第2話 高校生の魔術師達
その日零二は目覚ましに起こされるわけでもなく、自然に目が覚めた。
平松組からの依頼を完遂してから自宅でゆっくりと過ごす日々が続いていた。
時計を見ると時刻は10時を指している。零二はベットから起き上がり出掛ける仕度をした。
リビングのドアを開けると、そこは殺風景でひんやりとしていた。
10畳はあるリビングは人が住んでいる雰囲気には見えない。
何もないわけではない。サイドボードには大型の薄型テレビが置いてあるし、大きなダイニングテーブルもある。
人が住んでいるというよりはモデルルームといった感じがする。
つまり生活感がない。
一般家庭のような暖かさはなく、冷たかった。
零二はこの広いマンションの一室を1人で暮らしている。
富裕層が住むこのマンションは全室がカードキー式のオートロック。間取りは3LDKとういう広い空間を一人で使っている。
築数年の新しいマンションで17歳の男子が一人で住めるようなマンションではない。一般のサラリーマンですら、このマンションに住むにはそこそこの役職が必要になる程だ。
だが零二はこのマンションに住んでいる。
自分の稼ぎで。
玄関のドアを開けると外の冷気が部屋に入りこんできた。
太陽は出ているのだが気温は低い。これからどんどん気温は下がり冬に向かっていくだろう。
零二は玄関にかけてあった茶色のコートを手にとり部屋を出た。
今日は平松組からの入金があるはずだ。大した仕事ではなかったが、契約時に良い金額を提示されたため期待ができる。
零二は今回のような仕事をこなして金銭を稼いでいる。
具体的には暴力団や非合法の組織から依頼を受け仕事を行う。
内容は様々だが今回のような敵対組織に対する報復行為は以前にも請け負ったことが何度かあった。
契約時の金額は一般企業管理職の年収分に相当する。
零二は入金が確認できればこの町を去るつもりでいた。
この町で零二は動き過ぎた。
仕事をこなし過ぎてた。
合法と言える仕事ではないため、長く居座ればあちこちから目を付けられるだろう。
例として下田組がそれに当たる。
敵対組織である平松組が下田組をこの町から追い払うための依頼だったが、下田組とて一枚岩ではない。
事務所で暴れられたとあっては必ず仕返しに出るだろう。
平松組との全面抗争になる可能性もある。
もしそうなれば零二も目をつけられるだろう。何せ下田組の事務所を半壊させた張本人なのだから。
下田組は既に動いているかもしれない。だとすれば尚のこと早く町を出る必要がある。
別にチンピラが何人こようと零二が負けることはないが、事あるごとに襲われては面倒だ。
数日中には町を出ることにしよう。
だがまずは入金確認だ。さっさと銀行へ行って確認することにしよう。零二は歩く速さを少しだけ早めた。
捜査とは靴底を減らすとはよく言ったものだと結衣は思った。
綾乃からこの事件の捜査を任命されてから歩きっぱなしの毎日だった。
犯人に関する具体的な情報が乏しいため、事件発生現場やその周辺の捜索。及び聞き込みを行っている。
現場の周辺以外でも犯人が行きそうな所(利用しそうな駅や通りそうな道など)を片っ端から当たっては近所の人に犯人の似顔絵や特徴などは聞いて回る。
既に捜査を開始してから一週間近くが経っているが、歩いた歩数の割に有力な情報は得られなかった。
思わずため息を着きたくなる状況だ。
万歩計でも着けて歩いた歩数を綾乃さんに見せれば特別手当でも出してくれないだろうか。
実のところ結衣はこの任務にかなりの不満を持っていた。
そもそも犯人がソーサラーとは言えなぜ自分達が探さなければいけないのか。
それは警察の仕事のはずだ。自分達対策室が動くのは犯人が特定されて確保しにいく時であって靴底を減らして捜査するのは警察の仕事だろう。
きっと警察ならドラマみたいに大勢の人員を使って効率よく捜査を進めることができる。
