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第一夜『狐面の男』

「お目覚めかい?」

 妙に色っぽい声に弥羽は顔を動かした。お目覚めも何も、寝てなどいない。ただ辺りが見えないだけだ。否、違う。確かに意識は途切れ、そして目覚めたのだ。

 面接に訪れて、そこの階段で妙な男を目にして、何だと思っているうちに、意識は途切れたのだ。

「……はい」

 弥羽はそれに小さく答えた。すると、色っぽい声は、それならよかった、と笑顔が浮かんでくる声を返してくれた。

「あの……私、面接に来たはずなんですが」

 弥羽は脳のなかには取り巻く混乱から、他にも訊くことは幾らでもあるというのにまずのその質問をした。すると、色っぽい声の主は、くすりと笑った。暗闇の中にその笑い声が響く。笑い声が反響するなかで、その人は口を開いた。

「面白いお嬢さんだ。君がパスした理由がよくわかる」

 弥羽は降りかかる声の意味がわからず、そこで初めて着ていたスーツの上着がないことに気付いた。着ているのは半袖の白いインナーとタイトスカートのみ。

「あの、私の上着、知りませんか?」

 此所は寒い。正確に言うと、寒いとは少し違う。なんというか、体感温度が低いというより、体の芯が冷えたような感覚だ。上着を羽織ったからといって、それが和らぐとは思えなかったが、気休めにはなるだろう。

「ああ、上着ならね……」

 何度聞いても色気を含んだ声は、面接を取り付けたときの人物だろう。語尾に少し特徴がある。

「それさあ、面接に来た態度じゃないよね?」

 続いて違う声が響く。今度は随分と可愛らしい声で、それは十代の少年のもののように思えた。それよりも何より、面接に来た態度ではないと言われてしまったのは失態だ。弥羽は慌てて居ずまいを正した。とはいえ、この暗闇では何も見えないので無駄かもしれない。

 そうは思ったが、何もしないよりは幾分ましかもしれない。暗闇でも、誠意くらいは伝わるかもしれない。弥羽はそう考えながら深く頭を下げながら口を開こうとした。

「ていうか、何、このちんちくりん。何でこんなのがパス出来たわけ?」

 暗闇だというのに、その可愛らしい声の主は弥羽の姿がはっきりと見えているようだった。

 ──ちんちくりん?

 確かに、弥羽の身長はぎりぎり一五〇センチだ。体重も四十キロと少し。その為、体のラインはまるで小学生のようだ。しかし、十代と思われる少年にそんなことを言われて何も思わないわけはない。弥羽はぴくり、と眉を動かしたが、言いたいことを飲み込んだ。

「そう? 可愛らしいお嬢さんだと思うけど?」

 色気を含む声が言ってくれはしたが、そこに嬉しさは感じない。きっと、この声の主は女なら誰にでもこんなことを言っているのだろうと思える軽さを声と調子に混じえているからだろう。

「上着はね、今、少し預からせてもらってるよ」

 色気を含む声が漸く答えてくれた。

「で、面接なんだけど、君は見事パスしたので、必要ありません。よかったね」

 ──どういうこと?

 弥羽は見えない辺りに視線を彷徨さまよわせた。面接をパスしたと言われても、何をした覚えもない。階段を下りようとして、そこからの記憶がないのだ。まさか、意識のないなかで面接をしたとも思えない。だとしたら、自分は夢遊病だ。

「ほら、蛇がちゃんと説明しないから困ってるよ」

 何も言っていないのに、自分の状況を勝手に理解されている。相手にはこちらがはっきりと見えているということだろうか。

「蛇って呼ぶな、て何度も言ってるよね? 流石に俺も怒るよ?」

 色気を含む声──蛇と呼ばれた男がやはり軽い調子で言う。蛇、とは渾名みたいなものだろうか。

「蛇を蛇って呼んで何が悪いの? 怒るなら、理屈を通してよ」

 暗闇でひたすら男二人の言い合いを聞いているだけ。自分の置かれた状況を、弥羽は全く理解出来ていなかった。自分の身に何が起きたのか、此所は何処なのか、この人達は何者なのか。そもそも、何故、記憶が途切れたのか。

