暇潰しの面子
「独りって、辛いか?」
そう思っていた時期が、私にもありました。
クリスは最後に、羊の乳を豪快に飲み干す。
「ぷはぁ! 畜生、旨い。羊さん、今まで生きててくれてありがとう」
他の面子も、食事を終える頃合らしい。食堂からは人影が減っており、その端の方にある七つの影……あたしたちの組が、最も大きい塊のようだ。
「これから大ホールで、なんかの説明があるんだっけ?」
ジェニスが煩わしそうに言い、あたしがそれに応答する。
「今朝、イーゲルストリーム教師から送られてきた通信文によればね」
昨夜の雨の中、イーゲルストリーム教師が率いる隊は、ここハイノン周辺の山中の巡回を行っていた。予定なら、本日もあたしたちは待機か、ハイノン市内の警備のままだったはずだけど……。
「何かあったのかな?」
「こそ泥でも出たんだろ」
ユーリとダレンが、そんなことを話す。
「それだけのことで、こんな朝っぱらから全員に集まるように通達するか?」
昨晩の巡回も、あたしとニーナ、ネルの班は撤収させられたし……。
「どうせ傭兵が何か仕出かしたんでしょ。いつものことじゃん」
クリスは、いつもの調子と同じく楽観的だ。
私も、内心では大したことではないとは思う。いや、違う。思いたいのだ。けれど、安心と安全には主観形容と客観形容と云う、大きな隔たりがあることも、あたしは理解していた。
「何か連絡事項があるにしても、テレパス文で十分よね」
ネルが、誰に告げるわけでもない疑問を呈した。その疑問に、安全だと客観性を持って答えることができる者は、その場には誰もいなかった。
●
いくつかの中庭と細い道を通り、一行は一階の大ホールに到着した。
ハイノン大聖堂が誇る大ホール。最大収容可能人数は約四百人。古典アルス主義的な、堅牢で厳かな内装だ。
あたしは筆記テストで「古典アルス主義的建造物ってなんやねん?」と云う問題が出たときに「ずぶ濡れのピッツァを積み重ねたような建物やで」と答えて、怒られたことがある。だって、似てませんか? 似てませんね。すみませんでした。
大ホールを支えている白く四角い柱には、赤や金などの輝かしい色で、神の使いや様々な動植物の細工が施され、神話にある訓話を再現している。その中で直ぐに目に入ったものは、龍にちょっかいを出している猫が逆鱗に触れ、炭にされているものだ。その上に、髭の生えた若い男性――男性像のエガリヴが描かれている。
「おい、知ってるか?」
ジェニスが口の端を歪めながら、ニーナに語りかける
「あそこで消し炭にされてる猫、一説よれば龍と媾おうとしたらしいぜ」
……相変わらず、下品な奴ね。
さり気なくニーナがジェニスから距離を取ると――
「それ、カノの神話だね」
その間にクリスが入って来た。ジェニスも思わぬ介入者の登場に、少し驚いている。
エガリヴ聖教が聖典と定めている、ガズンドオルス神話。と一口に言っても、その種類は多岐に渡っている。それに、ガズンドオルス神話を聖典にしているのは、何もエガリヴ聖教だけではない。
「カノ民族の神話は、妖精とか異種族がメインの話が多いのが特徴だからね。勿論、同じガズンドオルス神話だから、エガリヴの神話と共通する箇所も多いんだけど」
エガリヴ神話の最大の特徴は、神話の中で語られている多くの訓話や説話、伝記的な話を神視点で説いている狂言廻し、エガリヴがいることだ。
このエガリヴは、エガリヴ聖教では神の意そのものが人の像を取ったものと解釈されており、これがエガリヴ聖教の名の由来にもなっている。なので、エガリヴは中性的な人物として書かれている。だが先の柱のように、男性像として表現されることの方が多い。
