか、本人も分からないらしい。不憫だ。
「ニーナ・カレスティア」
今朝から、ずっと宙にふわふわ浮いている、ラド人のブロンド女だ。太った狐に似ていると言ったら、六階の窓から落とされた。危く、死ぬところだ。生まれたときから脚が悪く、自力での歩行は不可能らしいが、赤子の頃から宙を浮いていたと云う鬼才。第一五六期生が輩出した白襟の中では、数少ない平民出身。一見、間が抜けていてアホに見えるが、損得に目聡い。先日の卒業式当日、ルディから熱烈な告白を受けていたが、生理的に嫌だったらしく、自慢の空気砲でルディを吹き飛ばしていた。
「ラドヤード・ラザフォード」
農耕牛のような巨体を持つ、赤毛のローゼ人。先週、ニーナに折られた肋骨は、完治していないらしい。俺も他人のことは言えないが、色々と大丈夫か? 例えば、優秀なのに未だに就職先が決まってないところとか。素直に武官なればいいのに、なんで文官に拘るんだ?
「ローワン・スカリー」
寡黙なことに定評のある、黒髪のラド人。こいつとは七年近い付き合いになるが、未だに落ち着いているのか、ぼけっとしているだけなのか、判然としない。意外にも友達思いで、俺やルディに、就職先を斡旋すると約束してくれた。最低でも五年は待って欲しいと、何気にリアルな数字を言われたが。
「グレアム・スペンサー」
日焼けしたイラァ人。肌は白い灰に砂粒を塗したようになっているが、そのイラァ特有の銀髪は健在。斑な鱗を持つ大蛇を思わせる。この作戦後は、実家で悠々自適に暮らしたいと言っていたが……多分、ヴォルデランド教師が許してくれないだろうから無理だな。
「ハロルド・アーリック」
「ガートルード・アーリック」
中性的な、双子の赤襟。ヴォルデランド教師の甥と姪に当たる。術的な意味があるのか、妹の方は十二の頃から口輪を嵌め出した。正式な任官先は決まっていないが、既に動物寓意譚に、席が用意されているらしい。あー、羨ましいなチキショー。
「カリム・ムスタファ・ラシッド、えーっと以下略」
知らん。なんか黒くて小っこい。
「略されたっ!?」
「以上、上位救道者九名と、特位救道者四名。計十三名だ」
「ってまぁ、自分でも長いから略すことが多い件、って誰も突っ込んでくれないし。ちょっと寂しいよ? 兎は寂しいと死――」
●
「教師、まずは説明して欲しいですわ」
僕を含む十三人は、ヴォルデランド教師に続いて大ホールから出て、その直ぐ近くの小部屋に入った。その直後、ハンナが発したのが先程の台詞だ。
ハンナは真面目な顔をしながら、ぐったりしたウィニーを小脇に抱えている。どんなことをしたら、そんなことになるのだろうか。僕は、その説明をしてもらいたい。
しかし、ハンナがヴォルデランド教師に求めている説明は、僕としても、是非、訊いておきたいところだ。
カリなんとかって人のことは、あまり良く知らないけど、コリーンとウィニーを除けば、ここにいるメンバーは戦闘に関して秀でた能力を持っている。そして更にハンナを除けば、皆、機動力が高く、山間などの悪路にも慣れている。ハンナ、ウィニー、コーリンの三人は、このメンバーの中では浮いた存在だけど、それも、ある行動のためだと思えば違和感はない。
「まるで、威力偵察でもさせようって人選ですね」
コリーンの得意とする術は、俗に云う千里眼だ。例え物理的な遮蔽物や距離があろうと、多くのことを知覚することができ、それに優れている。ウィニーの常軌を逸した直感は、不意打ちを防ぐため。そしてハンナの悪魔を行使する術も、敵性の拠点に無秩序な破壊を齎すには、凶悪な威力を発揮する。逃げる際には、その悪魔たちを捨石同然の殿に据えれば――だって死なないし――逃げることも容易になる。
「先程は話さなかったことだが、君たちには明かしておこう」
ヴォルデランド教師は、もはや生きた屍と形容すべきウィニーのことをガン無視して、喋り出す。慣れって、怖ろしいよね。
「ここハイノンは今、複数の傭兵団に包囲されている」
……は?
「どう云うルートを通って来たかは不明だが、どこかに空間転移炉を仕掛けていたか、間道があるようだ」
そのとき、その言葉を告げられた誰もが驚愕し、動揺していた。しかし、その中で誰よりも驚いているのは、コリーンのようだった。
「そそそそそそそそそ、そんなわけないぴょんですぅっ!! すぅ?? 目線が高い……だと?!」
「コリーン、落ち着いて、コリーン」
思わず机の上に跳び乗ったコリーンを、カミラが抱えてそこから降ろす。凄い跳躍力だ。でも、なんで上ったんだろう……。それに、ぴょん? 何それ呪文?