 何から何までわからない。一体、何から質問をしたらいいのか。弥羽は繰り広げられる会話を聞き流しながら様々な想いを巡らせた。

 やっぱり怪しい求人だったのかもしれない。今までだって、飛び付いた求人で怪しい会社は幾つかあったではないか。とはいえ、そんな会社すら不採用だったのだが。

「今度蛇って呼んだら、もう夕飯に稲荷寿司は出ないよ」

 蛇と呼ばれた男がきっぱりと言い放つと、可愛らしい声は黙り込んだ。

「狐でもないのに稲荷寿司が好物って、何でかねぇ?」

 蛇がさも面白そうに笑う。

「ああ、こんなくだらない会話をしてる場合じゃなかった。お嬢さん、こっちに来てくれる? 説明をするからさ」

 蛇が言うと、誰が突っ掛かってきたの、と可愛らしい声が溜め息を吐く。しかし、こっちに来いと言われても、それが何処なのかわからない。確かに声はするが、反響が酷くて声のする方向が判断出来ないのだ。

「ごめんごめん。見えないんだったね」

 蛇は弥羽の心境に気付いたらしく、そう言ってから、ぱちんと指を鳴らした。すると、ふわりと炎が浮かんだ。深紅の炎はふわふわと宙に浮いている。どんな手品なのか、それは美しい列を成していた。

 それだけで周囲は見えるようになり、そこには二人の男が立っていた。

 にこりと微笑む男は、均整のとれた体にランニングシャツとスリムなジーンズを纏っている。顔立ちは彫りが深く、整っている。整っているというより、見る者を一目で惹き付けるような美しさがあり、そこには一種の中毒性を感じた。

 その美しさは体に、心に巻き付き、目が離せなくなる。ねっとりとしたような視線に絡め取られ、身動きひとつ取るのが困難だ。

「早く」

 可愛らしい声に弥羽は我に返った。ふと、体に巻き付いた柔らかな鎖が取れたかのような妙な感覚。

 声の方に目を向ける。明るくなると同時に反響はなくなっていた。そこには、小さな少年がいた。

 小さいといってもそれは身体的特徴であり、顔立ちは十代後半のように思える。彼の背丈は弥羽より十センチ高いか高くないか。微妙なところだ。

 顔立ちは声と同様に随分と可愛い。大きな目は少しつり上がっていて、気の強さを感じさせる。だが、黒目がちの為きつい印象は与えない。

「のろのろしないでよ」

 そう言われ、弥羽は慌てて立ち上がった。妙な寒さもいつの間にか消えていた。

「ついておいで」

 蛇が更に色っぽい声で言い、それにいざわれるように弥羽は足を前に出した。ふらり、と体が勝手についていくような感覚は生まれて初めて味わうものだった。


 辺りにはただ、深紅の炎が真っ直ぐに連なっていた。何処まで続くのかもわからない道。道と呼ぶのが正しいのかどうかもわからない。ただ、蛇と呼ばれた男の後ろをついていく。その後ろには可愛い少年。

 何の説明もされないどころの話ではない。

 ──今から帰ると言って、通用するだろうか。

 弥羽は背筋を伸ばして歩きながらそんなことをふと思った。怪しいどころではない。むしろ、怪しいと思う余裕もない。今更になって、弥羽は自分の行動を悔いた。幾ら焦っていたとはいえ、面接先くらい事前に調べるべきだった。

 今の世はインターネットという便利なものがあるのだから、そこに一度調べたいことを入力すれば、知りたくもないことまでも出てくるのだ。

 弥羽はふう、と息を吐き出した。

「疲れたかい?」

 蛇がそれを耳にしたようで、くるりと振り向いた。炎のせいか、真っ赤に見える髪が揺れ、同様に真っ赤に見える目が弥羽を捉えている。それだけで一気に動きを封じられたような気分に陥る。

