表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/33

第三夜『妖達と仕事』1

 また妙な音で目を覚ました。一体、これは何の音なのだろう。弥羽はもそもそと起き上がりながら、手探りでランプを探した。ランプ、といってもそれは油や火で点けるものではなく、乾電池式のものだ。ただ、古いランプの形をしているだけ。

 ──朝なのに暗いって不便だな。

 弥羽はランプを点けた後、部屋の電気を点けた。昨日の朝この面倒臭さを感じなかったのは、その前の晩、電気を消さずに寝たからだ。これからは毎日電気を消さずに寝ようかとも思ったが、それだと熟睡出来ない気もする。弥羽はううん、と悩みながら、夕べ下着と一緒に与えられた服に手を伸ばした。その服は淡い桜色のワンピースで、いまいち自分に似合うとは思えなかった。しかも、丈が長く、脛の辺りまである。

 ──何て言うか、昭和な感じ。

 弥羽は姿見に映った自分に対して思ったが、茶色い髪だけがそこから異様に浮いて感じられた。何だかそれがしっくり来ず、取り敢えずたなに置いてあったリボンで髪を一つに束ねた。リボンで髪を結うのは初めてで、少々手こずったが何とか結べた。リボンは赤色でふんわりとしている。絹で出来ているのか、手触りもいい。弥羽は結んだリボンの位置を調整してから、姿見から離れる。

 夕べの説明で、朝食と夕食は昨日の広間、昼食は店で食べる、と教わった。なのでこのまま昨日の広間へと向かえばいいのだろう。その前に顔を洗いたかったが、部屋に洗面台はない。勿論、トイレも。弥羽は箪笥から一枚タオルを取り出して、洗面所へと向かった。

 脱いだ洋服、使ったタオルは部屋に置いておけば使用人妖怪が勝手に洗濯して戻しておいてくれるとのことだった。その話を思い出すと同時に使用人妖怪の姿を思い出した。ぱっと見は愛らしい女の子なのに、少し口を開けるだけでそこには鋭く尖った歯がある。そして、彼女達の仕事を奪うとその歯に噛み付かれるらしい。それを考えるだけで恐ろしい。

 弥羽は身震いしながら洗面所へと急いだが、そこには既に先客がいた。佳那汰だ。佳那汰はまだ少しばかり眠そうな目をちらりと弥羽に向けてきたが、何を言うでもなく顔を洗い始めた。ぱしゃぱしゃと顔を洗うその姿はアライグマを彷彿とさせた。そういえば彼は狸の化身だと人見が言っていたので、遠からず、というところだろうか。

「……似合わないね」

 佳那汰が白いタオルで顔を拭きながらぽつりと言った。それが自分を差してのことだと直ぐにわかり、弥羽は眉を微かに動かした。似合わないのは自分でも薄々気付いてはいた。だが、用意された服は今のところこれしかないのだから仕方無い。

「用意した人に言ってよ」

 弥羽は洗面台の前から佳那汰を押し退けながら返したが、佳那汰は足を踏ん張っているのか微動だにせずに弥羽に視線を向けてきた。大きな瞳が弥羽を捉えている。

「人じゃないし」

 佳那汰の答えに弥羽は今度は表情を歪めた。昨日、人見には自分達を「人」と表しても構わないと言われたが、確かに佳那汰にはそんなことは言われてない。

 ──空気読め。

 弥羽はそう思いながら、意地でも佳那汰を退かしてやろうと押す力を強くした。だが、小柄に見えてもやはり男らしく、弥羽の力ではどうしも動かせない。佳那汰の方も退くものかと足に力を込めているようだ。二人して、大きな鏡のある洗面台の前で互いに力を誇示しあったが、結局、弥羽が根負けする形になって終わった。