ここに到着した直後、彼女はオートリス教師から指示を受け「承知したしました、マム」と返事をした後、術式符を「ちょわー!!」と叫びながら、手当たり次第に設置しまくっていたのを、僕は知っている。これによって、彼女はハイノン周辺の樹海の状況を、ある程度まで認識できるようになっていたはずだ。
「コリーン、君の術式に不備はなかった。しかし、君の能力も完璧ではない。どんな手段にも穴はある。それは術式も同じだ」
そう、どんな術式も、必ず破る方法がある。それは、その術式と逆の作用を生み出す術式があるからだ。例えば、化学エナジーを熱エナジーに変換する術があれば、熱エナジーを化学エナジーに変換することも可能だ。
コリーンの千里眼は、自己の持つ全ての第六から第八の感覚機能を自身の肉体の外にまで広げる術だ。これによって、生き物の種類、その位置、それの心の内がある程度まで分かるようになる。コリーンにしてみれば、これが破られたのは、自分の感覚器官の半分近くを封じられたも同然のこと。なので、先程の奇行も分からなくはないけど、ぴょん?
「しかし、ただの強盗集団に毛が生えたような輩に、そんなことができるとは思えないのですが」
久しぶりにローの声を聞いた。ローの意見は、いつも一理あるとの定評がある。そして今回も、その例に漏れず、最もな意見だった。
シチコマ領を代表する都市であるハイノンを包囲するには、生半可な人員では無理だ。余剰人員などのことも考えたら、三個師団は必要だろう。それだけの軍勢を転移させることができる空間転移炉を設置するのは、並大抵のことではない。そんなものを稼動させるには、近くに大規模な発電所が必要になる。間道に関しても同じことだ。そんな大部隊を移動させることができる間道なんて、もはや間道と言えない。
「ただの強盗傭兵団ではない。正規にロズデルン帝国と契約している傭兵団だ。装備から何から、ロズデルンから補給を受けている」
ローが再度、ヴォルデランド教師に食い付く。
「だからと言って、この周辺を包囲できると思えませんが」
「そのための選抜隊であり、偵察だ」
なるほど。つまり、現状について判明していることは、あまりないと。これはちょっとだけ、危険かな。
「それで可能ならば、敵が野営しているところに、悪魔バラ撒いて逃げて来い、ってことですね? 分かります。流石は人喰い狼!! 考えることが下衆いですわっ!! イイ! 実にイイ! この私、レメゲトンの姓とリーダーの氏に賭けて、必ずや、道理を知らぬ[戒律に抵触する発言です]に、地獄を見せて差し上げますわっ!!」
ハンナが玉虫色の髪を真っ赤に変色させて叫んだ。こっちは、ちょっとでは済まないぐらいに危険だ……!
「落ち着け、ハンナ。あまり興奮すると、魔人化するぞ」
リーダー氏族はハイト人が持つ六つの王家、ハイト六王家に親しい一族だ。その中でもレメゲトン家は三つの王家――三魔王家に近く、魔人としての特性を色濃く受け継いでいる。今は力を抑制している状態らしいけど、その箍が外れると、飛んでもないことになる。そのせいで、僕らは一年のときに酷い目に遭った……。もう、あんなことは起こらないで欲しい。命がいくつあっても足りない。ネルに殺される。
「これは、飛んだ失礼を……」
これでも一応、ハンナは上位救道者――白襟だって云うんだから、時代は変わったよねぇ。いくらレメゲトン家が、魔族と人間の戦いの際に、人間側に与した一族だからって、二十年くらい前までは、口に出すのも憚られるような差別を受けていたのに。
「その傭兵団って、ハイノンを攻め落とす気なんですかねぇ」
ハンナの髪が、元の玉虫色に戻るのを見届けてから、僕は何気ない疑問を呟いた。
「いや、奴らの目的はハイノンを攻め落とすことではないだろう。そんなことをすれば、エガリヴ連邦とロズデルン帝国の戦争になるからな。まぁ軍人なら、その可能性を考慮して動かなければならないだろうが、我々は救道者だからな」
大佐相当官のありがたいお言葉でした。
「それでは何が目的なんでしょうか?」
「おそらく、ここハイノンから、エガリヴ連邦側の傭兵を南下させないことだ」
決戦場をいつもの場所ではなく、ここの直ぐ近くにしたってことか。だとしたら、その意図が分からない。
「それって彼らにとって、メリットがあるとは思えないのですが。それどころか、彼らとっては不利にしかならないでしょう。ここって、エガリヴ側は確実に補給が確保できますし」