「ちなみにその猫と龍の話、ラゴやリヴァハラの神話では結ばれてるんだよ。あと、魔王三家の一つ、ブラッドソーン家の神話だと、猫はラゴ教で神格化されている英雄、ヴィルタスだってことにされてるの。逆にラゴの神話では、猫はブラッドソーン家の始祖、ヨーンだってことにされてるね。龍に関しても、これは龍じゃなくて蛇だとか、魔王三家の一つ、トゥリュボテウス家の始祖、サリだって説もあるの。ちなみに、ヴィルタスを始祖に持つロズデルン皇族の家紋は双頭の獅子、ブラッドソーン家の家紋は欠伸をする猫、トゥリュボテウス家の家紋は獅子を絞め殺す大蛇なんだよ」
クリスが一気に捲くし立て、ジェニスの頭が割れた。
「相変わらずの記憶力だな」
ダレンが感嘆した様子で言う。その直後、ダレンは「しまった」と云う顔をしたが、もう遅い。
クリスはターゲットを変えた。
「あと正確にはね、カノの神話に出てくるのは猫じゃなくて、猫人なんだ。この猫人が獣化型獣人か人化型獣人なのかは判らないんだけど、猫人って云えば、エガリヴの神話では――」
「お、おう」
あたしはクリスをダレンに任せ、その場から逃げることにしよう。
そうして逃げた先には、ふわふわ宙に浮きながらクリスたちを観賞しているニーナがいた。
「クリスちゃんって、大概の神話の内容、暗記してるんだよね……」
「それどころか、世界中の国旗や国歌、名家の家紋に軍旗と、政党旗までもカバーしてるわ」
ああなったら、彼女は暫くあのままだ。ある情報に関連する情報を解説しだし、またその情報に関連する事柄を説明し出し……。あたしは一度、テスト対策のために、あれに真剣に付き合ったことがあって、そのときはクリスが気絶するまで三日かかった。誰かが止めなければ、文字通り、寝食を忘れるのである。
頑張れ、ダレン。
「――でね、聖王三家の一つ、ディユラトス家の家訓に、手を洗わずに卵を割るなかれ、ってのがあるんだけど」
「衛生の心得に関して説いた言葉か?」
「それもあるんだろうけど、この言葉ができた背景は――」
●
異教や異端のものに対して、エガリヴが柔軟な姿勢を見せるようになったのは、最近のことだ。
エガリヴ聖教にとって、唯一無二の聖典はエガリヴの神話のみであり、それはエガリヴ連邦の首都、ルジノスで編纂・研究されていることから、他の神話と区別するときは、ルジノス神話と呼ばれている。エガリヴ聖教にとって、これ以外の神話を学ぶことは異教に触れる行為とされている。それは「悪魔の言葉に耳を傾ける行為」とされ、長い間、忌避されていた。だから、エガリヴの救道者が、それを知る機会はほとんどなかった。
しかし、その反動のせいか、エガリヴは古代文明の究明に関して出遅れてしまい、一部の技術は他国に推される状況にあった。更には、イラァの反乱の余波も手伝って、愈々《いよいよ》、エガリヴは宗教に対しての考え方を改めなくてはならなくなったのだ。
だから聖教主が現在の聖教主に変わってからは、異教や異端の教えにも、価値を見出すような試みが行われている。その取り組みの一環として、タルナド人の俺に救道者としての教育を施したのだろう。
なので、最近の若い救道者には、異教や異端のものに対する抵抗感が、従来の人々に比べて低いと言われている……にしてもだ。
「それで、クルイーサ系の民族にカローヴァ人って人たちがいるんだけど、その支配階級にある人たちの氏も、ウシって言うんだって。ウシ氏は、雨乞いを指導する立場にある人だったらしいのね。カノの皇族と同じ巫術師なの。で、この関連性について、五連国の学者さんが発表した説によれば――」
ここまで極端に振れる必要はないだろ……!!
