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第三夜『妖達と仕事』6

 幾らも歩かないうちに森らしきところを抜けた。すると目の前に広がるのは、見たこともない景色だった。橙色の提灯がずらりと並び、そこかしこに朱色の鳥居がある。提灯は一列に並び、その光景は初めて人見に案内されたときの並んだ炎を思い出させた。

 ──何処かで見たことある。

 この世界に訪れたときとは他に、そう感じた。でも、それが何処であったかはさっぱり思い出せないし、思い出せるような気もしなかった。妙なデジャヴがあるというのに、それは嫌な感じはせず、寧ろ何処か心地好い。

「此方です」

 煌夜が強めに手を引くので、弥羽の体は少しだけ前に倒れかかったが直ぐに持ち直した。

「此処は?」

 煌夜に手を引かれるままに歩くなか、弥羽はそう尋ねた。辺りに飾られた提灯は幻想的に見える。そういえば昔、地元の祭があるとこうして提灯が無数に並べられ、それを見ているだけで胸が躍った。しかしあの提灯は橙色ではなく白で、「祭」という文字が書かれていた。

「妖怪の世界ですよ」

 煌夜はさらりと、弥羽の顔を見ずに答えた。

 ──妖怪の世界。

 それは、あの店とはまた違うのだろうか。あの店はそもそも何処に存在している扱いになるのか。弥羽は考えながら煌夜の横顔を斜め後ろから見た。提灯の灯りに照られされるそれは色の白さを隠しているかのように思えた。

「人間の世界とは何が違うんですか?」

 弥羽が尋ねると、煌夜は少しだけ首を傾げた。何が、と言われて答えることが難しいのだろう。

「何でしょう。ただ、妖怪だけが棲んでいる世界ということです」

 ──異世界、ということか。

 だとすると、自分が元いたところと此処は交わることのない、直線上にある場所ということだろうか。そうは考えてみたものの、いまいち感覚としてはわからない。だが、わかってもわからなくても大した意味はないと思った。

 森を抜けると土から砂利道へと変わった。与えられていた靴は皮のものだったので歩き辛くはない。ただ、小石の感触が靴の裏に微かに伝わってくる。辺りにはまだ数多の提灯が吊り下がっていて、でもそれは少しの揺れもなく、それで此処には全く風がないことに気付いた。森の木々も今思えば全く葉を揺らしてはいなかった。じゃり、じゃり、という砂利を踏む音は直ぐに何処かに吸収されてしまうように消えるが、煌夜の下駄の音は静かに響いた。繋がれた手からその音が体の中に響くような錯覚に陥る。

 道を暫く進むと、そこには沢山の店が構えてあった。ずらりと一本道に沿い並ぶ店々の光景はまるでテレビドラマの時代劇で見た花街のようだ。朱色を主とする格子や瓦屋根、藍色の暖簾。道の両側に何処までも続くように店が並んでいて、何処が何屋なのか全くわからない。ただ、そこには大勢の「もの」がいた。

 顔の半分を髪で覆っているえらく大柄な女。額に大きな目玉を付けた町人風の男。首が異様に長い遊女のようなもの。目が顔の真ん中に一つしかない童子。朱色の格子の隙間から手を伸ばす女は手が三本さえなければ人間の姿に近い。そこにいるものは弥羽が思い描く妖怪と呼ばれるものの姿だった。だが中には煌夜達のように人間と変わらない姿をしているものも沢山いた。

「これが妖怪達です」

 辺りに視線をさ迷わせる弥羽に煌夜が静かな声で言ってきた。確かに、人間とは違う。それさ見た目も勿論あるが、それよりも纏っている雰囲気が違うのだ。見目は人間と寸分違わぬとも、そこにいるのは確かに人間ではないとわかる。なら、向こうから見たら自分は妖怪ではないとわかるのではないだろうか。そこまで考えてから、手の甲に印された紋様を思い出した。煌夜が刻んでくれたそれは、彼らに近い雰囲気を自分に纏わせているということだろうか。