「ちょっと、退いてよ」

 弥羽は力付くの行為を止めて、佳那汰に強く言ったが、佳那汰は素知らぬ振りで前髪を直している。銀色の髪は癖が強いのか、所々跳ねている。

「別に、顔を洗わなくても死なないでしょ? ああ、元々仮死状態だっけ」

 佳那汰は弥羽の顔も見ずに言う。

「仮死状態にしたのはそっちでしょ?」

「やったのは僕じゃないもん」

 佳那汰はしれ、と言いながらもそこから退くつもりはないようだ。埒が明かないやり取りが延々と続けられ、弥羽の怒りはピークに達しようとしていた。勝手に連れてこられて、勝手に仮死状態と言われ、そんななかで何故こんな扱いを受けなくてはならないのか。確かに面接に来たのは自分の意思であるが、まさかこんなふうに訳のわからない世界で働くなど思いもしなかったからだ。そこを咎められたとしても此方の言い分はある。それなら最初からメールに「人間の世界での仕事ではないです」と注意書を添えておくべきだ。そうしたら何も好き好んで面接を受けようとは思わないのだから。

「……もう、退いてよ」

 弥羽は強引に佳那汰の腕を引っ張ったが、やはり動かない。

「朝から賑やかだねぇ」

 どうにかならないものかと、腕を引く手にありったけの力を込めたそのとき、耳にしたことのない声が聞こえてきた。弥羽は思わず佳那汰の腕から手を離した。すると、それに抵抗していた佳那汰がバランスを崩したらしく、その場によろけ、倒れた。弥羽はそれを気にも留めずに、声のした方──洗面所の入口へと顔を向けた。

「お早う」

 するとそこには、見たことのない男が立っていた。柔らかそうな茶色の髪に、優しそうな瞳。程好く整った顔は美青年といったふうだ。背は高く、顔が小さい。

 ──人間に見えるが、これも妖怪だろうか。

 弥羽は失礼に当たらない程度に男の顔を見た。

「初めまして、囚われの姫君。ボクは美祢。烏天狗なんだ」

 美祢の名乗った男は右手を差し出しながら挨拶をしてきた。

「……庭上弥羽です」

 囚われの姫君とは言い得て妙だ。確かに、己の意思で帰ることのできな状況は囚われと称することも出来る。だが、そんな意識はまるっきりなかった。

「これの何処が姫君? 冗談も休み休み言ってよね」

 倒れた佳那汰が起き上がりながら憎まれ口を叩いたので、弥羽はそれを思い切り睨み付けた。それでも佳那汰は怯む様子もなく睨み返してくる。

「で、烏天狗とは?」

 弥羽はそのあと佳那汰を無視し、美祢の方に向き直った。そしてその手を取る。すると美祢は軽く握手をし、そっと手を離した。

「烏天狗は烏天狗。まあ、今は人の姿を借りてるけどね」

 美祢は言い終わるとにっこりと笑った。それは人の良さそうな笑顔で、他の妖怪達とは違うように感じられた。

「さあ、朝食が出来てるから行こうか」

 美祢はやたらと明るい声で言い、弥羽の手を引いた。

 ──まだ顔を洗ってないがまあ、いいか。

 弥羽は美祢に連れていかれながら、タオルが邪魔だなと思った。


 昨日の広間には煌夜と人見の姿が既にあった。そして使用人妖怪が食事を運んでいる。てまてまとしたその動きは彼女らの本性を知らなければ可愛らしいものだ。弥羽は昨日と同じ席につき、目の前にある食事を見た。昨日の朝食は和食だったが、今日のはフレンチトーストにコンソメスープにサラダ、スクラブルエッグと洋風だ。使用人妖怪が食事を作っているのかと思ったが、彼女達の上背では台所を使いこなすことは出来ないだろうと思い至った。

「今朝は俺のお手製だよ」

 食事をまじまじと眺めていると人見が告げてきた。

「和食のときが美祢で洋食のときが人見」

 続けて佳那汰がぼそりと教えてくれる。親切かのか不親切なのかわからない男だ。

「へえ。いただきます」

 弥羽はそれだけ言って、美味しそうな食事に手を引いた付けた。どれもこれもカフェで食べるような味で、凄く美味しい。弥羽は食べながら何度も美味しい、と漏らし、その度に人見が微笑んだ。