こいつ頭等、暗記する範囲を近年に発表された論文にまで広げていやがる。
「そう、つまり、昆布ロードが世界を作ったと言っても過言ではないわけ!」
「いやいや、過言だろ。海藻を食べる民族は極めてマイノリティだ。その似非学者を誰か引っ叩け」
●
なんだかんだ言いながらでも、クリスの話に食らい付いていけるダレンは凄いなぁ……などと、遠くの方で関心しながら、僕は女子のみんなと歓談していたのであった。
「昨夜、山中で行商の一団が襲われたらしいよ」
カミラ――透き通る赤毛のカミラ=チャンドラーが、そんなことを言った。
いや、それはカミラだけではない。どうも、そんな噂が飛び交っているらしい。発信元が何処かは不明だけど、この状況下なら、そんな不確定な情報が意味を持って、生き物のように振舞いだしても仕方がないような気がしてくる。
「なんか怖いね……。大丈夫かな?」
金髪でクリクリっとした青い瞳の少女――コリーン=フィニアンが、不安気な顔をしながら、その瞳で僕の顔を下から覗き込む。彼女は同年代のはずなんだけど、そのことを知らなければ年下にしか見えない。
「ユーリの傍にいれば大丈夫でしょ。寄らば大樹の陰」
立派な黒髪のオーディ――オードリー=シーバートがクスクスと笑い、僕に少し身を寄せながら言った。
「けど、昨夜はあの雨でしょう?」
唐突に、赤銅色の声が響いた。
「この辺りの山中は野生の魔獣が出ますし、まともに整備もされていない悪路を行商団が通るでしょうか? 仮に、本当にそんな道を通ってきたとして、何を運んでいたのでしょうね?」
いつの間にか姿が見えなくなっていたネルが、そこにいた。
「ネル、どこ行ってたの? 捜したんだけど」
「……ユーリ、私、化粧室に行くと言いましたよね?」
ネルは何故だか、ちょっと怒気味である。その視線が少し怖い。
「さぁ? そんなの分からないわ。だけど、みんなそう言ってるし」
オーディが、ネルの疑問に少しきつ目の声で答えた。なんでだろう。なんでこの二人は、地味に火花を散らしているんだろう。それぞれ赤銅色と漆黒の髪を畝らせ、淡褐色と濃褐色虹彩から光線を出し合っている。
「えっと、あの、えっとね」
コリーンが僕以上に震えながら、言葉を紡ぐ。
「あたしたちの班はハイノン東の関所の警備に当たってたんだけどね、イーゲルストリーム教師たちが山から降りてきて、傭兵が行商を襲ったからって、それで、あたしたちも危険だから、下がりなさいって。だから昨日の晩は、直ぐに空間転移炉を急遽稼動させて、他の救道者や軍人さんにも応援を要請して、その人たちが警戒に当たってたみたいなの。ファロティエが投入されたところ、見たよ。ほら、あたしたちって、まだ役職とかないし、戦闘に不向きなの人もいるから、だから……」
栗鼠が栗の殻を削るように喋るところも含め、まるで小動物のようだ。
ファロティエ。アステリアとリヴァハラがルジノスの主導によって共同開発した、擬似人格を持たない人工知能が搭載された自衛用ゴーレムのことだ。鋭い光を発しながら、六つのタイヤで闇夜を駆ける。これは対人から対車両を想定したもので、高さは約三メートル、横幅は約二メートル、数機寄れば暴走している車両を力尽くで止めることができる。対人用のマニピュレータは細かい動きも可能で、非常時に負傷者の手当を行うことも可能。近年の一般車両がその重量を増す傾向にあるため、時にはわざと無意味な外装を取り付け対応することもあるため、総重量が一トンを優に超えることが多い。これは燃費の悪化にも繋がるため、対衝撃系の術式による対応を求められているが、現在のところ、これ以上の開発は進んでいない。しかし依然として、エガリヴ連邦では暴動鎮圧や凶悪事件、災害時の救助活動と広く用いられているゴーレムだ。
「そんなことになっていたのですか……。昨晩、私が率いる班は住宅地を巡回していたので、全く知りませんでしたわ」
