第2夜『夜話』
──寝付けない。
弥羽はむくりと起き上がった。頭の中が妙に覚醒し、眠気など微塵もない。頭が混乱している証拠だろうか。今日一日で色んなことを聞いた。彼等が妖怪だということ──他にも沢山あるが、頭がいまいち整理をしてくれない。そのときはわかった振りをしていた。いや、実際その場では理解していた。でも、振り返ると、理解しきれない気持ちもある。とはいえ、もう腹を括ったのだ。なるようにならない。時間が解決してくれるとは言わない。だが、それに似たものはある気がする。
弥羽は闇しかない窓の外を見た。月がない空というのは何処か不気味なものに見えたが、それと同時に神秘的にも見える。別に、人間の世界でも月のない夜は幾らでもある。なのに、雲の向こうにそれがあるのと存在しないのとでは、感じ方が全く違う。
──兎も角、あまり歓迎はされていないみたい。
弥羽は今朝の人見や佳那汰の様子を思い出した。煌夜はよくわからないが、自分を選んだのは彼なので疎ましく思うということはないだろう。だが、人見や佳那汰は別のようだ。佳那汰はあからさまにその態度を示しているし、人見はそうではないがいつも目の奥が笑っていない。そしてそれに気付かぬ程自分は鈍感ではないが、一応気付かぬ振りをしている。無闇やたらな衝突は避けたい。
何時まで此処にいる、というわけではないが、何時までいなきゃいけないのかはわからない。だったら、出来るだけ穏便に過ごしていたいと思うのは当然のこと。
何でこんなことになったのか。皆で会話をしているときは思わなかったことが脳裏を過る。一人静かになったからか。弥羽は手の甲に浮かぶ模様に視線を落とした。古い橙色のランプの下で見るそれは、今にも動き出しそうだ。触ってみても何の凹凸もない。それでも確りとそれはそこに刻まれている。
──妖怪。
ふと、考えてみた。思い付くのは昔アニメで見た、凡そ人間とは思い難い姿をし、特別な力を持った者達。それでも此処にいる彼等はその見た目とはかけ離れている。自分達は動物の化身だから、と言ってはいたがその姿は人間と寸分違わない。
その差は弥羽には当たり前だがよくわからなかった。煌夜は異形のものもいるとは言っていたが、それがどんなものかもまだ目にしていない。
煌夜達の話には所々納得出来なかったり、上手くはがらされたりした部分がある。それが気にならないと言えば嘘になるが、気にしても仕方無いと思う自分もいる。
──何時まで此処にいればいいんだろう。
弥羽は寒いと言ったら人見が用意してくれたカーディガンを羽織りながらランプに手を伸ばした。今夜の寝間着は浴衣ではなく、桃色の水玉柄のパジャマだ。昼間言ったことを気にしてくれたのか、替えの下着も幾つかくれた。どれも無難に白、といったもので誰が用意したのかは正直気になったが、漠然と人見ではないだろうな、とも思った。どれも勿論新品で、少々嫌なことにサイズはぴったりだった。
人見に案内された風呂に入り、それを身に付けたときには驚いた。確かに、ある程度見た目からは推測出来るかもしれないが、ここまでぴったり、ということはなかなかないだろう。
──会ってないだけで女性がいるのだ。
弥羽は下着を付けながら自分にそう言い聞かせたのだった。
朝や昼はさして寒さを感じないのだが、夜になると急に冷え込むように感じる。それは少し変な寒さで、やはり此処は自分がいたところとは違うのだと知る。
明日からは普通に仕事をさせられるのだろうが、内容は全くわからない。今朝、雇用契約が済んだ後、店を案内された。そこは昨日最初に訪れた場所で、店内には骨董品とも思える品々が陳列していた。だがそれは実際売り物ではなくただの雰囲気作りということで、値札は一切なかった。
手に取ってもいい、と人見に言われたのだが壊しても嫌なのでやめておいた。値札はないし、売り物でもないといっても、壊したりしたら弁償させられるかもしれない。
煌夜に此処に座っているように、と言われた場所は店の正面から見て右側の机だった。年季が入っているようで、盤面には細かい傷があったが、木製の机など小学生の頃以来なので少し気分が高揚した。しかしそれも、学校にあるような陳腐なものではなく、足に細工が施されたものだった。
机の上には特に何も置いておらず、煌夜に「そこが貴女の机です」とだけ言われた。詳しい仕事内容は仮死状態の者が来てからではないと上手く説明出来ないとだけ言われた。
店番、と言われたが、ただ此処に座って、事務仕事をこなせばいいのか。弥羽は椅子に腰を下ろしながらぼんやりと店内を見回してみた。昨日は襖から入ったというのに、あるのは木製の扉──鐘付きのものだった。扉が開く動きで、上部に付けられた鐘が鳴るようだ。それは昔ながらの古い喫茶店などを彷彿とさせる。
店で聞かされた話はそれくらいのもので、他のことはなかった。ただ、決まりについては説明された。──そういえば、求人メールに「決まりはあるが」と書かれていたのを弥羽は漸く思い出した。
言われた決まりとは、仮死状態の者に情を移さないこと。自分が人間だとは明かさないこと。言われていないことを勝手にやらないこと。煌夜の机の引出しには触らないこと。これだけだった。弥羽はそれくらいなら守れます、と答えた。大したことではない。それが弥羽が思った決まりごとへの感想だった。
弥羽は昼間のことを思い返しながらランプを消した。すると、部屋の中は闇に包まれ、手探りでベッドに潜り込んだ。太陽がないというわりに、布団からはお日様の匂いがし、弥羽は妙な気分のまま眠りについた。