軍事に於ける作戦では、補給はしばしば蔑ろにされてしまうことがある。しかし、これを忘れた集団は、その大半が勝利を逃している。軍事に於いての僕ら救道者は、この補給を確保することが、最も重要な務めになるので、忘れることはないけどね。
「奴らの目的は、ここから南の自由開拓地だ。そこに駐留している連邦軍を一掃し、一挙に、その土地を奪う計画なのだろう」
「ここに送られた傭兵共は捨石ってことですか」
無慈悲だなぁ。金にしか興味のないと思われている傭兵だけど、必ずしも、そう云う手合の人たちばかりではないのに。
「その代わりが、物資や武装の支給なのだろう」
持ち逃げされることは、前提に入ってるってことか。一部の前言を撤回。ここに送られてくる人たちは、どうも物欲に塗れた人たちらしい。傭兵の指揮に当たる正規軍の人は大変だろうな……。
「しかし、不法入国じゃないですかね、これ。次の異種族会議で吊るし上げてやりましょうよ」
ハルが不機嫌そうな声で、けれども、やや不敵な笑みを浮かべながら言った。
異種族会議。四年に一度、各種高知能生物の代表者が集い、世界のあらゆる事柄について、直接、話し合う場だ。発起人は――人って云うと語弊があるけど――龍属同盟の代表者、ネネ。次に行われるのは来年で、確かカノ諸島連合共和皇国で行われる予定だったっけ? この会議で、かつてエガリヴはロズデルンなどから、酷く糾弾されたことがあるので、その意趣返しかな。
しかし、そんなハルの思惑とは裏腹に、ヴォルデランド教師の返答は、芳しくないものだった。
「正直なところ、それは微妙だな。ここハイノン周辺の樹海や山々は、国境線が未だ曖昧な地域だ。連邦としては、ここから南に二百キロほどまでが国境線だと主張しているが、帝国はそれを認めていない。第一、彼らは正規の軍ではなく、傭兵だ。それに、これは推測だが、おそらく彼らは、ロズデルン帝国から雇われたのではなく、名目上は衛星国家の何処かに、開拓地の防衛のために、雇われていることになっているのだろう。正式に、何処の国から雇われたのか判明しない以上、制裁を加えることはできないし、防衛のためと言われれば、それまでだ。加えようにも、帝国が邪魔立てすることは目に見えているしな」
ロズデルン帝国は、その領土の周囲に23の衛星国家を侍らせ、それらを緩衝地帯や、国家間の介在役などに利用している。エガリヴ連邦も88の領邦をそのように使っている向きはあるが、それと比べても、ロズデルンのやり口は露骨で粗暴だ。
「なんで帝国と二ヶ国会議でも会談でも開いて、二ヶ国間協定とか条約云々でも結んで、正式に国境線を決めないんですかねぇ……」
ハルの口ぶりは、まるで「あいつら、戦争が好きやから、態と紛争の火種を放置しとるんや!」とでも言いたそうなものだった。実際、そう言おうとして、呑み込んだ感がある。昔なら無作法に、そう俄鳴り立てていただろうけど、彼も大人になったのかな。
「連邦政府としては、その努力は常に続けている。だが、向こうには向こうの言い分があるしな。皆も知っている通り、自由開拓地域は、色々と複雑で面倒な場所なのだよ」
ヴォルデランド教師の返答は、またもや、ハルの感情に反する答えだった。
さっきから敵に対して寛容なことを言っているヴォルデランド教師は、言葉だけ聴けば、怖ろしい人だとは思われない。けれど、いざ敵と相対したときは、ハルでさえも顔が引き攣る程に、容赦を知らない人だ。それが敵に対しての最低限の礼儀だと言っていたが、僕からしてみれば、優しいことを言いながら、寝首を掻いているようにしか見えない。その点が、彼を人喰い狼と呼ぶ所以にもなっているんだろう。
それからヴォルデランド教師は、あくまで補足とでも言うように、さらりと、大した味付けもせずに、その言葉を放った。その声から、なんの感情も読み取れなかったことが逆に、彼の冷淡な心と怒りを表していた。
「それと今回、被害にあったのは輸送団だけではない。ハイノン周辺にある集落も襲われ、そこの若い娘たちも攫われたそうだ」
やっぱり、碌でもない戦地には、碌で無しが送られるのだろうか。
がなる
俄鳴るは独自の当て字です。
歴史上、既に同じことをしている人がいるかもしれませんが、私はそれを確認していないので、発案者は骨々ってことでいいですよね!
がの部分を俄・呀・哦・峨の、どれにするか悩みました。
意味的には呀が一番近くなるかなと思ったけど、我って旁を入れたかったんですよねー。
なら、哦にした方がいいと思ったんですけど、がなる人って、基本的に頭が良くないイメージがあったので、俄にしました。