パトカーを使えば移動にも困らない。
対して自分達はたった2人で捜査を進めている。勿論車の免許も無いので公共交通機関か徒歩のみが移動手段になる。
そんなんでこの広い町をたった一人の人間探して動き回るなど終わりのないマラソンのように思える。
「そろそろお昼にしない?お腹減ったよ」
朝から歩きっぱなしだったのでいい加減疲れてきた。しかも今日は出勤ぎりぎりまで寝ていたので朝食も取っていない。さっきからお腹はぎゅるぎゅると鳴りっぱなしだった。
時間も丁度お昼時だったので一緒に捜査を進めている蓮菜に提案してみた。
「あと一箇所だけ行く。ご飯はその後」
嫌な答えが返ってきた。どうやら昼食はもうしばらくお預けのようだ。
結衣は今日で何度目かのため息を着き恨めしい目で蓮菜を見た。
「先にお昼にしようよ。ほらよく言うじゃん。腹が減っては何とかって」
「ダメ。予定が狂っちゃう」
蓮菜は真面目で優秀なソーサラーだが、その真面目さがたまに裏目に出る。融通が利かないことがあるのだ。しかも何気に頑固者なのでこうなってしまったら譲らないだろう。
なら仕返ししてやる。食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ。
結衣は蓮菜に気付かれないよう。周囲のルーンにそっと干渉した。
干渉とは体外にあるルーンに働きかけることを言う。周囲の物や大気に干渉することで、手を触れずに物を動かしたり風を起こしたりすることができる。
対して体内のルーンに働きかけ、身体能力や思考能力を向上させることをルーンの操作と呼ばれている。
ソーサラーはルーンの操作、干渉を行い様々な現象を起こすことができる。
そして結衣は今それをしようとしていた。
大気中のルーンを一点に集め、鎖のように編み上げていく。
輪っかのようにしたルーンを蓮菜の片足にかけた。
「わっ!」
蓮菜は声を上げて派手にこけた。
結衣の干渉により輪っか状になったルーンを蓮菜の足に引っ掛けたのだった。
「いたたた」
「大丈夫、蓮菜?やっぱ蓮菜も疲れてるんだよ。お昼食べて力付けようよ」
わざとらしく気遣ってみたりする。
「結衣。今ルーンに干渉したよね?」
「えっ?なんのこと?」
これまたわざとらしく白を切ってみる。ルーンの動きは連菜にはわからなかったはずだ。
結衣はルーンの操作、干渉においては蓮菜より優れているという自身があった。
「やっぱりしたんだ」
しかしルーンの動きはわからなくとも状況と結衣の反応から蓮菜は結衣がルーンに干渉したとみたらしい。
「してないってぇ」
結衣は心の底で笑いたいのを抑え白を切りとおそうとした。だがそれが災いした。
「後2箇所回る。お昼はそれから」
結衣は自分のしたことをひどく後悔した。
昼食にありつくことができたのは十四時を回った頃だった。
あの後蓮菜に必死で謝ったのだが実を結ばなかった。
「やっとお昼だぁー」
昨日の夜から何も口にしていなかったので空腹は限界まで達していた。
昼食場所は駅前にあるファーストフード店。お昼時を過ぎているため店内は空いていた。
「蓮菜もあのくらいで怒らないでよ」
「結衣が悪い」
未だに蓮菜の機嫌は直らない。結構根に持つ性格のようだ。
「もぉ!」
しばらくの間無言での食事が進む。結衣はハンバーガーにかぶりつきながらチラっと蓮菜を見てみる。表情から怒りが収まったとは感じ取れない。かといって激怒しているわけでもなさそうだ。
蓮菜とはよくコンビを組んで仕事をするが、自分とは全く逆の性格をしていると思う。
結衣は割と感情で行動するタイプだが蓮菜はそういったことは一切しない。
常に理論的に数学的に行動する。典型的な理系脳だ。血液型も多分違う。結衣はO型だが蓮菜は恐らくA型だろう。
聞いたことがないのでわからないが。
とにかく噛み合うところが見当たらない。