「妖怪は人間を好みません。そして中には好むものもいます。勿論、良い意味ではなく」

 人見の言葉と視線を不意に思い出した。決して受け入れられない存在なのだと思わされた。そういった感情を彼らも有しているのだろう。

「……はい」

 すっかり引いたと思われた哀しみがまた少しだけ顔を覗かせる。これは深哀の影響ではなく、自分が確かに感じた哀しみの部分なのだろう。

「だから、決してはぐれないようにして下さいね」

 煌夜はそう言って弥羽の手を握る力を強めた。それだけで妙に頬が熱くなるのを感じた。それなのに煌夜は弥羽の目を真っ直ぐに見つめ、小さく笑いかけてくるので更に熱は増す。

 ──どうして。

 弥羽は握られた手を当然振り解くことなど出来ず、頷いた。この感情が何処から、何故湧いてくるのかはわからなかった。体が熱を持つ理由など何処にもないというのに。

「あら、煌夜さんじゃない?」

 煌夜と目を合わせるのも気恥ずかしく、俯き加減になっている弥羽の耳に綺麗な声が届いた。さらりとしていて、それでいて何処か癖のある声。それは聞く者全てを虜にするかのような声で、その感覚は人見の声と同じようだった。

古鳥こちょうさん」

 煌夜はそう呼び、進みかけた足を止めた。弥羽はそれにつられるように声の主に顔を向けた。するとそこには至極美しい女性がいた。短い髪は顎のラインを隠しているがそうでなくともかなり小顔だということがわかる。身に纏っているのは真っ赤な襦袢のみだが

 腰帯がきつく結んでいるので体のラインがはっきりとわかる。腰のくびれに沿って、しなやかに立っているその姿は色気があった。

 古鳥と呼ばれた女はちら、と弥羽を見ると美しい顔を忽ち綻ばせた。ぱあ、と大輪の花が咲いたような笑い顔だ。

「小菊ちゃん、戻ってきてたのね」

 古鳥はそう言うと、がばりと弥羽に抱き着き、弥羽の背中をぎゅう、と抱いた。細いわりに力は強く、これ以上力を入れられたら背骨が折れるのではないかという程の苦しさと痛みを感じた。

「い……痛いです」

 弥羽は苦しい中で必死にそう訴えた。すると古鳥はごめんなさい、と体を離した。だが、その手はまだ弥羽の背中に回されている。

「ごめんなさい。小菊ちゃんにまた会えたのが嬉しくて」

 古鳥は綺麗に笑いながら弥羽の目を見てきた。

 ──小菊?

「あの……私の名前は小菊ではないです」

 弥羽は人違いです、と頭を下げた。こんなに至近距離で見ても気付かない程に似ている人なんているのだろうか。弥羽は首を傾げながら古鳥から離れた。

「え、小菊ちゃんじゃないの?」

 古鳥は困惑したように煌夜に視線を注いでいる。

「ええ、彼女は別人ですよ。考えてもみて下さい」

 煌夜は静かな声で古鳥に告げた。手はまだ弥羽の手を確りと握ったままだ。

「ええ……ああ、そうね。そのくらい経つわね。人が生きている期間ではないわ」

 古鳥は悲しそうな声で言い、それから弥羽の頬をそっと撫でた。その指は細長く、撫でられた部分から熱が引いていくようだった。

 ──人が?