「大丈夫です」

 考えるより先に口が勝手にそう答えた。すると蛇はにっこりと笑い、疲れたら直ぐに言うんだよ、と返してきた。優しそう、というより優しいが、腹の中が見えない。まさに、蛇、という、表現がよく似合う。

「早く行こうよ」

 後ろから可愛い声で急かされ、弥羽は更に姿勢を正した。こんな小さな男にちんちくりんなどと称されたのは納得がいかないので少しでも大きく見せようという魂胆だった。だが、ちんちくりん発言をした男はそんなことは全く気付いていない様子で後ろを歩いている。

 何処までも続きそうな闇。何処までも続いている炎。そこはつい先程までいた世界とは切り離されているように思えた。まるであの世に続く道のようだ。弥羽はそんなことを思いながらも、足を止めることが出来なかった。

「着いたよ」

 急に蛇が足を止めるので、弥羽はその広い背にぶつかってしまった。蛇は背が高いので、見事にその背中のど真ん中に鼻が衝突した。だがさほど痛みは感じない。

「大丈夫?」

 振り向いた蛇に訊かれ、弥羽ははい、と頷いた。彼の背中からは何とも言えない匂いがした。香のような、それとは違うような。

「どうぞ」

 どうぞ、と言われても、そこには何も見えない。弥羽が戸惑っていると、蛇はそうか、と言ってまた、指を鳴らした。するとそこにはたちまち襖が現れた。大きな鶴の書かれた襖は今まで目にしたことがない程に豪華なものだ。

 弥羽は蛇に促され、そこに手を掛けた。するり、と妙な感触を味わいながら襖を開けると、そこには店が広がっていた。

 木製の棚に、大正時代を思わせる照明。置いてある品々を、テレビの中でしか見たことのないようなものばかりだった。大正レトロ、そんな言葉が弥羽の脳裏には浮かんだ。どれもこれも、名前も知らない、用途もわからないものばかり。


「ようこそ、夜話屋へ」

 店の奥から、低い声が届く。

 弥羽が声のした方に顔を向けると、そこには階段先で会った奇怪な男がいた。狐の面に着流し。祭りの場にいても不自然としか思えないような男は、ゆっくりと細白い指を被っている面に掛けた。その白さは異様で、まるで死人のようにも思える。

「庭上弥羽。貴女を此処の店員として雇います」

 男は面を取りながら静かな口調で言った。

 面の下のは眉目秀麗な顔があった。形の良い眉に、細い二重瞼の綺麗な瞳。それはまるでビー玉のような輝きを放っている。鼻筋も通ってはいるが、外国人のように高いわけではない。唇も厚過ぎず薄過ぎもしない。それは桜の花弁のような色をしている。だが、肌の色は指同様に白過ぎる。

 血液の流れなど全く感じさせない白さだ。血の通っていないというのは、こういことを言うのだろうか、と見当違いなことを考えさせる程だ。

「……あの、突然雇うと言われても」

 弥羽は恐ろしく整った顔を見ながらそれだけを言った。

 こんなふうに怪しげにある店に足を運ぶ者などいるのだろうか。幾ら就職出来るといっても、直ぐになくなってしまうような職場では意味が無い。

 弥羽の思考回路は既に冷静さを失っていた。今はそんなことを言っている場合ではなく、突っ込むところは他に沢山あるのだ。だが、度重なる不可思議な現象に弥羽の頭は正常とは言えない状態にまで陥っていた。

「成程。確かに面白い人間ですね。私が一目で見込んだだけはあります」

 狐面の男はほぼ無表情で、弥羽の言動にそう言った。恐らく彼は、弥羽のことを順応性のある女だと認識したのだろう。だがそれは大きな間違いで、弥羽は単に事に付いていける程の脳味噌を持ち合わせていないだけだった。

「あの、取り敢えず、一から説明させてもらってもいいかな?」

 弥羽の脳を理解しているらしい蛇が口を挟んだ。それは弥羽にとっては有り難いことで、弥羽は無言で頷いた。

「お嬢さんは、今、仮死状態なんだ」

 だが、蛇の口から出てきた言葉はとんでもないものだった。

 ───仮死状態?