 フレンチトーストは噛み締める度に甘い、メープルシロップのような味がし、コンソメスープも玉葱の甘みがよく出ている。自分も料理をしないほうではないがここまでのものは作れないだろう。

「和食と洋食、どっちが好き?」

 サラダ菜を頬張ったところで人見に訊かれた。何故そんなことを訊かれるのかと思いながらも、弥羽はどっちも好きです、と答えた。口の中はサラダ菜が占拠していたので上手く発音出来なかったが、通じてはいるだろう。

「きったないな」

 それに対して佳那汰が顔を歪める。

 ──性格悪いうえに口煩いのか。

 弥羽はげんなりとしながら佳那汰の顔をちらりと見た。佳那汰はまだ顔を歪めているので、弥羽はサラダ菜を飲み込まずに何ですか、と言った。ぱさぱさ、と口の中でサラダ菜が音を立てる。すると佳那汰が更に顔を歪める。

「女として終わってる」

「チビに言われたくないわ」

 弥羽は漸くサラダ菜を飲み込んでから返す。佳那汰はそれに立ち上がり、何だって、と強い口調で言ってきた。弥羽もそれに続いて立ち上がる。

「はーい、やめやめ。ご飯は美味しく食べましょうね」

 今にも乱闘が始まりそうな空気を壊すように、美祢が手を叩きながら大きな声を出した。そうされるとまるで小学生になったような気分で弥羽は少々恥ずかしくなった。

「はい、座ってねぇ」

 美祢の声に弥羽と佳那汰は同時に座った。

「で、洋食と和食なら、どっちが好き?」

 また人見に質問されたので、弥羽はだからどっちもです、と答え直した。すると人見は至極残念そうな顔をした。どちらも好きと答えて、何故こんな顔をされるのか。弥羽は不思議な気分で残っていたスクラブルエッグを全て口に入れた。

「お嬢さんが洋食って言ってくれたら、食事を全て洋食に出来たんだけどな」

 人見はふう、と大袈裟な溜め息を吐いてみせた。

「残念だったねぇ、ひぃちゃん。これで、和食と洋食は今まで通り交互だからね」

 ふふ、と美祢が勝ち誇ったような声を出す。弥羽は何の会話なのかわからず、二人を交互に見た。すると、その視線に気付いた美祢が笑顔でそれを教えてくれた。

「ひぃちゃんは洋食が好きで、和食が嫌いなの。だから、どうしても食事を全部洋食にしたいみたいなんだよね」

 美祢は言ってから、困ったものだよね、と付け加えた。妖怪なのに和食が嫌い。それはしっくりこない。──というより、変な感じがするが、これは偏見なのだろうか。弥羽は首を傾げながら、使用人妖怪が運んできたコーヒーを受け取った。

「でも、私はどっちも食べたいです」

 洋食が食べたいときもあるし、日本人的な食事を食べたいときもある。なので、人見の考えには賛同しかねる。その答えに人見はえらく落胆した様子でコーヒーを啜った。

「じゃ、交互にするからね」

 人見の様子に反して美祢は嬉しそうに言った。それに弥羽ははい、と返した。自分が作らず、しかもただで美味しいものが食べられるなら拘ったりしない。弥羽はそう思いながらコーヒーを啜り、因みに、食材は人間の世界のものなのだろうかと、今更なことを考えた。

 コーヒーは豆のいい香りがし、癖のない飲みやすいものだった。コーヒーカップに口をつけながら、横目で煌夜の姿を確認した。煌夜は今日は藍色の着物──大きな白い菊の模様のものを着ていて、その姿とコーヒーカップは似合わないものだった。まるで時代劇でコーヒーを飲んでいるかのような不自然さだ。それでも美しい光景にも思える。弥羽は煌夜を横目で見ながらコーヒーを飲み干した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