ネルは、ちょっとだけしょんぼりしている。現状にしょんぼりしているのかな。
「コリーン、なんで今までそのことを黙っていたの?」
打って変わって、オーディは声を尖らせていた。けれども、それはとても落ち着いていて、凛とした色だ。真っ黒な髪の上に、白銀の槍が載っているかのようなコントラスト。槍の穂先はコリーンに向いていて、それが怖かった。
カミラがコリーンと槍の間に割って入る。
「私がコリーンから聞いて、みんなに伝えたの。コリーン、口下手だから」
カミラはその鋭さに臆する様子もなく、ただ淡々と、そして飄々と、希薄に、しかし鮮明に、声を発していた。こう云うことに関しては、彼女は僕よりも強いかもしれない。
オーディは、それに若干気圧されながらも、むっとして言った。
「だったら私にも教えてくれたって……」
「勿論、話そうと思ってたよ。今ね」
オーディは猶も、抗議するようにカミラを見詰め、唇を尖らせる。だけど、コリーンの潤んだ眼差しに気付いて、彼女はそれ以上、何も言おうとはしなかった。
「ええ、えっと、大丈夫かな? ここは大聖堂の中だから、外がどうなってるのか一切、分からないし……」
誰も発言しないことを気まずく感じたのか、またコリーンが話し出す。場の雰囲気を別の方向に持って行くためのものだろうけど、さっきからこのことに関して、凄く心配しているのは事実みたいだ。
「大丈夫だと思うよ。今、ニュースとかネットとか見たけど、ハイノンが危ないことになってるって話は見受けられないし、多分、表立った混乱は、まだ起きてないんじゃないかな?」
「そうなんだ。良かった」
僕の言葉にコリーンは、冬眠前後の栗鼠のような、ほぅっとした顔をした。ううむ、この栗鼠、警戒心ゼロである。今、暴徒か何かに襲われたとしても、十秒ぐらいは固まっていそうだ。
「けれど、これから何か起こるかもしれませんし、急に動員した人員だけで、ここを護れるかどうか」
そんなコリーンを強張らせる言葉をネルが発した。コリーンとは別の方向に心配性だよね、君は。
「大丈夫なんじゃないかな? ハルやジェニスもいるし」
ともかく、ここはみんなを安心させておこう。なんの証拠や根拠のない安心だけど、だからと云って、無意味に不安にさせても益はない。
「えー? ハロルドー? あいつ、そんなに頼りになるかなぁ? 流石にジェニスは論外だしー」
オーディが大袈裟に驚きながら僕の発言を否定した。流石に、ちょっと失礼じゃないかなぁ? ジェニスに関しては、まぁその通りかもしれないけど。
「うーん、戦闘に関しては僕よりも優れてるからね、ハルは。ジェニスだって、使える術式に癖があり過ぎるけど、実戦となると、中々なものだよ」
「そうだぞ。中々のもんなんだぞ」
クリスに言葉だけで頭を割られていたジェニス――ジェニス=クィーンは、いつの間にか復活していた。このタフネスさと、都合良く過去を忘れることができるところは長所だと思う。……この調子乗りなところは、どう言っても長所には成りえないかな。ポジティブ、と言い換えることもできるけど、ジェニスの場合、彼のポジティブさは自身を苦しめる足枷にしかなっていない。
「尚、両者とも頭の出来は悪い模様」
不意に、背後から低い声がした。訝しむ色。常に不機嫌な色。鳩尾に岩が打つかるような感触。こちらの脳に、ダイレクトにダメージを与えてくるような、そんな声だ。
僕が振り向くと同時に、その声の主は続けて僕に告げる。
「ユリアス、お前が他人を褒めても嫌味にしか聞こえねーよ」
ハロルド=アーリック。彼は、アーヘラ救道院第一五六期生に八人いる特位救道者の一人だ。そして、僕の幼馴染でもある。
「そう? ごめんね。なんか、機嫌悪くさせちゃって」
ハルは、わざと大きく舌打ちした。
「お前はそう云う天然なところ治せよ。マジでイラつく」
完全に被害妄想だよぉ……。と云うことは、彼自身も気付いている様子だった。しかし、それでも、どうしても苛々せずにはいられないらしい。