 弥羽は煌夜と古鳥の会話の内容が全く理解出来なかった。この妖怪達は「小菊」という人間と交流があったということだろうか。

「ごめんなさいね。人違いだったわ」

 古鳥はふんわりと微笑んで、もう一度弥羽の頬を撫でた。この妖怪からは人を拒絶する空気を感じない。しかし、人見も最初はそうだった。端からこんなふうに疑ってかかるのは失礼に値するのか。様々な考えが頭を巡る。

「怯えなくても大丈夫ですよ。古鳥は人間を好む妖怪ですから」

 ぐるぐると考え過ぎる頭に煌夜の声が届いた。

「ええ、怯えないで。寧ろ、懐いてくれていいのよ」

 古鳥はそう言ってから弥羽の体を抱き締めてきた。紅い襦袢が身を包む。微かに獣のように臭いを感じたが決して嫌な臭いではない。

「でも、こんなふうに連れ出しては危ないのではなくて?」

 古鳥がそっと弥羽から体を離しながら煌夜に尋ねた。

「ええ、でも仕事ですからね」

 煌夜は漸く弥羽から手を離したが、そこにはまだ温もりが残っていた。見上げる煌夜の横顔は提灯の灯りに照らされ、優美なものに見えた。その前に立つ古鳥も同じように美しい。妖怪らしい雰囲気を身に纏おうが、見た目だけで妖怪ではないと見抜かれてしまいそうだな、と弥羽は自分に視線を注ぎながら考えた。

「仕事……ああ、あのことかしら?」

 古鳥は細い指を自分の唇に軽く当てながら首を傾げた。その姿は

 あまりに優雅で妖艶で、思わず一応同性でもある弥羽も見惚れてじった。

「何か御存知ですか?」

 煌夜が訊くと、古鳥はそうね、と首を更に傾げた。顎の下まで伸びた綺麗な髪は烏の羽根の光沢を思わせた。

「さあ……。ただ、仲良くしてた子がいなくなったのよね」

 古鳥は唇に当てていた指を外し、胸の下辺りで腕を組んだ。豊満な胸の下に置かれた腕は、胸の豊かさを強調する。弥羽はそれに、自分の山なりにもならない胸に視線を向け、空しさを覚えた。

「仲良くしてた子……ですか?」

 煌夜の問いに古鳥はええ、と頷いた。

「その子もいなくなった他と同じで孤独を主とするのだけど、私と同じ置屋にいて、いつも慕ってくれていたのよ」

 古鳥はそう言って少し悲しそうな顔をした。孤独を主とするのに慕うなど、あるのだろうか。弥羽にはその関係性がよくわからなかった。

「孤独を主とする種族全てが孤独を好む訳ではありません」

 その捕捉をするように煌夜が教えてくれた。弥羽はそれに成る程、と頷いた。そういう習性があるというだけの話ということか。

「それがね、一週間前、急に見世みせから消えてしまって。その子と懇意にしていたのは私だけなのだけれど、理由が全くわからないの。だから、何かに巻き込まれたのではないかと思って、近日中に煌夜さんの処に伺おうと思っていたところだったのよ」

 古鳥はふう、と目線を下げ、俯き加減になった。そこはかとなく漂う色気は凡そ人間などには醸し出せなそうなものだ。妖怪の纏う不思議な空気はこの年中夜たという世界も関係していそうだ、など弥羽は煌夜と古鳥の姿を交互に見ながら考えた。

「お名前と種族を教えて頂ければ、時間の許す限りお探しておきましょう」

 煌夜が言うと、古鳥は少しだけ顔を輝かせた。それだけでその行方知れずになった妖怪を古鳥がどれだけ大切にしていたかが窺える。

「ありがとうございます」

 古鳥は静かに頭を下げ、雪娜ゆきなという名前と冷たいものを好む妖怪だということを煌夜に告げた。煌夜はそれを袂から出した髪に指で書いていく。すると不思議なことに、そこには墨で書いたように文字が現れた。弥羽はその光景をまるで手品のように思いながら見詰めた。

「では、お願いしますね」

 古鳥はそう言って頭を下げた後、弥羽に顔を近付け、貴女に会いに店に行くわ、と囁くような声で告げてくれた。それだけのことが、凄く嬉しく感じられた。誰かに存在を認められ、求められることがこんなに嬉しいことだとは思いもしなかった。

「さて、行きましょうか」

 去っていく古鳥の背が見えなくなったところで煌夜が言い、弥羽はそれに頷いた。何故か、不穏な空気を感じずにはいられなかった。


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