結衣の友人にも蓮菜はいないタイプの人間だった。
だがコンビを組んで仕事することは多い。
更に結衣はそれを辛いと思ったことがない。
共通の話題などはないが会話は弾むし蓮菜と一緒だと楽しいと感じられる。
対策室の中でも蓮菜は好かれている存在であった。
それは蓮菜の性格だけではなく特技にあった。
蓮菜は人の心を読むことができる。蓮菜のソーサラーとしての能力は全体的に高いが特に際立っているのがルーンの探知能力だ。探知能力とはルーンの痕跡を調べたり、周囲のルーンの動きを察知したりする能力のこと。
探知能力といってもその枠は広いが蓮菜が得意なのは体内のルーンの動きを探知すること。
ソーサラーが体内のルーンを操作して肉体強化や感覚の強化を行うときには必ず体内にルーンの動きが生じる。
これはソーサラーに限定されることではなく、普通の人間も同じことが言える。
ソーサラーとしての能力を持たない人間は体内のルーンや外部のルーンを操作、干渉てきないだけであって、体内にはルーンが存在する。
ルーンの操作ができなくても歩いたりして体を動かせばそれに見合ってルーンは動く。
そしてこのことは精神面でも同じことが言える。
人は精神が動揺したときー驚いたときや恐怖を感じたときなどにルーンにも同じように揺らぎが生じる。
度合いによって揺らぎも変わってくるが、精神の動揺によるルーンの動きは他人から簡単に探知できるほどではない。
どれだけ心が動揺してルーンが揺らいだとしても他人がそれを感じ取ることは非常に難しい。
だが蓮菜はそれができる。精神の動揺による微弱なルーンの変化を感じ取ることができる。
それは結衣の知るソーサラーの中では蓮菜のみが成せることだった。
更に蓮菜は持ち前の計算能力と洞察力で相手の状態や過去の事象から照らし合わせ、ルーンの揺らぎが何によって起こっているのかを的中させる。
つまり蓮菜は相手のルーンの揺らぎと状況から相手の心を読むことができた。
ルーンの操作、干渉の面では結衣や他の対策室メンバーに一歩譲る蓮菜ではあるが探知能力では並ぶ者はおらず、その能力を買われて対策室メンバーに選ばれている。
そして蓮菜はその能力を駆使して他人に配慮する優しさも持ち合わせていた。
誰かが悩んでいるときや困っているときには相談に乗ってくれたりする。
結衣も以前に仕事で失敗したときに蓮菜が相談に乗ってくれた。相手の心を読み、どうしてほしいのかを判断し対応する。
それが蓮菜の特技だった。
結衣以外の対策室メンバーも蓮菜にメンタル面で助けられたことが多くあり、それが蓮菜が好かれている理由だった。
対して蓮菜の心は全く読むことができない。こうやって食事をしながら様子を伺っても本気で怒っているのか、大して気にしてないのかは分からない。
まあ蓮菜が本気で怒ることは滅多にないし、この程度でへそを曲げるようなことはないと思う。以前にもこういうことはあったし。
再度蓮菜の様子を伺うと食事の手が止まっている。飲み物を持ったまま外をじっと凝視していた。誰か知り合いでも見つけたのだろうか。
「どうしたの蓮菜?カッコ良い男の子でもいた?」
「違う」
即答された。蓮菜は恋愛や異性に疎いので期待はしていなかったが。
結衣も窓の外を見てみるが特に知り合いらしき人はいない。駅前なので人通りは多いので見逃している可能性もある。
「犯人に似ている人がいる」
「え?どこ?」
結衣はルーンを操作し視神経に感覚を集中させた。視覚が格段に向上し道行く人の顔がはっきりと見えるようになる。
「茶色いコートを着た人。今本屋の前を通り過ぎた」
結衣は強化した視覚で本屋の前を見る。
見つけた。茶色のコートを着た高校生くらいの少年だ。確かに資料であった似顔絵に似ている。服装や体格も一致している。
「蓮菜。追いかけよう」
2人は途中だった食事を放り出して少年を追った。