「全く、昔から陰険ですね、ハル坊やは。ユーリ、耳を貸してやる必要なんてありませんわ」
「ユーリ、別に気にすることないって。ハロルドはいつも機嫌悪いしぃー」
ネルとオーディが潰れた蛹を見るような視線をハルに向ける。
コリーンと云えば、カミラの後ろに隠れて、少し怖がっているみたいだ。相変わらず、本当に小動物みたいだなぁ。
「あーあー、悪かったな、話しかけて。生きてて大変、申し訳御座いませんでしたー」
ハルは、ぶっきら棒にそう吐き捨てると、その場から離れていった。
……なんの気はなしに、その後姿を目で追っていると、ハルの進む先には彼の双子の妹、ガーティー――ガートルード=アーリックがいることに気が付いた。そして、僕がガーティーと目が合うと、彼女はキッと僕を睨み付けてから、ぷいっと目を逸らしてしまった。
昔は、ハルやガーティーとも仲良かったんだけどなぁ……。
いつから、こうなったんだろうか。もしかしたら、仲が良いと思っていたのは僕だけで、本当は仲なんて良くなかったのかもしれない。過去の思い出が磨り減っていく内に、そんな考えが浮かんできて、なんだか心寂しくなってくる。
●
本日も一段と、私のウィニー――私のウィノナ=ウェルボーンは可愛い。
何が可愛いって、それは可愛いから可愛いのだ。可愛いものは可愛いとしか形容のしようがないでしょ? だから可愛い。もう可愛い。病的になまでに可愛い。気が狂いそうになるぐらい可愛くて、もうどうしようもない。死ぬ。この可愛さに殺されてしまう。でも、誰も私を助けてくれなくても構いません。だって、私を地獄から救い出してくれるのはウィニーと云う名の天使だからっ!
「ああ、ウィニー、口にソースが付いているわ。拭って差し上げます」
「それ、今朝から何回目かなー? 最初の一回目は本当にソースが付いていたのかもしれないけど、もう取れてるはずだよねー? そんなに拭われたら、私の唇、カサカサになっちゃうんだけどなー」
それがね、ウィニー。貴女の病的なまでの可愛さのせいで、拭っても拭っても、貴女の唇からソースが取れないの。フランケンシュタインズ・モンスター症候群なの! それに大丈夫よ。もし貴女の潤んでプリプリな唇が、万が一カサカサになってしまったとしても、私がそれを舐めて、保湿して上げますから。もう舐め取りたい。舐め取るべき。舐め取らなければならない。舐め取った方が良い。舐め取らないと世界が滅ぶ。神の怒りに触れてしまう……!!
「あははー、ハンナー、心の声がだだ漏れで、コ・ワ・イ・ゾ。 うーん、スケール大きく成り過ぎじゃないかなーって、ウィニーは動揺を隠せないんだなー。そんな無意味に世界の心配をするよりも、今日はちょっぴり身の安全を気にした方がいいかなって、ウィニーの勘は告げてるから、警告なんかしてみたりする」
ああ! ウィニー!! なんて優しい子なの? 世界を差し置いて私の心配をしてくれるなんて!! その白襟は伊達でも酔狂でもないわっ!
「心配ありませんよ、ウィニー。貴女に害を与えるようなものは、私が全て排除して、刻んで、牛乳で甘く煮込んだシチューにしてやりますから。そして食べることなく床にぶち撒けてやります。掃除が大変だね!!」
ああ! でもね、ウィニー!! 何よりも甘いのは、貴女と、貴女に対する私の想いなの! ねぇ? それを解ってくれる? ウィニー!?
「うわー、今日は一段と気持ち悪さと意味不明さが際立って、神懸かってるねー。高位の術者には奇人変人変態が多いって言うけど、ハンナは、そんな範疇で区分けできるような代物じゃないって、ウィニーは肌で感じてるわけだけどー。駝鳥もビックリの鳥肌だよー? それが何を意味しているのか、ハンナには分かるかなぁー??」
ええ! 解っていますわ。解っていますとも。貴女が私に何を伝えたいのか私には解っていますよ、ウィニー!