 弥羽がその言葉を理解するまでに、一分程の時間を要した。

「そう、仮死。ええと、理由は階段からうっかり足を滑らせて、頭を強く打ったんだ」

 蛇が何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。だって、現に此処にこうして存在しているのだ。なのに仮死状態と言われたって、ぴんとこない。

「ま、事故に遭ったとかじゃなくて、これは強制的なものだから可笑しな理由なのは勘弁してね」

 蛇はそう言うとやけに輝いた笑顔を向けてきた。確かに階段かから足をうっかり滑らせて、なんて少々みっともないかもしれない。

「強制的ってどういうことですか?」

 弥羽は取り敢えず、そのことについて訊くことにした。訊きたいことは山程あるが、一番気になったことを選んだのだ。

「ん? それは、此方側に来てもらう為だよ」

 やはり蛇の言っていることは理解出来ない。弥羽はもう何を返していいかわからなくなり、口を閉ざした。

「お嬢さんには、此処で働いてもらう為に仮死状態になってもらったんだ。選考はメールで行い、来た人間を彼───煌夜こうやに選んでもらった。まさか、一人目で決まるとは思わなかったな」

 何が何だかわかないうちに話だけが進んでいく。弥羽はついにそれについていくことさえ放棄した。

 ────これは悪い夢だ。実らない就活生活のせいで悪夢を見ているのだ。

 弥羽は自分にそう言い聞かせることにした。そうでなければ、どれもこれも現実の話とは思えなかったから。目が覚めれば、また就活の日々が始まる。それなら、何処かに採用される夢は寧ろいい夢かもしれない。

 弥羽はそんなふうに思いながら、話を続ける蛇の顔を見た。まるで俳優のような顔立ち。夢は一度目にしたことがあるものしか現れないと何処かで聞いたことがある。ということは、ドラマか何かで見た顔なのかもしれない。

 狐面の男も、異様に可愛らしい男も。

「此処は、お嬢さんと同じように仮死状態になった人を調査する店なんだ。夜話と称して、夢を見させて。そして、その人間が生きるべきか、死んでもいいかを判断する。まあ、それは俺達の仕事だから、お嬢さんには店番と事務処理ってところかな。そして、この店構えはただの雰囲気作りだから……聞いてる?」

 突然蛇に顔を覗き込まれ、弥羽は驚いた。整い過ぎた顔が間近にあるというのは心臓によくない。

「聞いてます聞いてます」

 どうせ夢。聞いてなかったとして、何の問題もない。弥羽はそう考え、適当に頷いた。すると、弥羽の適当な返事を信じたらしい蛇は満足そうに頷いてから、弥羽から顔を離した。

「ということですから、明日から宜しくお願いしますね」

 狐面の男──煌夜が無表情で言い、握手を求めるように右手を差し出してきた。弥羽はそれに一応応え、その手を取ったが、それは真っ白な見た目に反して温かいものだった。

 煌夜は軽く握った弥羽の手をじっと見詰めてから、よし、と小さく呟きそっと離した。握られていた手はじんわりと温かい感触が残っていて、それと同時に微かな痺れを感じた。

「では、お部屋に案内しますね」

 煌夜はやはり無表情のまま、人見ひとみ、と呼んだ。すると返事をしたのは蛇だった。

 夢だというのに、部屋まで用意されているのか、などと、弥羽はにこりと微笑む蛇──を見ながらぼんやりと思った。

 これが、日常、してや現実とは掛け離れた就職になるなどとは露程にも思わずに。

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