「要するに、あれでしょ? 貴女にとって私は唯一無二の比類なき特別な何かで、私にとっての貴女も唯一無二の比類なき特別な何かと云うことを言いたいのでしょ? 要約すると愛してるのサインね」
もう、本当に素直じゃないんだから、この娘は……。でも、そんなちょっぴり捻くれたところも愛おしい。
「あれれー、おかしいぞぉ? ハンナの解釈がウィニーの発言意図とは全然違うぞー?? そんなこと言ってるように聞こえたかなー? ウィニー、もうちょっと鋭い表現にすべきだったかなぁ? 唯一無二の比類なき特別な何かなのは事実かもしれないけど、ニュアンスが丸っきり逆で暴走し過ぎだと思うんだなー、ウィニーとしては」
●
「唐突で申し訳ないが、皆の衆は悲しみの丘と云う語について、何か知っていることはあるだろうか」
真っ赤な赤毛の癖に白襟のルディ――ラドヤード=ラザフォードが、そんなことを言い出した。この暑苦しい筋肉達磨は、たまにしかまともな発言をしない。今は至極、真面目な様子をしているが、今回も途轍もなく、下らないことなのだろう。
「知らん。知りたくもない」
ルディの問いかけに、如何にも不愉快そうに答えた声の主は、イラァ人のせいか日に焼けても対して黒くなっていない赤襟のグラム――グリアム=スペンサーから発せられたものだ。グラムは農家の出にも関わらず、朝に弱い。彼が不機嫌なのはそのためだ。豪農の息子だから、まともに鍬や鎌など持ったことはなく、その代わりに剣を振るって暴れまわっていたところを連行されてアーヘラ救道院に押し込められたと、本人談。
「では、あちらをご覧頂こう」
何が“では”なのか理解できないが、俺はこれと云って何もすることはなく、何かしたいわけでもなく、そちらをご覧になりたくないわけでもないので、特に何も考えずに、言われるがままに、そちらをご覧になりました。
「ウィニーとハンナがどうした?」
相変わらずの二人である。あれで二人とも彼氏持ちだと言うのだから信じられない。何かが間違っている。主にハンナとか、その両名の彼氏の感性などだ。
ハンナが云うに『愛に性別など関係なく、また愛に性愛が含まれるとは限らないのです』との言だが、どう考えてもハンナはウィニーに対して、性愛を含んでいるようにしか見えないし思えない。『食べちゃいたいことと性愛は異なります』だそうだが、俺には、よく意味が分からない。俺の知見が狭いからだろうか。
「今、彼女らが作り出しているフィールドには、異性と云う概念は存在しないわけだ。とても強固で、我々には触れ難い、崇高なる空間だ……」
異性どころか常識や普遍性なんてものもなさそうだけどな。しかし、だからなんだ。どうした。そんなことを語ったところで、心に吹き込む秋の風がやむわけでもない。それどころか、秋風が竜巻や暴風に変化しかねない。そんな実りのない会話を始める気なら、俺は身を守るために自分の殻に閉じ篭るぞ。
「しかしだな、グラム、ロー、よくあれを見るんだ」
お前に言われたから、さっきから、ずっと見続けているが。これで尚、注意深く観察したら、ただの変態でしかないように思う。そもそも、男三人が女二人を見続けて、それについて喋っている時点で、何か問題があるような気もしてきた。俺は一言も発していないからセーフだな。傍から見れば同じ穴の狢なのかもしれないが。
「とても青春を謳歌している様子じゃないか……」
ルディが女二人を注視しながら、恍惚の表情を浮かべて言った。こいつと同類だと思われるのは、不愉快極まりない。
そもそも彼女らも俺たちも、もう青春って歳でもないだろう。希望や甘酸っぱさに満ち溢れていると云う思いを抱いて迎えた青春が、何か好からぬものが醗酵したような饐えた臭いが充満しているものだった我らが青春を語り出すと、もう目も当てられないほどに悲惨なことになる。いや違うか。目も当てられないではなく、鼻が曲がる。現に、俺の臍は曲がりかけている。
「振り返って、我々はどぅだ!」
ルディには、俺とグラムの不機嫌な色を前面に出した表情を気にする素振りはない。その様子はまるで、数千万人の観衆を前に演説している国家元首のようだ。変な世界にトリップしている。
俺とグラムからアクションが見られないからなのか、それともそんなことは無関係なのか、ルディは微妙な間を置いて、次の言葉を発した。
「謳歌してる?」
鬱陶しい。
「謳歌しちゃってる??」
何がうざったいって、表情がうざい。喋り方が不愉快。存在が厭わしい。
「ロー、こいつを殺しても犯罪にならない法律を作ろう。俺たちならきっとできるさ」
グラムには共感せざる得ないが、私事でそんな悪法を作るのは、流石に世間からのバッシングを受けそうなので、保留と云うことで受け流したい。
「要するに、人生を謳歌するのに必要なのは、性すらも超えた、純然たる愛なのだと、俺は主張したい!」
異性に対する欲求を捨てろと言うのか。お前はニーナに振られたのが、そんなにショックだったのか。高々……と云うのもニーナに失礼かもしれないが、女一人に振られただけで、そこまで振り切れることもないだろう。それだけのことで向こう側に行ってしまうのは、あまりにも侘し過ぎる。戻って来い、と言う気もないが。
「つまり、貴様はあれか」
唖然とした顔のグラムがルディに問う。
「俺たちにホモれと言う気か?」
「そうだぅ!」
勝手に俺まで巻き込むな。ホモりたいなら、俺とはできるだけ無関係なところでやってくれ。
「くたばれ」
グラムの罵り言葉は最もなところだ。こんな残念な奴は、死ぬ以外に、まともに生きる道が残っていないだろう。
「そう言うがな、諸君。悲しみの丘と呼ばれる結婚できない雄の群れが……つまり、この場合は現状の我々に該当するが――」
「一緒にするなタコ」
「それがコミュニティに仇成す危険性があるのだよ」
具体的に、どんなコミュニティに、どんな方法で仇成すんだ? 俺がそんな素朴な疑問を口にする前に、ルディが言葉を続ける。
「愛を育む幸せなもの全てに嫉妬の焔を燃やし、燃やして、全てを破壊したいと云う衝動に駆られてしまうのだ」
連続殺人やらかした奴に、そんなのいたな。
「要するに今の俺だ!」
「ロー、こいつが何かやらかす前に処分しよう。上手くやればバレやしないさ」
グラムの提案には、感情的には大いに賛同せざる得ない。だが、流石にそこまでするのは、気が咎める。保留と云うことにして、先延ばしにしよう。ルディが何かやらかしたとしても、俺は加害者の友人と云う立場だ。社会的責任を負う必要はない。大丈夫。被害者には申し訳ないが、俺個人にはなんの問題もない。放置しよう。何か追求されたら、そこまで親しくもなかったと言って、切り抜ければいい。
「つまり、何も生み出せない悲しみの丘が後天的にホモることで、生産性のあるイチャラヴカップルに害が及ぶ危険性をなくすことができるのだぅ!」
卒業式当日にニーナに振られたのが、そんなにショックだったのか。
「この問題、如何様にして解決すべきだと思う?」
「死ねばいい」
「ちょおまっ、それが人を助くことを任に持つ救道者の言葉かぅ!?」
この段になって、俺は始めて口を開く。
「グラムの言い分にも一理ある」
寡黙なことに定評のある俺が口を開き、それがグラムの罵倒を肯定する内容だったためか、二人ともきょとんとしている。が、そんなことを気にするローワン=スカリーこと俺ではなかった。
「後天的にホモるなどと云う複雑な過程を経る必要などない。より簡易的で、全人類が実行できる方法だ。エガリヴは死による安寧を否定してはおられない。肯定もしてないが……自殺は駄目だとしているな。つまり、我々が我々の手で我々を殺せばいいのだ。これは自殺などではない。自らの理念と信仰に沿う行いなら、それは崇高なる殉教だ」
いや、殉教に当たるかどうか知らんが、そうしておいた方が世界平和のためには良い。犠牲なき平和など、人間には到底、実現し得ないのだから。
「貴殿! 悟ったようなふりをして、何をほざいておるか!! 世界の真理に到達し、それによって恒久的な平和を勝ち取ろうと励むのが、我々救道者であろう! にも関わらず、その大儀と志を、若い身空から放棄すると言うのかぅ! 死ぬのはまだ早いぞ」
さっきから訳の分からないことを悟った風にほざいている奴に、俺にそんなことを述べることができる資格はない。それと、死ねばいいと言われたのは、お前であって俺ではない。
「モテないならって、若い身空から繁殖すると云う生物の大前提を否定してる奴に言われたくなどない」
「私はモテたいわけではない! 唯々、おっぱいを拝みたいだけだ!!」
「自分のでも拝んでろ」
俺はルディのために、鏡ならトイレにあることを顎で教えてやった。
●
さてさて、皆がそのような感じで思い思いの相手を見付けて時間を潰している間、壁の花として咲き誇る勇者がいたんだって昔話を、お爺ちゃんは眠る前の俺によくしてくれたものだ。
ああ、今なら分かるよ、お爺ちゃん。その勇者って、お爺ちゃんのことだったんだね。なんでそんなことが分かるかと言うと、その祖父の名を受け継ぐ俺も今、勇者になっているからだ。
カリム・ムスタファ・ラシッド――以下略は、その場にいるのに誰にも気付かれていなかった。
フッフッフッ……素晴らしい光学迷彩だ。そんな特殊な素敵装備を纏ったつもりはないのだけどな。
赤襟は、聖術とは異なる術を使うことが許されている救道者だ。これを悪く罵るときは、異端者などと言われてしまうこともある。特別であると同時に、忌まれることもある存在なのだ。
そんな恐怖の対象とも成り得る俺の存在が、この俺を取り巻く現実を作り上げてしまったのもあるだろう。
更に付け足せば、俺はリオルド人でもラド人でもない、異民族の出身であり、アーヘラ救道院に入ったのも、今年の春なのである。周囲の者たちと打ち解けることができなくとも仕方がない。
ん? だったら、なんで卒業生たちと一緒にいるかって? ハッハッハッ! 救道院は何もアーヘラ救道院のみではないのだよ。そう、つまり俺は転校生。俺が通っていた救道院は、中央大陸の遥か東にある小国、ナロラットラにあったナロラットラ救道院だ。
そこで超絶優秀だった俺は、幸か不幸か、救道院の中の救道院にして、エガリヴ連邦の最高研究機関でもあるアーヘラ救道院への編入が認められたのである。
と云うか、ほぼ強制的だったね。うん。別に、地元を離れるのが無茶苦茶寂しいとかではなかったけど、なんて言うの? ドナドナ的な感じで、大陸の東端から西端に連行されてきたのね、俺。
更に言及すれば、俺が周囲の者たちとな馴染めないのには、別の要因もある。
俺の故国ナロラットラは、かつてはマファトロネアと云う大国に組していた。だが、マファトロネアは鹿肉のせいで、脆くも崩壊。その際、ナロラットラはエガリヴ連邦に属することになったのである。そのとき、独自の神話と信仰を持っていたナロラットラにも、エガリヴがイラァの民に行ったような教化政策が行われるはずだった。だが、ナロラットラがエガリヴ連邦に属していることは、しばしば忘れ去られることが多く、その被害から免れたのである。
そう、我が国は、国そのものが勇者だったのだ!!
そのお陰かせいなのか、会話が合わない。価値観が合わない。音波言語がWAKARANAI!
ぼっち。ボッチ。B O T T I !!
「これで……全員いるな。皆、この中に入るように」
メソメソと男泣きしている俺の肩を、ポンっと優しく叩いた男がテレパスで、その場にいた全員に、そう言った。